早く言ってよ! バレンタイン☆ショック!―ジュリアスの場合


 バレンタイン。
 バレンタイン――か。
 聞いた事が無かった訳ではないが、深く考えた事はなかった。なにぶん、そんな事にはまるで縁の無い生活だった訳で。
 ジュリアスは、ひとり黙々と考え込んでいた。金の髪の女王が「皆さんに、手作りのチョコをプレゼントするわね☆」などと笑顔で言い放った時から、ガラでもない事をずっと。
 ――チョコレート、か。そうだ、好ましいと思っている者に贈り物をするのは、当然だ。日頃なかなか実行できなくとも、こういう機会に心を込めて、何かを贈るのは、美しい事ではないか?
 ここで女王の言うバレンタインとは、女性から男性にチョコレートを贈る事を指しているのだが、ジュリアスは、そんな事は実に都合よく失念していた。
 しかし、どうしたものか。
 普段から、べたべたと馴れ合う事など無いジュリアスだけに、こういう時にどうやって、どんな物を贈ればいいのか、その時どんな顔をしていればいいのか、さっぱりわからなかった。
 当人の好みの問題もある。
「……そうか、好みか!」
 まず、どのような物を彼の人が好むのか、それを考えなければならない。そのような事を、今更気付くとは!
 それさえ押さえられれば、人のいい彼の事だ、多少の驚きはあったとしても、あの独特の笑顔で、贈り物を受け取ってくれるに違いない。そうして、少しは私の事など……。
「いや、それは早計すぎる。まずはほんの少し、距離を縮めて……」
 執務室の中をうろうろしながら、ジュリアスは端で見ている者がいたら思わず笑ってしまうような百面相を繰り返していた。
 とにもかくにも、好みだ、好み。
「…………」
 気は進まないが。
 彼の好みを一番知っていそうな人物を、ふと思い出す。
 しかし。
 しかしだ。何と言って聞き出せば良いか。あやつに弱みを握られるのは、はっきり言って御免こうむりたい。……が。そのような事を言っている場合か?時間が無いのだ。
「……仕方がなかろう」
 ジュリアスは、嫌々ながらもやけにしっかりとした足取りで、闇の守護聖の執務室へと向かった。


「リュミエールの……何だと?」
 無表情なクラヴィスの問いかけに、ジュリアスは、思わず踵を返して逃げ出しそうになる。
 ああ、来るんじゃなかった。
 他に何か方法はなかったか。
 いや、ここまで来て、後にひいたのでは意味がない。
 だがしかし。内容が内容だけに、聞きづらい事この上ない。
「だ、だから、リュミエールの、その……好みだ」
「……何の」
 くうううッ!!
「だから、その、例えば!チ、チョコレート、とか……のだな」
「チョコレート?」
 オウム返しに聞き返すなッッ!!
「例えば、だ!そ、そなたは私の問いに答えればいいのだ!!」
 居丈高に言い放つジュリアスに、クラヴィスは無表情のままポツリと答えた。
「そういう菓子類を好むという話は、聞いた事がないがな……」
 瞬間、ジュリアスの顔色が蒼白になる。
「それでは意味がないではないか!」
 クワッと詰め寄ってしまってから、慌ててその場を取り繕うように襟を正すジュリアス。クラヴィスは相変わらず無表情のまま、ふと何かを思い出すように目を細めた。
「菓子に限った事ではないが……心のこもった手作りの物を特に好むというような事は、聞いた事があるがな……」
「心のこもった手作り?」
「母星に残してきた家族を時折思い出すらしいな……優しい母親のぬくもりを思い出させるような、そういった物だ」
「母親……」
 そうか、母親か!
 なるほど、彼の好みそうな物だ。
 ジュリアスの顔に、満面の笑みが浮かぶ。もちろん、本人に自覚はない。
「よく分かった、一応礼を言うぞ、クラヴィス!」
 思い切り何かを吹っ切ったような面持ちで、ジュリアスはクラヴィスの執務室から飛び出して行く。あとには、所定の場所に座したままの闇の守護聖が取り残された。

 先程の話の8割は、実はクラヴィスの作り話だったりするのだが、多分ジュリアスは、一生それに気付かない。
 バターンという、扉が思いきり閉められた音が響き渡った室内で、クラヴィスは耐え切れなくなったようにひとり、忍び笑いを洩らしていた。


 クラヴィスの執務室を後にしたジュリアスは、その足で王立図書館まで出向いていた。
 あそこには全宇宙の書籍がすべて揃っている。目的の本が必ずあるに違いない!
 図書館でがしゃがしゃと本をあさった後、膨大な量の関連書籍の中から2、3冊の本を抱えて、ジュリアスは己の私邸へと一直線に向かった。
「さて!」
 実に不気味なほどうきうきと、ジュリアスは普段ついぞ立った事のない厨房に立ち、どこで入れ知恵されたのか、いそいそと純白の割ぽう着に袖を通した。
「これはなかなか……背中の紐が上手く結べぬ物だな……」
 慣れない格好に四苦八苦しながら、とりあえず準備を整える。背中の紐は全て縦結びになっていたが、本人からは見えないから気付かない。
 図書館から持ち出してきた本をその場に広げる。
『手作りのチョコレート』『彼のためのアイデアお菓子』
『ハートを射止めるトッピング』……

 ……笑ってはいけない。
 彼は真剣なのだ。
 ところ狭しと並べられた材料を相手に、ジュリアスは孤独な戦闘を開始した。


「何故チョコが泡立つのだ……!」
「ぬぅッ!氷が溶けているではないか!」
 そこら中に響き渡るほどの大声で独り言を言いながら、涙ぐましい格闘を続けるジュリアス。
 ああ、何だってこの黒い物体はこんなにも変質しやすいのか。
 そもそも食する物に温度計を突っ込むとは何事か。このようなものを彼の者に食せというのか。
 あああ!!上手くいかないッッ!!!
 時間だけが無情に過ぎ、ジュリアスの息は上がり、肩を上下させる。
「いかん……落ち着け、ジュリアス」
 我知らず甘い匂いの立ち込める厨房から抜け出し、ジュリアスはふらふらと廊下に出た。


「……ジュリアス様?」

 ぎくり。
 聞き覚えのある柔らかい声のする方向に、恐る恐る顔を向ける。
 そこには、今もっともこの有り様を見られたくない人物、水の守護聖が呆然と立っていた。
「りゅ、りゅ、りゅ……」
 どもりまくるジュリアスに、リュミエールは慌てて頭を下げた。
「申し訳ございません……表の扉が開け放っておいでだったものですから、失礼かとは思いましたが中に入らせていただいたのですけれど……」
 かしこまるリュミエールに、今度はジュリアスが慌てて引きつった笑みを見せた。
「き、気にする事はない」
 しまった。厨房を独占するために、先ほど使いの者には全員に暇を出してしまったのだった。おそらく彼の事だから一度は声をかけたのだろうが、ジュリアスは全く気付かなかった。
「と、とにかく応接間に通るがよい」
 いそいそとリュミエールを導き、ジュリアスは咳払い一つ、リュミエールに向き直った。
「あー、その、どうしたのだ、何か取り急ぎの用か?」
「あの……お邪魔でしたでしょうか?」
「そのようなことはない!!」
 思わず勢い込んでしまう。
 リュミエールは驚いたように目を見開いたが、安堵したのか、はんなりと微笑んだ。
 ああ、麗しい笑顔だ……。
 いやいや、そんな場合ではなくて。
「ジュリアス様、変わったお召し物ですね……?」

 ――しまったああぁぁッッ!!!

 ジュリアスは、慌てて茶色く薄汚れた割ぽう着を乱暴に剥ぎ取った。
「こ、これはッ、何でもないのだ!それより、そなたの用事は何だ!?」
 ジュリアスの台詞に、リュミエールは思い出したようににっこりと微笑んだ。
「恐れ入りますが、厨房を少々、貸していただけないでしょうか」
 なにいいッッ!?
 それはまずい。まずすぎる。
 あれを、この者に見られるのは……。
「厨房は……ッ、か、改装中なのだ!」
 もっと本当らしい事が言えないものだろうか。ジュリアス本人も頭を抱えたい思いだったが、リュミエールはそれを素直に信じたらしかった。
「それでは、ジュリアス様の普段お使いになる手ごろなカップと、熱いお湯を用意していただけるとありがたいのですが……」
「わ、わかった、カップと湯だな!すぐに用意する。そなたはここで待っているがよい」
 ジュリアスはひとり厨房に立つと、熱く沸かした湯を持って再び応接間に戻った。作り付けの棚の中から、いかにも水の守護聖に似合いそうな繊細な柄と造りの茶器のセットを、とりあえず二客取り出す。
「ありがとうございます」
 リュミエールは再び微笑み、その手に持っていた容器の中から何かをカップに振り入れ、湯を注ぐ。更に、これも用意していた純白のミルクをそこに垂らす。
「……これは?」
 微かな甘い香りに誘われるように、ジュリアスは思わずカップの中を覗きこんだ。
「ホットチョコレートです。陛下が、今日はバレンタインだと申しておりましたでしょう。ですから、ジュリアス様に召し上がっていただこうと思いまして、私が作ってみたのですよ。多分、それほど甘くないと思うのですが、もしよろしければ召し上がってみてはいただけないでしょうか……?」
 ほんの少し、頬を高揚させながらリュミエールが言う。

 ―――その手があったか……ッ!!!

 ジュリアスは、心の中でがっくりと膝をついた。
 なんとスマートなのか、リュミエール!!
 さすがは水の守護聖(?)!!
 一気に酔いが覚めたような面持ちで、ジュリアスは呆然と目の前のホットチョコレートを見つめた。
 このようなアイデアがさらりと出てくる彼と違い、おのれは何と頭の堅い事か……!
「あの……ジュリアス様?お気に、召しませんでしたでしょうか」
 表情を曇らせるリュミエールに、ジュリアスははっとしたようにうつむいていた顔を上げた。
「そ、そんな訳はない!……せっかくの心遣い、ありがたく頂戴するとしよう」
 なんとか見た目だけは平静を取り戻し、リュミエール手製のホットチョコレートに口をつける。
 それは温かく、ほんのりと甘く、ほんの少しだけ苦かった。
 そこいらの女子高生のように、胸がきゅっとなるのを感じる。
「良い味だ……」
 実際は泣きたいような思いで、やっとそれだけを口にした。
「ありがとうございます……。お気に召されたなら、私も嬉しいです」
 リュミエールは微笑む。
 その温かな飲み物は本当に、心の奥まで染み渡るような、まるで目の前の人がたった今見せてくれている笑顔のような、極上の甘さを持った贈り物だった。


 しかし。
 しかしだ。
 ――あのような形でリュミエールがわざわざ贈り物(?)をしてきたという事はだ。もしかして、自分は彼に、結構……好意的な目で見られているのではないだろうか。
 ジュリアスは考えた。
 もしかしなくてもそうなのだが、その点に関し、ジュリアスはかなり、ひたすらに鈍かった。
 大波乱の翌日、庭園のテラスに腰掛けながら、ジュリアスはある事ない事考えを巡らせていた。
「あ〜、そこにいるのは、ジュリアスですかー?」
 間延びした、聴きなれた声。
 視線を向けた先には、地の守護聖が嬉しそうな顔をして佇んでいた。
「ルヴァか……」
 いかにも何事も無さそうな顔で、彼と目を合わせる。
「どうかしたのか?」
「いえねぇ〜、昨日、バレンタインの事を、ちょっと調べてみまして〜」
 ぎく。
「……」
「そしたら、新たに分かった事がありまして、ちょっと嬉しくなってしまいましてねぇ」
 勿体付けたように、ルヴァは言う。
「申してみよ」
「あのですね〜、バレンタインに女性から男性にチョコレートを贈るのは、下界の中でもほんの一部の国のみで、いわゆる、大切な人同士で物を交換する国もあるそうなんですよ〜」
 本気で嬉しそうに語るルヴァの言葉に、ジュリアスは一瞬指先が震えるのを感じた。
「……なに?」
「あぁ、こんな事をジュリアスに言っても仕方ないかもしれないですけど〜」
 みるみるうちに、ジュリアスの握り締めた拳がふるふると震え出す。
 思わずガタンッ、と派手な音をたてて彼は立ち上がった。

 ……そういう事は、もっと早く言わんか――――――!!!

 ジュリアスの心の声が、庭園中に響き渡る。
 立ち尽くすジュリアスに、一瞬驚きの表情を見せるルヴァだが、しゃべり出したら止まらない彼は、更に言った。
「それでですねー。そのチョコレートを贈り物にしている国では、ひと月後にホワイトデーというのがあって、チョコをくれた人へのお返しに、キャンディやマシュマロやクッキー等をプレゼントするそうなんですよ〜。」
「………………」

 この場合、ルヴァに罪はない。
 少なくとも、悪気は確実にない。
 しかし彼の発言は、再びジュリアスをおもしろおかしな道にはまらせる事になってしまう。
 放心したように空を見つめるジュリアスの頭の上で、キャンディとマシュマロとクッキーが円を描きつつくるくると回り始めていた。

「キャンディ…マシュマロ…図書館に、レシピはあったであろうか……」
 守護聖首座の呟きが、晴れ渡った空に、静かに溶けていった。


END

☆ジュリ、マシュマロはやめとけ……(笑)。


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