スウィート・ハート バレンタイン☆ショック!―ゼフェルの場合


「リュミエール様、皆にせがまれて、バレンタインにチョコを作るんだって」
 マルセルが笑顔でゼフェルに告げた時、話を聞いた彼の表情は、この上ないほどに引きつっていた。
 リュミエールがチョコを作る?
「みんなにせがまれた、だァ?」
「うん。さすがにジュリアス様とクラヴィス様は何も言ってなかったみたいだけど、他の皆は楽しみにしてるんだよ!僕も、すっごく期待しちゃうなあ」
 まったく人が良いとはこういう人間の事を言うのか。
「はッ、暇なこったな」
 つい、そんな言葉が口をつく。
「ひどいな、ゼフェル!そりゃあゼフェルは甘いものなんて食べたくないだろうけどさ、いいよ、誰もゼフェルに食べて、なんて言ってないもん」
 頬を膨らませて、マルセルは『いーッ』という表情をしながら立ち去ってしまう。
 それを見送るような形で立ち尽くしたまま、ゼフェルはひとり、深いため息をついた。
「……ケッ、言ってろ」
 とぼとぼと、歩き出す。
 大切な人にチョコレートを送るという特別な日に、リュミエールが皆にチョコレートを振る舞うと言う。そりゃあゼフェルだって、まったく興味がない訳ではなかった。
 というか、興味なんて、ありすぎるくらい、あった。
 駄菓子菓子……もとい、だがしかし。
 普段、あれだけ甘いものを嫌う素振りを見せている自分なのに、いや、実際チョコレートのように甘ったるいものなんて、目の前にあるのも嫌なくらいだ。……なのに、今更『自分にもチョコレートを作って下さい』などと。

 ……とても、言えやしない…………。

 ゼフェルはうなだれた。
 どんな物であろうと、リュミエールの手によるものならば、それは『別格』なのだ。だが、そんな事を本人を目の前にして言える訳もない。
 こういうところがゼフェルらしいと言えばらしいのだが、今回ばかりはゼフェルはおのれの斜めさ加減を呪った。
 ――チョコが欲しい。ひと事言えれば良いのだ。
 だがゼフェルには、それは他の何よりも難しい。
「チョコが欲しい……チョコが、ほ、しい」
 普段なら死んでも口にしないような言葉を無意識にぶつぶつと呟きながら、ゼフェルは歩き続ける。
 その足は、聖地の中でも美しいと評される湖に向かっていた。


「ゼフェルではありませんか」
 案の定、今ゼフェルの頭の中の大半を占めている人物はそこにいた。
 ここは、リュミエールのお気に入りの場所で、彼は時々ここで何をするでもなく透明な水面を眺めていた。
「偶然ですね」
 リュミエールはにっこり微笑む。
 いや。いるだろうと、期待して来たのだ。
「なんだ、またあんた、ここにいるのかよ」
 ――それを狙って来たのだ。
「ええ……ここはとても落ち着く場所なのですよ」
 知っている。
「まあ、景色はいいからな」
 何事も無いように、適当な返事を返すゼフェル。……無意識なのかもしれないが。
「皆にチョコレートをせがまれましてね、どんな物が良いかと、ここで考えていたのです」
 にこにこと、人懐こそうな笑みを浮かべながらリュミエールが言う。彼がこういう表情も出来るのだという事を、ゼフェルは最近知った。
「まったく人のいい話だぜ。何が嬉しくて、ヤローがヤローにチョコなんざ作るんだか」
 ちがう!!!
 どうしてこうも、裏腹の台詞ばかりが出てくるのか、ゼフェルの身体がもしふたつに分かれる事が出来たなら、彼は自分自身を思い切り殴り飛ばしているかもしれない。
「ふふ、そう言わないで下さい。これで結構、私自身も楽しみにしているのですよ。皆に喜んでもらえるかと思うと」
 結構な事だ。俺以外の大勢のために、チョコでもなんでも作ってやればいいさ。
 お門違いの悪態を心の中でつきながら、ゼフェルはリュミエールの後方に腰を下ろした。
 水色の長い髪を、何気なく弄ぶ。さらさらと梳いたかと思うと、ゼフェルはその髪をのんびりと編み始めた。
 周りには知られていない事だが、ゼフェルはリュミエールとふたりだけの時には時々こうして彼の髪で遊んでいた。彼の器用さは、機械関係だけに限った事ではない。黙ってされるままになっていると、これが結構綺麗な形に編み上げてしまうのだ。
 彼が不器用なのは、己の感情表現に関して、くらいだろうか。
「……あのなぁ」
 繊細な髪をいじりつつ、ゼフェルが口火を切る。
「はい?」
「チョコ、だけどさ……」
 言いよどむ。
 自分にも作ってくれと、ひと言言えばいいのだ。
 作ってくれ。
 ……作ってくれ……!!
「どうしました、ゼフェル?」
「チョコ……さ、その、オ……」
「あ――――――!!ゼフェル!」
 最大限の努力は、一瞬にして無に帰した。
 突然雄叫びを上げたのは、背後に広がる林の木々の中からひょっこりと顔を出したマルセルだった。
 ゼフェルは、がっくりとうなだれた。
「こんなとこで、何やってるの!?」
「……」
 あと……あと少しだったのにッッ……!!!
「うわ、ゼフェル、リュミエール様の髪編んでたの!?」
 ゼフェルの手許に目をやると、マルセルは感嘆とも取れるため息を洩らした。
「さすがゼフェル、器用だなあ。今度、僕の髪もこんな風に編んでよ」
 真赤になったゼフェルは、勢いよく立ち上がった。
「うるせー!!」
 もの凄い勢いで身体を反転させ、その場から逃げるように走り出す。
「あ……ゼフェル!何かお話があったのではないのですか!?」
 リュミエールの言葉にも、立ち止まらなかった。

 今更言えるかぁーっ!

 冷静に考えたらもの凄く恥ずかしい場面をマルセルに見られたような気がして、ゼフェルは自分の私邸に転がり込むと高揚した頬を冷やすように、作業場の机に突っ伏した。
 ああもう、知らね―――!!


「ゼフェル……」
 うっかりうたた寝をしてしまい、聴きなれた声にはっとしたゼフェルは、目の前に立つ人の姿に驚いた。
「リュミエール……!」
「こんなところで眠っては、風邪をひきますよ?」
 言いながらゼフェルに近付いたリュミエールは、作業机の上に、ことりと小さな箱を置いた。
「?……なんだ?」
「チョコレートです。今日は、下界で言うところのバレンタインでしょう?」
 ゼフェルは唖然とした。
 あなたは興味が無いかもしれませんが、と、目の前の人は言う。
 そんな訳はない。先刻言いそびれた事を、まんまと当てられてしまったかと思ったくらいだ。
「甘いものは苦手でしょう?ゼフェルにも食べやすいように、少々は工夫したつもりなのですけど」
 困ったような微笑みを浮かべ、微かに首を傾げるリュミエール。
 この仕草に、ゼフェルは勝てないのだ。
「ンだよ……別に余計な気ぃ使うこたねーんだよ」
 皆と楽しくチョコでもつまんでりゃいいのに、とうそぶくゼフェルに、リュミエールは「食べてみていただけませんか?」と促した。
「しかたねーな……」
 内心小躍りしたいような気持ちで、しかしいかにも面倒くさそうに、ゼフェルは綺麗にラッピングされた小箱に手をかけた。
 そっと箱を開けると、小さなブロック状のチョコレートが数個、綺麗に並べられていた。そこにホワイトパウダーが遠慮がちに振り掛けられ、更にその上に小さなハートを模ったチョコチップが散らされている。
 こう言っては何だが、ゼフェルには不似合いなほど、可愛らしい造りのチョコレートだった。
 催促するようなリュミエールの視線に負け、ゼフェルはその中のひとつを口に運ぶ。
 それにはほとんど糖分は加えられておらず、普通の者が口にしたら迷わず「苦い」とこぼすような味だった。独特のコクと苦みが、前面に押し出されている。トッピングのパウダーとチョコチップが、そこにほのかな甘さをかもし出していた。
「……いかがですか?」
「……うまいよ」
 正直な感想が、素直に口をついて出る。
 実際、こんなに美味い「チョコレート」を食べたのは初めてだった。
 もっとも、チョコレート自体ほとんど口に入れた事はなかったが。
「サンキュー。気を遣わせて悪かったな」
 いかにも平静な素振りで、ゼフェルはそれだけを言う。
 内心は、それどころではなかったが。

 ハートだぞ、ハート!
 これはどう解釈すればいいんだ!!
 くれとせがんだ訳でもないのに、この心の使いよう。
 なんて奴なんだ……!

 ゼフェルの中で、すでに世界はふたりの物だった。
 感涙にむせびながら(決して表には出さないが)、ゼフェルは再びチョコレートを口に運ぶ。
「ああ、良かった……!お口にあわなかったらどうしようかと思いました」
 その様子を見て、何とも幸せそうにリュミエールは微笑む。
 ゼフェルは天にも昇る思いに包まれた。
「ジュリアス様とクラヴィス様にも、甘くないチョコレートをさし上げたのですよ。おふたりとも喜んで下さって。やってみるものですね」
 何気ない、リュミエールの言葉。

 ……なに……?

「あとはあなたが心配だったのですけど、本当に良かった」
 なに――――――!?

 天国から、一息に地獄。
 この気遣いは、別に特別なものじゃなかったてか――!?
 逆上する事も叶わず、ゼフェルは一気に底辺まで落ち込んでしまった。
 そりゃあ、そうだ。
 ちょっと考えれば分かる事じゃねーか……。
 こっちは「下さい」の一言だって言えなかったんだ。
 そんな奴が、贅沢な事を望める訳もねえよなあ……。
 貰えただけ、ありがたいってもんだ……。

 ……はあぁぁ……。

 彼にしてはずいぶん謙虚な姿勢で、自分で自分を慰める。
 先程とは別の意味でむせび泣きながら、ゼフェルは次々とチョコレートを口に運んでいった。


 彼が知らない事が、ひとつあった。
 チョコレートを配った人全員にファンシーなハートのチップをあしらうなど、いくらリュミエールでもやらない。
 このトッピングが、ゼフェルに対しての『特別』なのだが、ゼフェルがいつそれに気付くか。

 それはリュミエールの、珍しくも楽しい、上等のイタズラ心だった。

END

☆単に、ゼフェルにリュミの髪を編ませたくて考えた話っす……。


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