滅多に人の寄り付かない、むしろ到達するのも困難な高台でとククールが共に暮らし始めてから、どのくらいの時間が経過しただろうか。
まだそれほどの長い時間は経っていない。
その時間、およそ数ヶ月。
共に大地を救う旅をして、その後の、二年間の離れた生活を経て。今度こそ二人一緒にとこの丘で生活を始めて。幸せであるはずのこの暮らしの中で、ククールはほんの少しの戸惑いを覚えていた。
本当に、ほんの少し、なのであるが。
それほど重く気にしているわけでも、また、不満を持っているわけでもない。
ただ少し――すれ違いが多いような気がするな? と。
共に暮らしているのに、それとも共に暮らし始めたが故なのか。しかも何というか、原因は多分に、ではなく自分の方にある。
タイミングが悪かっただけなのかもしれないが、一緒に暮らし始めると同時に、にわかにククールの周りがせわしなくなり始めた。
ゴルドの地の整地も進み、いよいよ聖堂の建築が始められそうかという勢いになり、その準備や計画の練りこみという段になりはじめて。こういったことというのは、もくもくと身体を動かすよりも時間を食いやすい。
それだけなら、まだよかった。
そういう煮詰められた仕事をしていると、自然と周りとの付き合いも以前よりも深くなってきてしまうものだ。そうなるとともに、時間外の付き合いや仕事後の宴会、などというものも数多くなってきた。
もしもが女であったなら、嘘でも何でも「新婚なんで」とかなんとか適当なことを言ってかわすことも出来たのかもしれないが、現状そういうわけにもいかず。事情を知っている人間も数人はいないでもないが、家で待つのがであるということで、遠慮がなくなっている部分もある。
そして何が一番って、ククール自身、そういう付き合いが嫌いではないのだ。酒だって美女だってうまい飯だって大好きだ。そういう話が持ち上がればついつい――という具合で流されてしまうこともしばしば。
だって、どうしたって。
破壊されたゴルドが少しずつ元に戻って、祈りの象徴となってきた聖堂が再建されるというところまでこぎつけて。これからこれまで以上の時間がかかるとわかってはいるけれど、みんな。
みんな、嬉しいのだ。
これまでよくやってきたよな、これからもっと大変だぞ頑張ろうと。
うかれて騒ぎたくなるのは当然至極の話で。
そんな一体感とポジティヴな空気を、ククールが悪く思うはずもなく。
だからそんなに深刻に考えているわけではないが、ふと。
あれ、最近二人でいる時間が少ないんじゃないかな、なんて、思ってみる程度の話なのだが。そして自分はそうでも、のほうは不満があったりしないのかなと、ちょっと考えてみたりもする――くらいのことで。
夜が明けて朝になって。
大きな鞄を肩から下げたに、ククールは声をかけた。
「今日は早いのか?」
その言葉に、は迷うこともなく頷く。
「うん。明日非番だしさ。その流れで今日も早番だから早く帰れる」
「あ、そ……」
対してククールは、今日も遅くなること決定だった。もちろん交代制のの休みとククールの休みが合うことはなかなか無く、明日もククールはを置いて出かけることになる訳で。それでも毎日ちゃんと顔を合わせているなら、なんてことは無いのだが、そうでなくとも夜勤もあるは時間が不安定で、むしろそれに合わせてやるべきククールはこんな状態だ。
「オレ今日も遅くなるけど……」
「うん。適当に食って適当に寝るし。あ……ゼシカとヤンガスがこの前トロデーンに押しかけてきてさ、早く家に連れてけって騒いでたから、そろそろ掃除もしないとな」
その二人の襲撃なら、ククールもゴルドで受けた。
「あいつらルーラも無いくせに、実は結構暇なのか……?」
「はは、まあわからなくもないし……っとそろそろ行かないと。じゃあなー」
「ああ」
軽快に玄関を開けて瞬時にルーラで空へと舞い上がるを、ククールは見送ってため息をつく。
この僅かな時間が、二人の交流の時間。ククールが帰る頃にはは寝ていることも多かったし、そもそも朝の時間から合わないこともある。
ゼシカたちを呼ぶにしたって、いつ二人が揃って身体を空けられるのか。はいつも機嫌がいいし、だからククールもそんなに気になる訳でもないけれど。やはり、若干の不安が無いわけではない。
けれど、不可抗力……だし。
「仕方……ないよなあ」
自嘲気味に呟いて、ククールも小さな家を、後にした。
日が暮れる頃には家に帰りついたは、細かい仕事を片付けてしまった後で、昨日読みかけていた本の続きのページを開いた。随分厚い兵法の本だったりするが、そろそろ終わりに近づいている。最近は本を読むことも多くなっているからだ。
ふと思いついたように、は本から顔を上げた。
「明日、出勤にしようかなぁ……?」
せっかくもらった休みだが、ここでこうしていても、結局ひとりだし。暇を持て余しているくらいなら、城で働いていた方がいいような気もしてくる。
「いやけど、ククールがもしかしたら早いかもしれないし」
もしも、万が一早い時間に上がってこられたとして、その時に自分がいなかったら、ククールががっかりしそうな、そんな気がする。それはちょっといただけない。
「……」
は、開いていた本をパタンと閉じる。その上で組み合わせた両腕に、力の抜けた頭を預けた。
「……つまんない、な……」
一方ククールはというと。
なんというか、訳のわからない状況に陥りつつあった。
「ククール様……♪」
「お、おいおい……ちょっと」
宿屋のなかでも、明らかに恋仲の二人のためにあつらえられたような部屋のベッドの上で、ずりずりとにじり寄ってくる女に追い詰められているククール。
なぜ、こんなことになった?
たしか日が暮れて、その場にいたメンバーがはじけて。一番最初に再建された宿屋でいつものように宴会に突入するのに引っ張り込まれて。設えられたカウンターでチビチビやっていたククールの傍に、ひとりの美女が近づいてきたのだった。
はて、今日のメンバーにこの顔はあったかな、と思いつつ、もちろんキレイどころは嫌いではないククールだ。「いい場所があるからそこに行っておいしいお酒飲みませんか?」などと伏せ目がちに誘われて、二つ返事でついてきてしまった。
そして気付けばこの状況。
「ククール様……陰でずっとお慕いしていたんです!!」
潤んだ瞳でのしかかってくる美女。まずい、目がマジだ。
その気が無いなら女の身体など簡単に押しのけて逃げられるはずなのだが、今のククールにそれは不可能だった。周到にベッドに取り付けてあった金属製の枷。ククールの両腕は、それでしっかりと拘束されていた。
あれっと思った時には遅かったし、相手が女という油断もあった。こんなケースには遭遇したことがなかったし、大体いつものククールなら、こういう思い込みの激しいタイプや本気になりそうな女には、自ら近づかないように心がけている。それが女性との、あとくされの無い円満なお付き合いの秘訣だ。
少し飲みすぎたのか、カンが狂った。
このベッドごと引きずってでも逃げられないものか。いや、ちょっとそれは不可能か。もし出来たとしても、その拍子に相手に怪我でもさせてしまうかもしれない。いくら何でもそこまでは。
「ちょっと、お嬢さん……」
勘弁してくれ。
不肖ククール、抱きたくもない女に拘束された上に、のしかかられて身体を奪われる趣味は持ち合わせていない。
「ククールさまあ……!!」
「うわあ!」
助けてくれえ、と情けなく叫びそうになった。
バ――――ンッ!!
勢いよく、扉が開かれた。
「きゃあッ」
「ちょっと、そこの女ぁ!! アタシたちのククールに、何やってんのよォーッ!!」
合鍵を持っておろおろする宿屋の亭主を尻目に、見知った顔の女が三人、部屋の中に乗り込んできた。
「ちょ、なに、なんなの!?」
「こっちのセリフよ、このアバズレ!! ククールにはねぇ、アタシたちの間で不可侵条約が結ばれてるのよ!」
「清く、正しく、見目麗しく! それがアタシたちのモットー!」
「どこの馬の骨とも知れない女が、気安くククールの上に跨ってんじゃないわよ!!」
ククール呆然。
つうか、こええ……。
二人がかりで女を部屋の外に引きずり出す中で、ひとりの美女が探し当てた枷のカギを外しながらククールにしなだれかかった。
「もう、ククールったら。あんな下品な女に捕まっちゃダメじゃない」
「ダ、ダリア……」
よく知った女の名を力なく呟くククール。
助かった……。
何がなんだかわからないが、とにかく助かった。
「いや、ホントに感謝。どうしてここに?」
「ククールがあの女とカウンターを離れるの、見てたのよ。あんな女、アタシたち知らないじゃない? だからおかしいわねー、あれ誰ーって話してて、そしたら部屋の予約してあるっていうじゃない。こりゃ大変だわって、宿の主人にカギ出させたのよぉ」
「はあ……」
「ククール、最近特にハメはずさないでしょぉ? きっとあの女にハメられてるんじゃないかって、アタシたち助けに来たのよ!」
いやもう本当に、女の団結は頼りになるというか、怖いというか。
まあ一番情けないのは……自分だということは間違いない。
「サンキューな、ダリア。だから好きだよ」
「もう、ククールったら!」
嬉しそうな笑顔で擦り寄ってくるダリアの肩を、自然な流れで抱き寄せた。密着すれば豊満な胸が己の身体に柔らかく当たる、あまりにも細い肩。当たり前だが、とは、全然違う。
「ククールきっと、厄日なのね。今日はもう帰った方がいいんじゃない?」
あの女はこっちできっちり話をつけておくし、なんて笑顔で言うダリアに、ククールは曖昧に頷いた。どのように話をつけるのかなんて、怖すぎて想像もしたくない。
「そうするわ……酔いも一気に醒めたしな」
仲間に軽く挨拶を残してライドンの塔まで戻ったククールは、そこから足早に丘の上の家へと向かった。
激しく自己嫌悪。
何をやってるのかな、自分は。
をひとり残して仲間との宴会に興じて、あげくに油断して女に身体を奪われそうになって、それを別の女に助けられて。バカみたいだ。情けない。
とはあまりに違った細すぎる肩。一瞬でそれを認識してしまうほどに、この腕はを抱いていたではないか。
嫌いではない程度の付き合いとと、どっちが大事だって?
本当に抱き寄せたい肩は、ダリアのものではない。
ベッドの中で裸で抱き合いたい人間なんて、今はたったひとりしかいないんだ。
たったひとり、たったひとつしかないのに、それを失ったら自分はどうなる? あとには何ひとつ残らない。
急に、どっと疲れた。
思えば長い間、勢いで走り続けていたような気がする。らしくもなくがむしゃらに、ろくに休みもしないで。それもこれも何のためか。
と、あの家で暮らすためだ。
それを思い出したら、顔が見たくてたまらなくなった。
常人ではありえない体力でもって、切り立った崖の上にある家へとたどり着く。
それでもそっと、その入り口の扉を開いた。
――もう寝ているかもしれないし。
入り口をくぐってすぐの場所にある居間のような空間に、明かりは無かった。それはいつもの事だが、そこにあるテーブルの上に何も用意されていないのを見て取って、ククールはあからさまに肩を落とした。
いつもなら。
それでもいつもは、夕食の作り置きが用意されているのだ。食べようが食べまいが、どんなに遅く帰ってくる日も、欠かされていたことはない。
――さすがに、そろそろ愛想尽かされる頃かな……。
そう思うと、本当にがっかりしてしまう。の行動にではない、そこまでさせてしまった自分のふがいなさにだ。
は、自分の奥さんではないのだ。
それでも毎日そうやってククールの帰りを待っていてくれたのに。
寝ているかと思って、の部屋の扉に手をかけた。
この家には三つの部屋がある。大抵一緒にいる居間のような少し広い部屋と厨房は一体となっていて、そのほかにククールとのそれぞれの部屋。ベッドは両方の部屋にあって、でもまあ大抵はどちらかの部屋で二人で潜り込むのが常だ。ただなにか調べ物とかうるさくしないといけない時とかのために、一応個室を用意しているだけで。
静かに扉を開いて、ククールは一瞬動きを止めた。
がいない。
「どこ行ったんだ……?」
眠っているわけではないのに、家の中にの動く気配がない。
「遊びにでも行っちまったかな……」
マイペースなではあるが、一緒に暮らし始めてから、ククールに無断で行方不明になるようなことはなかった。それだけに、ちょっとこの現実が胸に迫る。
まさか本当に愛想尽かされたり、なんてこと……。
今朝までは普通に振舞っていたのに。
でもそれだって我慢してたのかもしれないし。
というか、こうなってからあれこれ考えるのでは遅いと知っていたのに、結局はこういう風にしかなれないのか、自分。
ため息をついて、短い廊下をはさんだ自分の部屋へと向きを変える。
扉を開けて、息を呑んだ。
はそこにいた。
ククールのベッドに腰掛けたまま後ろに倒れたような格好で、なぜか空の桶を抱えたまま、眠っている。
「…………?」
とりあえずそこにいたという安堵と戸惑いで混乱しながらも、ククールは部屋の明かりを灯してに近づく。と、その眠りは浅かったらしく、すぐには目蓋を開いた。
「うわっと!? あ、ククール? 早かったな、おかえり」
「ああ、ただいま……」
キョトキョトとあたりを見回すの様子から察するに、ここで眠ってしまった自分の状況をイマイチ理解していないのかもしれない。ややあって、ガリガリとその頭を掻く。
「ククールの部屋の掃除……しようと思ってたんだけどなぁ。桶抱えたまま寝ちゃうって、なんなんだオレ」
ははは、と笑うに、ククールも曖昧に笑ってみせた。
ククールのベッドの上でうっかり眠ってしまったらしい。そんな彼はおそらく、ククールのベッドの上に腰掛けていたということで。ひとりでこんなところに座り込んで、彼は一体何を思っていただろう。
一瞬目を閉じたククールは、の抱えた桶をやんわりと取り上げて、栗色の髪を静かにかき回した。
「オレこれから何か作るけど、腹減ってねえ?」
「え、ククール何も食ってないのか? ってだって、あれ?」
は慌てたように立ち上がって、部屋を飛び出した。
「おい、?」
後を追えば、は厨房でテーブルを凝視している。よく見てみれば、そのテーブルから少し離れた調理台の下に、小さな籠が落ちていた。ククールが追いつくのと同時に、は流し台によじ登って、開け放ったままだった小さな窓から顔を突き出した。
「あーあーあー……」
「一体どうしたよ、?」
窓から顔を戻してククールを振り返ったは、なんだかもう泣きそうな情け無い顔をしている。
「せっかく今日はじめて焼いた木の実のごっそり入ったパン……すげえうまく焼けたのに、外でスライムが群がってる……」
「スライムぅ!?」
そういえば、これまでパンを家で焼いたことはなかった。いつも町で購入したもので済ませていたのだが、、暇に任せてか突然チャレンジする気になったらしい。
のだが。
初めて焼いたという手作りのパンは、スライムによって窓から持ち出され、おいしくいただかれてしまったらしい。うっかり窓を開けておくものではないという訳か。
がっくりと肩を落とす。
「ゴメン、ククール……。あーもう、悔しいなぁ!」
「いや謝るなよ……パンがうまそうだったからだろ?」
「だけどせっかくククールに……」
ぶつぶつと呟きながら、は棚の中をあさりはじめた。たしかチーズと干し肉くらいはあったはずだとひとりごちる。
「まあいいからいいから。機嫌直せよ、ほら」
果実酒の芳香をぐっと引き出すと言われて買った木製の杯に酒を注ぎ、ククールはそれをに手渡した。
「はあ……」
調理台にドッカリと寄りかかってその酒を一口なめるを、隣に立ったククールはおかしそうな表情で見つめた。
本当は、泣いてしまいそうになっていたのだけれど。
いつもいつもをこの家にひとりで残して。寂しい思いをしているんじゃないかと考えつつも、まさに考えるだけで。仕方ないなんて自分に言い訳しながら、いざとなったらもう愛想尽かされたんじゃないかなんて勝手に不安になって。
そんなに短気じゃなかった、そんなに心が狭くなんてなかった、は。
ククールに一番に食べさせようとパンを焼いて、一緒に暮らすその人のベッドの上で物思いに耽って、帰ればちゃんと、おかえりと迎えてくれる。
もう嬉しいやら、申し訳ないやら。
「ごめんな」
の顔を覗き込んだククールの呟きに、言われた本人は目を見開いた。
「へ? なに謝ってんだ?」
ククールの顔をマジマジと見返すは、本当に何を謝られているのかわからないのだろう。
「オレずっと、お前の事ひとりにしてたよな」
「うん」
あいたた。
「ゴルドの立て直しも忙しかったけど、それ以外の事だって結構あったし、ホントは断わったっていい付き合いなんていくらでもあったし、でもオレもこんな性格だから、そういうのも嫌いじゃなくて、お前が怒らないのをいい事に、好き勝手やってた」
「……」
「せっかく二人でいるのにそんなんで、お前が寂しくないはずないって思ってるのに、状態はまるで変わらないままで、そのくせいつかお前に呆れられるんじゃないかって勝手に思い込んでるだけで……全然さ」
全然、お前のためにしてやれてることが、なかった。
そして、今の仕事が忙しいのもまた事実で、これからもそれはしばらくの間続くはずで。どうしようもないことだけれど、それをやめるつもりはさらさらなくて、だからこそもっと、の事を考えなければいけなかった。
なのになんでお前は、こんなにオレのこと許してくれる。
言い募るククールの言葉を、口をへの字の形にしたままで聞いていたが、困ったように微笑んだ。
「ククール、お前ね」
「ナンデスカ……」
多少の愚痴を吐かれるのは覚悟の上のククールだ。そのくらいのことしか、今の彼にはしてやれることがない。
「オレたち、好きあって一緒になったんじゃん」
「……」
「そんな小さいことで、いちいち怒ったり呆れたり愛想尽かすなんてないよ。お前オレのこと忘れてないし、ちゃんと毎日帰ってくるじゃんか」
「それはそうだけど」
「住める場所用意しろなんて、我侭なことをオレ言ったよ。お前やってくれたろ。オレもお前も、今までちゃんとした家もなくて、仲良く一緒に暮らす家族もなくて」
だからククールとそんな風になれたのが、とても、嬉しかった。
それをククールが与えてくれたことが、本当に嬉しかった。自分の一番好きな場所に、誰よりも好きな人が、帰る家を作ってくれた。
「やっと、取り戻したんだろ。失くしてしまうかもしれなかったこの世界、やっと取り返したんじゃないか。オレとお前と、ゼシカとヤンガスと王様と姫と……他にもたくさんの国で土地で、数え切れないくらいの人の力を借りてさ」
そうでなければ今、ここで生きている自分たちだって存在していなかった。
「せっかく取り戻したこの世界で、ククールはもっともっとたくさん遊んでいいんだよ。働いて遊んで、酒ももっと飲んでいいし、うまいもの食っていいし、ここで暮らす人たちと、もっと、もっと語って笑い合って、楽しんでいい」
は空いている片手をククールの腰に回すと、己の肩と頭をギュウ、と彼の身体に押し付けた。
「そんで何があったって大丈夫だよ。オレは、絶対にオレはお前の傍にいるから、お前は何も心配しなくていい」
言葉が無かった。
ククールには、すぐに返せる言葉が無い。
「クソッ……」
だからその肩を抱きしめるしかなかった。
ああそうだ。誰よりも一番抱きしめたかった、の身体だ。
下らない不安を抱いている場合ではなかった。この男に惚れた自分と、惚れてくれたこの男のことをもっと誇るべきだった。
「なあ」
「うん?」
ククールの呼びかけに、が肩に寄せた顔をついと上げたから、つい口付けてしまった。予想外の事に顔を赤くするは今でも初々しくて、自然笑みが零れてしまう。
「明日の休みさ。お前もゴルドに来ねえ?」
「……えッ?」
「せっかくの休みだからと思っていつも言わなかったんだけどさ」
「いや、ひとりで暇してるよりはずっといいけど……けど、いいのか?」
瞳を大きく見開くの反応に、やはり最初からこうしていた方が良かったのだと確信が湧く。
「いいんだって。本当はゴルドの連中にもさ、他の連中は元気なのかとか、年中訊かれてたんだよ」
の事を慮っているつもりで、でも彼にとってどちらが嬉しいことかなんて、本当は考えるまでもなかった筈だ。
「あ……ああ。行きたいな、オレ。行ってお前のこと手伝いたいし、今のゴルドも見てみたい。ホントにいいのか?」
「当たり前だ」
やったね、などとはしゃいでは素直に喜ぶ。
ふと。
あれ、と思っては顔をあげた。
「どうした?」
ククールの問いかけに言葉も返さず、は一点を見つめ続ける。
自分の中の何かが組みかえられるような。カチリと何かがはまるような、それでいてやんわりと、自分の力の形が変わるような。これはこれまでに何度も感じたことのある感覚で。
「……まさか」
いきなり身体をはがして扉の外へ飛び出したに、ククールは面食らった。
「!?」
追って外に出てみれば、は振り返りもせずに数十メートルも離れたところまで駆けていってしまい。ピタリと止まったその身体が急に発光した。
唱えていたのは、ルーラの呪文。
「おいおい!」
どこへ行く気かと、瞬時に高く飛び上がったを目で追うが、その姿はあっという間に掻き消える。
シュンッ。
「うわあ!」
ルーラで消えたが目の前に現れて、ククールは仰天した。思わず後ろによろめいた彼だが、自身も目を見開いてククールを見つめている。
「ななななな」
「ク、ククール……ルーラ」
「へ?」
「ルーラ、できた……」
「へッ!?」
これまでこの場所には、ルーラで帰ってくることができなかった。だからククールはと暮らすために道まで作って、二人とも最寄のライドンの塔からここまで自力で帰ってきていたのだ。
「うっそだろ……」
「うそじゃないって……ククール!!」
思いっきり、に飛びつかれてククールはよろめいた。
「うわっとと」
「ルーラできるんだよ、ククール!!」
ギュウウウ、と、締め付ける勢いでククールの身体を抱きしめるの顔を、ククールはあれ、と思って覗き込んだ。
「……お前泣いてんの?」
「見るな見るな見るな! 泣いてない!!」
思い切り否定しながら、それでもはククールの胸から顔をあげない。
「お前……」
「オレたちの……オレたちの、家……ッ、やっと、か、帰れる場所に……オレ、ここに……帰っ……て……ッ」
本当に滅多な事では、は泣いたりしない。それどころか、こんなにも取り乱した姿は、多分初めて見る。
予想だにしなかった衝撃は、それほどまでにの胸を撃ち抜いたのだろう。
この現実に泣くがどうしようもなく愛おしくなって、ククールはその身体をきつくきつく抱きしめた。
「そうだよ。帰ってこられるんだよ。お前がこの家のこと……オレのこと、本当に好きでいてくれるから、神様がご褒美くれたんだ」
そしてその力は、ククールの中にも。
帰還の力を持つ二人がこの家に帰ってくることを、二人の中の力が、認めた。
「誰にも否定できない。ここがオレたちの家だから」
「うん」
「ここがオレたちの帰る場所だろ?」
「うん……そうだよ」
お前の許に、いつもオレは帰るから。
耳元で囁いたククールの頬に唇を押し付けて、はまたその首に抱きついた。
出逢えてよかった。
ありがとうとか、大好きだとか。何度言ってもきっと言い切れない。
何度言っても言い足りない。
だからそんな二人は抱き合うのであって、きっとそれを相思相愛と呼ぶのだろう。
いつの日か、もしもこの家を離れる時が来ても。
この力と記憶のなかに、それは消えることなく。
いつの日か、もしもこの家を離れる時が来ても。
君だけは、絶対に、絶対に――はなさないよ。
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スライム、パン食うの……?
このお話には実はテーマになっている歌がありまして、正式タイトルが決まるまで、打ち込んでいるテキストファイルの暫定タイトルには、ずっととある演歌のタイトルが書き込まれていました(笑)。わかる人にはわかっちゃうな……;;
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