母が、早速新たな許婚候補の男性を連れてきた。
あの長かった旅から1年ほど。娘の安定を望む母からすれば、充分すぎるほど待ったつもりなのだろうが、当の娘にしてみれば、早速としか言いようがない。どうせいつかは身をかためなければならないのだろうし、母の意向を汲まなければという思いもなくはない。が、まだ早いという気持ちも大きい。
その人は、亡き兄サーベルトにどこか似ていた。
精悍な面立ち。優しくリードを取る、頼りがいのある腕。穏やかな眼差し。何においても無理強いすることなく、嫌味のない強さで形どられた包容力は、並大抵の男たちが持ちえるものではない。
娘の家出や世界の危機を経て、母の心境にも何か変化が起こったのだろうか。家柄も悪くはなかったが、それ以上に人柄を重視して選んできたように見受けられる。
彼は、夫にするには申し分ない男だった。
「私みたいな暴れん坊な女と結婚なんかしていいの?」
景色の良い丘を散策しながら、ゼシカは彼を振り返る。上等な布を惜しげもなく使用したスカートがふわりと空気を含み、緩やかな風に乗った。
彼は笑う。
「君は自分で言うほどおてんばな子じゃあないよ。元気があって、自分の意志をしっかりと持っている、とても素敵な女性だ」
ククールに負けない口のうまさだ、と思う。けれど、少しも嫌味じゃない。きっと本心からの言葉だろう。
「おてんばどころじゃないわ。色んな洞窟や廃墟なんかに潜り込んで、モンスターと戦ってお宝強奪、みたいなこともしてきたし、そう、まるでお化け屋敷みたいなところにも行ったわね」
そしてはてには暗黒神を打倒した、とまでは口にはしなかったが。
あれももう、懐かしい日々だ。
「それは怖いな。恥ずかしい話だけど、ボクはオバケはあまり得意ではないんだ」
彼は笑う。
まるでヤンガスみたいなことを言う人だ。彼もたしか、得体の知れない幽霊や化け物みたいなものを怖がっていたっけ。目の前の笑顔は、ヤンガスというよりはと印象がかぶるような気がするけれど。
彼は笑う。
穏やかな、彼らに似た瞳で――笑う。
この人となら――と、一瞬の思いが頭を掠める。
兄にもククールにも、ヤンガスにもにも似ている男性。
けれど。
彼らに似ている彼と、それがはっきりわかってしまうほどに、いちいち比べている自分。
多分、そうだ。
自分は確認しなければならない。確認して納得して、それから決めなければ。そうでなければ、思う通りにと決めた、自分の生き方そのものに逆らうことになる。
今自分は自分なりの、人生の岐路に立っているはずだ。
「ねえ――旅に出たいの」
大きく息を吸ったあとで、ゼシカは小さく呟いた。
「旅?」
「ええ。行かなければならないところがあるの。行って確認してこないと。そうでないと私、あなたと結婚して幸せになれないだろうし、あなたを幸せにもできないと思う」
それともあなたにとっては、結婚と幸せは別物かしら? とイタズラっぽく呟いてみせれば、やはり彼は笑顔のままで。
「ボクにはまだ、君のやりたいことを止める権限はないな。行きたいところがあるなら行ってくるといいよ。ボクは焦るつもりはない」
優しい人。
こんなに穏やかで優しく、ゼシカを甘やかしてくれる男性には、今後多分お目にかかれることはないだろう。それでもその男性をおいて、自分は遠い場所へ行こうとしている。できればこの優しい人のところへと戻って来たいとも思うが、旅に出た自分がそれを望むかどうか。それは今はわからない。
「ごめんなさい。ありがとう」
ゼシカは彼女らしい明るく美しい微笑みを、彼に見せた。
ありがとう。こんなわがままを許してくれて。
ごめんなさい。もしも、もしもここへ――帰ってこなかったら。
ごめんなさい。
「ボクはずっと待ってるから」
そう言った彼がその後呟いた言葉は、ゼシカには聞こえなかった。それはあまりにもささやかすぎて。
「君の勇気と強さのおかげでボクが今ここに生きていることを、ボクは知っているからね――美しい勇者さん」
結局母には、置き手紙だけを残してきた。この期に及んでまたかと止められるのがオチだし、口論することで決心をグラつかせたくなかった。
そうして向かったのは、トロデーン城。
「元気〜?」
陽気なゼシカの笑顔に、も面食らうことなく歩み寄ってくる。ここに来ることは事前に連絡しておいたから、それも当然だろう。
「ゼシカも元気そう。もっと頻繁に遊びに来ればいいのに」
「色々あるのよ、これでも。トロデーンのみんなも元気そうで安心したわ」
王と姫には先に目通りしてきたから、息災なのは確認済みだ。
「でもどうしたのさ。何かあった?」
ついとゼシカの顔を覗き込むに、ゼシカはつい微笑んでしまう。ほんの少しだけ背が伸びたらしいの、その癖は変わっていない。
「なんでそう思うの?」
「んー? ちょっと浮かない顔に見えたから」
それほど表情に出していたとは思えない。はそういうところに妙に敏感なのだ。それは彼の優しさゆえに。
促されるままに、ゼシカは城の長い廊下を歩く。場内には景色のいい中庭もあるのだが、あえてそこには向かわず、は人の少ない図書室を目指しているようだ。ゆっくりと話が出来る場所にと考えているのだろう。
「あなたのそういうところを見に来たのよね……」
「うん?」
「んーん」
特に繊細なわけでもないのに、いちいち細かいところに気のつく男。自分のことには結構大雑把なのに、他人のことは案外見逃さない。
少し逞しくなったような気がするその手に指し示されて、ゼシカは図書室の壁に沿うように置かれた座り心地の良い椅子に腰を下ろした。もその隣に腰掛ける。
話さなければならないだろう。
なんでもない、ととぼければ、は無理に聞き出そうとはしない。けれどそれでは意味がない。今思うことをどうすればいいのかを、確認するためにゼシカはここまでやって来たのだ。
「私、このままだと近々結婚することになるのよね」
できるだけ自然体を心がけてそんな風に言ってみたけれど、さすがにの目が丸くなった。
「結婚? そりゃあおめでとう」
心から、といった感じでもなく、はそんな風に言う。結婚という単語に対して反射的に出る言葉をそのまま口にした感じだ。
「まだ決まってないわよ。結構迷ってるんだから」
「そんな感じだね」
引くでもなく後押しするでもなく、はただ微笑んで次の言葉を待つ。本当に変わらないなと、そう思う。
「サーベルト兄さんに似てるわよ。あなたにもククールにも、ヤンガスにも」
「そりゃすごい人だね」
まったくだ。
とても大切な人に良く似た人。だから、確認に来た。この目でもう一度見ようと。
ゼシカは隣に座るの肩に、その頭をコトンと預けた。その程度では微動だにしないぬくもりも、少しも変わらない。
「いずれそういう話も来るだろうって思ってたわよ。普通に生きていくなら、それも必要なことかもしれないって。でも早すぎるって気もするし、もしかしたら何年経ってもその気になれないかもしれないし、結構ぐちゃぐちゃ思い悩んでるんだから」
は椅子に投げ出されたゼシカの手を、ポンポンと軽く叩いて彼女の手に自分のそれを重ねた。何を言うでもなく、ただ宥めるようなその仕草をゼシカは心の真ん中で受け止める。
彼の手を、ゆっくりと握り返した。
やっぱり、彼は彼だ。は、のまま。彼の優しさは、彼の優しさ。
他の人との結婚を、邪魔しようとする大きな存在。
あまり良くない決定をしてしまいそうな、予感がする。
「確認に来たの。あなたが彼に似ているのか、彼があなたに似ているのか」
ずっと一緒に旅したこの人に、あの人が似ているのか、今そばにいようとする身近なあの人に、この人が似ていたのか。
「あなたがもっと過去の人だったら良かったのかしらね? 時間が解決してくれたのかしら。そんな簡単なことじゃないような気もするけど」
「うん」
結婚がもっとずっと先の話だったら。そんなもしもは、考えも及ばない。ゼシカが生きているのは今だ。そして今の自分が望んでいるのは。
あの人との結婚じゃない。
そう――思ってしまった。
自分がそばで生きていたいのは。
「あの人じゃないじゃないのよ。もう――勘弁してよ」
それは確信。
迷って訪ねてきて、結局この結論に至ってしまった。多分そうなるんじゃないかという予感も、なくはなかったのだが。
周りが用意してくれる最良の道を、なぜ自分は選べない。なぜこんなに我が強いのか。周りとの調和を考えた最良よりも、自分にとっての最良を優先させてしまう。呆れもするが、だからといって生き方を変えることもできない。何よりも自分の気持ちに嘘をつきたくない。
「ゼシカ」
「うん」
柔らかく握った手もそのままに、はゼシカに呼びかける。ゼシカも肩に乗せた頭をはずすことなく頷いた。
「それでゼシカはどうしたいの? オレと結婚でもしたい?」
直球な言葉に、ゼシカは大きくため息をついた。
「そういうことでもないから困ってるのよね……」
あの人よりもこの人と一緒にいたい。この人と共に生きて行きたいと思うけれど、じゃあ所帯を持ちたいのかと問われれば――それはかなり違うような気がする。
とても大切な人。けれどそれは、結婚とかいう行為と結びつかない部分で。だけれどこの思いがある限り、他の人と結婚なんて、とてもできない。
「いっそ駆け落ちでもできる気持ちだったら、まだ迷ったりしなかったわ。何もこんな中途半端な気持ちじゃなくたっていいのに」
諦めにも似たため息。
けれどそれを否定した。
「半端なんかじゃないよ。逆にそれは、究極なんじゃないかな」
「そうかしら」
なんでそんな風に言ってくれるのだろう。こんな風にちゃんとした形に出来ない思いを、は受け止めてくれる気でいるのだろうか。
「ゼシカ……旅に出ようか」
ふいの言葉に、ゼシカは仰天した。
「旅?」
「うん。オレたちが出逢ったあの時みたいに。今度は討伐なんてことしなくていい、気ままな旅」
暗黒神に脅かされていたあの頃と違う、みんなが普通に生きている世界を。そんな理想を、実現してしまっていいのだろうか。
「あなたと二人で?」
「いいや――みんなで」
みんな、で?
「はい、お待たせしました、お嬢様」
唐突なその声に、ゼシカは今度こそ飛び上がる勢いで驚いた。
「ククール!?」
聞き間違うはずもない、その声。
「このククールを差し置いて、結婚なんて寂しい真似をしてくれるなよ、ゼシカ」
気障なウインクと共に歩み寄ってくるククールに、大きく目を見開いたゼシカはの顔を凝視した。
「なに? なんなの!?」
「ククールはよく城に来てるんだよ。ゼシカが来るっていうから、連絡しておいた。……それに、話もしてたんだ」
「話?」
ゼシカの疑問には、ククールが答えた。
「また旅がしてえなって話。もしもそんなことがかなうなら、また全員でってな。そしたらゼシカが丁度良くそうしたいってことじゃん。ヤンガスも結構暇そうにしてたぜ」
そうしたいなんて、まだ一言も言ってはいないけれど。けれど。
本当に、そんなことが。かなうなら。
「そんな……」
「ゼシカ。一緒にいたい人と、やりたいことをやろう。少なくともゼシカの一方的な気持ちじゃないんだから」
「そうそう。オレたちみんな、相思相愛ってな」
両腕を広げたククールが、ゼシカとの頭をまとめて抱え込んだ。
懐かしい空気に、ゼシカは目を細める。
「オレたちずっとこのまま一緒にいていいと思う。もしも形が変わりそうな時は、その時にまた考えよう。みんなで」
静かな、の言葉。
無茶苦茶に思えるようなことも、みんな一緒なら。ひとりだけじゃなくて、みんな同じ思いで生きていけるなら――。
迷って、ここまで来た。
そんな自分に指し示されたひとつの道を、選択するのは間違いじゃない。きっと。
「――うん」
うなずいたゼシカに、とククールは笑った。ゼシカも笑った。
ごめんなさい。
ごめんなさいね、婚約者殿。結局あなたのところに戻れなくなってしまって。あなたはもしかして、わかっていたのかもしれないけれど。
ごめんなさい、お母さん。置手紙だけで出てきた娘は、また長いこと戻ることができません。親不孝は承知の上ですけど。
約束します。
いつか――いつか。
またそこに戻れる時が来たら、たっぷり謝るから許してね。その時は、何よりも大切なこの人たちと、一緒に。
これが私の幸せですと、胸を張って告げる娘を、どうか笑って許してね。
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氷村の自作曲タイトルシリーズ第二段〜。<いつシリーズになったんだよ。
まあちょっとした理想論なんですが。この人たちが、こういう風であってくれたらいいなあという、氷村的エンディング後の理想の形です。
しかし、いい加減氷村、相思相愛好きだなあ……(笑)。
ゼシカと主人公、恋人ではないけれど、恋人っぽい会話をさせたかったのでした〜。いつまでもいちゃいちゃしててほしいです。この人たちには。
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