UP20020412

いつかのクリスマスに





 白い雪の舞うクリスマス。
 街並みに慣れていない様子の二人連れが、雪の通りを歩いていた。
「ルミネ。愛想良くしろなんてもう言わないけど、お行儀良くするのよ」
 一方の人物、ふくよかな老婦人が、小さな連れに言い含める。
 ルミネは、小年型のピノッチアである。
 少し前まで可愛がってくれた老紳士が亡くなり、新しい主人のところまで連れて行かれている最中である。
「なんだって、もう……」
 老婦人は、嫌々という態度を隠そうともせず、ずかずかと道を歩く。
 ルミネを、一族の誰かに託すようにというのが、老紳士の遺言だったのだ。変わり者の彼以外、周りに人形に興味のある者などいない。いたとしても、既に別のピノッチアを所有していた。その中でようやく、ルミネを引きとってもいいという人間が見つかったのだ。
 先立った者の言葉を尊重するために、彼女は仕方なくこうしてルミネを連れて新しい主人のもとまで出掛けているという訳だ。そうでなければ、こんな面倒な事などせずにとっくに人形などその辺に捨て去っている事だろう。
 残酷な話だが、現実問題としてそういうケースは少なくなかった。
 ピノッチアと人間の寿命は、あまりにも違いすぎる。人間が死んだ後も、精巧な作り物であるピノッチア達は、その身体が壊れるまで生き続けるのだ。
 そして、ピノッチアを所有するのはほとんどが貴族であるということでもわかる通り、彼らを手許に置くためには結構な金がかかる。綺麗な衣装を着せたり、品評会に出したり。ただ所有しているだけでは、対面上よろしくない事になる。それが嫌なら人形など持たなければいいのだが、そこはそれ、流行物に弱いのが人間である。それに、本当にピノッチアに心の拠り所を求める人間もいた。
 何にせよ、ピノッチアは人間のために、人間によって作り出された物であるから、彼らは人間に従うしかない。
 ルミネは、多くの主人のもとを流れ歩いていた。
 最初の主人が誰であったかなど、とうの昔に忘れてしまった。
 多分昔は、それでも主人に好かれようと一生懸命にもなったのだろうけど、そんな事も、もう憶えていない。
 沢山の主人。沢山の――別れ。
 その度に哀しまないでいるためには、感情を忘れるしかなかったのだ。きっと、最初はとても繊細な心の持ち主だったのだろう。
 本当に長い事生きてきた。それこそ、いつ生まれたのかも思い出せないほど。もう、たくさんだとも思う。けれど、人間のそばでなければ、ピノッチアはまともに生きられない。自分でこの身体を壊してしまおうとは、ルミネは何故か思わない。それでもまだ、生きていれば何かがあるかもしれないと、それを待っているのかもしれない。

 不意に、通りの傍に影を見つけてルミネは立ち止まった。
 ぼろぼろになった衣装に身を包んだ、古ぼけたピノッチアが、そこに座り込んでいた。うっすらと雪に包まれはじめたレンガの壁に寄り掛かり、ぼんやりと風景を眺めているように見える。
「きみ……何してるの」
 ルミネの声に、そのピノッチアはゆっくりと彼の方を見た。
「なんだ、お前は」
 居丈高に、ルミネを睨み付ける彼。
 ひと目で、はぐれピノッチアだという事がわかる。その古さから、相当長い事主人無しで過ごしてきたのだろうという事が見て取れた。
 彼は名前を、ポチョムキンといった。
「僕は、ルミネ」
 ルミネの言葉も、彼はあまり興味のなさそうな態度で斜に聞く。
「君は何でこんな所にいるの。君の、ご主人様は?」
「そんなものはいない」
 彼の主人は、とうの昔にこの世を去ってしまったらしい。
「俺は、最初の主人以外に飼われようとは思わん。あの時こそが、もっとも輝いた栄光の時だったからな」
 彼のようなピノッチアも、少数ながら存在する。
 主人亡き後、誰かに流れる事無く、壊れ朽ちるまでたった独りで過ごす。
「この街の人間は、皆いい奴等だ。俺がこうしていても誰も咎める事をしないし、余計なお節介を焼く事も無い」
 居心地が良いので、ポチョムキンはもう長い事ここに住みついているらしい。
「僕とは反対なんだね。僕は……もう何人のご主人様と生きてきたか、わからない」
 ルミネは、ふと目を細めた。自分には、彼のような生き方はできない。それどころか、過去の事などほとんど憶えてはいないのだから。
「そういう生き方も、あるだろう」
 ポチョムキンは言った。
 口には出さなかったが、目の前にいるピノッチアに、ほんの少しだけ興味を持つ。
 感情なんて死んでしまったかのようにも見えるのに、この人間臭さは何だ。何てこと無いように見える表情の奥に、とても複雑な想いがしまわれているように感じる。
 人は、あまりにも哀しい事や辛い事は、時間をかけて忘却して行く。そうしなければ生きて行けないからだ。このルミネもそうなのだろうか。まるで、人間のように……。

 老婦人が、ドタドタと駆けてきた。
「何をやっているの! 道草なんて食ってる暇はないのよ」
 ルミネが立ち止まってから、相当の距離をひとりで歩いた後に、やっと彼がいない事に気付いたらしい。
「僕、今度からこの街で暮らすんだ。また、会えるといいね」
 老婦人に引きずられながら、ルミネはポチョムキンに言った。
 その言葉に、彼はフンとそっぽを向いてしまったけれど。
「ルミネ、か。変な奴だ。昔知っていた筈の、誰かを思い出させる。ああいう奴が、他にもいたんだな」
 人形でありながらどこか人間くさい、そんなルミネの後ろ姿を、視線で追う。
 昔知っていた、それが誰であったか、ポチョムキンにはもう思い出せなかったけれど――

「ここよ」
 さほど大きいとも言えない一軒家の前で、老婦人は立ち止まる。
「一族と交わる事もせずに、こんな辺ぴなところで暮らすなんてね、どうかしてるよ。それでも私にとっては可愛い孫だからね。せいぜい引き取ってくれる事に、感謝おしよ」
 勝手知ったるというように、老婦人は無遠慮にその家に踏み込んだ。
「この子だよ」
 そう言ってルミネが差し出された先では、物静かな黒髪の青年がソファに腰掛けていた。
 もともと愛想に欠けているのか、祖母が来たというのにあまり歓迎ムードではない。ルミネに対しても、にこりともしなかった。
 やいやいと何事かを捲し立てた後、老婦人はさっさとその場を辞した。可愛い孫と言っていたけれど、彼女はその孫が苦手なようだった。
 気まずい空気が、二人の間を包む。
 目の前の新しい主人は、一言も口をきこうとはしない。
 なぜ、自分を引き取ってくれたのだろうか――。
「こ、こんにちは」
 勇気を振り絞って、ルミネは青年に声をかけた。
 彼の視線が、こちらを向く。黒い髪と瞳は、迫力があった。
「これがピノッチア、か。あまり、愛想は良くなさそうだな」
 特に感動もなさそうな声音で、彼は呟く。
 低く、けれど良く通る声。
 何だか、怖そうだけれど……きっと、優しい人だ。
 ルミネは思う。
 長い間、色々な人間の中で暮らしてきたから、そういう事は良くわかるのだ。前の主人の老紳士も、いつも気難しい顔をしていたけれど、ルミネには優しくしてくれた。ルミネがずいぶんと長く生きていて、本当はもう死んでしまってもいいと思っている事も知っていたから、品評会を強要する事も無かったし、いつも静かに見守っていてくれたのだ。そんなルミネであったから、ピノッチアの性能としては、彼を裏切る事になってしまったけれど。
 もっと、笑いかけてあげられたら良かったと思う。今目の前にいる彼には、それができるだろうか――
「どうして……僕を引き取ってくれたんですか」
 疑問に思っていた事を、口にしてみた。
 ピノッチアに大した興味もなさそうなのに、今もあまり関心を示していなさそうな顔でいるのに、どうして。
「じい様の遺言だからな。それに……俺も、独りだったって事だ」
 独りだったって事。
 独りだったから、寂しかったんだろうか。それとも、独りだから、同じ立場の自分の事を、思ってくれた?
「僕は……ずいぶん長く生きているけれど、まだ良くわからないんです。その、ピノッチアが、ご主人様に何をしてあげなければならないのか」
 ある者は愛玩動物のように、またある者は自分の子供や孫のように。そして時には、恋人のように。人が求めるピノッチアの形はさまざまだ。ピノッチアの方は、なかなかそれを判断する事はできないから、どういう自分を必要としているのか、聞かなければわからない。
「こっちへ来てごらん」
 青年が、静かに手を差し出した。
 突然の言葉に戸惑いながら、ルミネは恐る恐る彼に近付く。
 手の届くところまで来たルミネの髪を、その手がざらりと撫でた。大きな手だ。
「初めて見たが、まるで人間のようだな」
 間近で見る青年の瞳は黒くて、深くて――ルミネはほんの少し、見とれた。いくら自分が人間と変わらない見かけだと言っても、こういう瞳には敵わないと思う。
 憧れ。
 そんな言葉が、ルミネの心の中をかすめた。
 人間に良く似た感情を持ちながら、その身体はただの器であり。それ以上を望む事はできないのに、望む心をも持っている自分。
「俺は、別に独りで暮らせない訳じゃない。どうしてもお前が必要であった訳でもないし、お前も俺を求めた訳じゃないだろう。しかし、お前はここにいる。何故だかわかるか?」
 ルミネは首を振る。彼の言葉自体、理解するのに時間が要った。
「それが、運命であったからだよ」
 ルミネは、心底驚いた。
 そんな事を言われたのは、初めてだ。
「だからお前は、俺の機嫌を取る必要はない。お前はここで、何をやりたい?」
 突然自分に振られて、ルミネは戸惑う。今までそんな事を聞かれた事は一度も無かったし、人間の所有物であるピノッチアは、基本的に自分の生き方を自分で決める事はできない。
「お前は、何を望む?」
 自分が何を望むか。
 そんな事は、考えた事すらなかった。
「僕は……」
 自分は、何を、望む?
「僕は……人間に、なりたい……」
 口をついた言葉に、ルミネは思わずその口を覆った。
 こんな事、言うつもりはなかった。
 目の前の青年も、一瞬目を見開いて。
 どうしよう。浅はかな、強欲な奴だと思われたら。こんな変な事を口走ってしまうなんて。頭のおかしいポンコツだと、捨てられたら……。
 しかし青年は、その直後には、顔を覆って肩を震わせた。
「は、ハハハ……あははは」
 さも愉快そうに笑う。もしかして、それほどまでに呆れられてしまったのだろうか。しかし、ルミネの髪に触れていた手は、その頭をがしがしと撫でまくっている。
「あ、あの……」
「人間になりたい、か。そうか……ははは」
 なおも、青年は笑い続けるけれど。
 その笑顔は、とてもあたたかい。
 こんな風に、笑う人なのか。
「そうだな。きっと……お前なら、なれる」
「ほ、本当に」
「夢物語じゃない。何故か、そんな風に思えるよ。人形である事で、きっとお前は今まで辛い思いをしてきただろう。神様だって、ご褒美をくれるさ」
 本当にそんな事があるだろうか。信じて……いいのだろうか。
「俺にできる事があれば、何でもしてやる。お前が人間になれるように。人間らしくあれるように……今度こそ……」
 彼の呟きは、ルミネの中に戦慄を呼び起こした。
 まるで人間のように、その身体を不思議な痺れが駆け巡る。
「今度……こそ……」
 ルミネの呟きに、青年はハッとしたように頬を染めた。
「……変な事を言ったな、すまん。何で、俺はこんな事……」
 自分でも無意識の内に口をついて出た言葉に、青年は戸惑っているようだ。慌てているその姿は、第一印象とはあまりにもかけ離れていて……。
 そんな姿に、ルミネの中の何かが、はじけた。
 ――この人が、僕の運命の人……――
 ルミネは、その口許を両手で覆った。
 忘れていた想いが、次々と溢れ返ってきた。
「そういえば……名前をまだ聞いていなかったな」
 黒髪の青年の言葉に、あまりにも人間くさいピノッチアは、泣き笑いのような表情を浮かべた。

「僕は――僕の名前は……アレン……」

 長い事忘れていた本当の名前を、今、思い出した。
 この時を。自分は待っていたのだ。
 誰に心を開く事も、死ぬ事もできずに。
 ずっと、この人を待っていた。
 ずっと忘れていた、自分が生まれて育った「この家」で、再びこの人に会える事を……ずっと、ずっと。
 気が遠くなるほどの、永い時間を――

「アレン……アレン、か」
 懐かしい名を呼ぶように、青年は瞳を細めた。
 腰掛けていたソファから立ち上がり、アレンの手を取る。
「何故かな。やっとお前に、逢えたような気がするよ」
 優しく響く、バリトン。アレンは、クシャリと顔を歪めた。
「マスター……」
 アレンはドンとその身体にぶつかり、両手をきつく回した。
「マスター。もう……絶対に、ひとりにしないで……」
 突然のアレンの行動に、青年はほんの少し慌てたようだったけれど。彼は何も言わずにその身体を受け留めた。
「わかった。お前をひとりにしたりしない……約束だ」
 はるかな昔、叶えられる事無く消えた、儚い約束。
 それを叶えるために、彼は再びアレンの前に現われた。
 その緑金色の髪を撫でる大きな手は、今度こそ、アレンを離したりはしないだろう。
 神様がくれたクリスマスプレゼント。
 アレンはやっと、笑顔を取り戻す事ができたのだ。


 その後。
 愛想の無かったピノッチアの手を取り優しい笑顔を見せる青年の姿に、彼の一族一同は、皆一様に目を丸くして驚いたという――


END




●あとがき●
ルミネというピノッチアの正体は、アレン君だったのですね(笑)。じつはこれは、マスター編のバッドエンドその後です。ゲームでのバッドエンドがあまりにも優しさと哀しさに満ち溢れていて、氷村号泣しましたので(苦笑)、それを何とか救いの方向に転じる事ができないかと。ほんと、泣いたなあ。



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