UP20030319

緒方家騒動記 ― 序: 緒方のモノローグ





 新しい家を買った。

 今まで暮らしていたマンションが特に手狭だったという事もないが、広い庭付き一戸建て、こんなホンの少しだけ外界から隔離されたような空間が、心地良いと感じるのも事実だ。
 たったひとりで暮らすにはいささか広すぎるのではないかと周りから言われるほどに広大な敷地だったりするが、それもまた一興だ。
 そして今は心から、敷地を大きくしておいて良かったと思う。

 訪れる人間の多い事といったら。
 訪れる、という言い方は、半分は正しいかもしれないが、半分は当てはまらない。
 ここに来る人間は実にさまざまで、日帰りで帰宅する奴もいれば、何日も宿泊していく奴もいる。すでに生活の半分以上をここで過ごしている人間もいるくらいだ。あるいは、何日も姿を見せなかった奴が、その後何日もここで過ごして行ったり、などという事もある。
 いつからこんな事になったのか。
 確か、最初にこの家の門をくぐったのはアキラ君だったように思う。
 とても素敵な家ですね、といたく気に入った様子の彼は、何度目かの来訪時には進藤を伴って現れた。最初眼を丸くして家中を走り回っていた進藤が、友達と碁を打ちに来てもいいかと問うて来たのは、それからしばらくしてだ。
 それからというもの、ここを訪れる人間は鼠算式に増えていった。もともと付き合いの少なくない三人だが、特に進藤は友人と呼べる人間が多い。顔を知っているプロの棋士の姿も見かけるが、奴の中学時代の知り合いだの院生仲間だのは、この家で初めて顔をあわせた、などというのがざらなのだ。
 共通している事といえば、すべての人間が、囲碁と関わっているという点だろう。
 さもありなんだ。

 今現在、この家では24時間誰かしらの姿を見かける。
 絶対的にひとりになる時はない。
 だがどうやら、その空間を存外に気に入っているらしい自分がいる。以前の自分から考えれば、実に不思議な話だが。
 いつも賑やかな家の中だが、完全防音加工を施した自分専用の書斎に閉じこもれば、外界の喧騒は一切入っては来ないから、ひとりの空間はいつでも維持できる。けれど、一歩外に出れば誰かしらが生活している。静かな空間と人の気配とを、この家では同時に手に入れる事が出来る。これが案外に心地良い。
 便利な事もある。
 何がしかの食材さえ用意しておけば、自動的に誰かしらの手による食事が出来上がっていて、食いっぱぐれがない。それに連中は自分が食う分の食材は適度に用意してきたりしているから、大人数の食費で金銭的に困窮する事もない。時には自分で食事を用意する事もあるが、以前よりは大分に楽だ。
 掃除や洗濯も、各自が勝手にやっている。時にそういう事をサボりがちな男共がマメな人間に叱咤されていたりもするが、それもすでに日常的な光景だ。

 こんな生活も、悪くない。

 対局相手には事欠かないし、家の中に、いつでも柔らかな明かりがある。自分には不似合いのように思えていたこんな暮らしも、そうなってみればこれが一番だとなぜか思える。
 こんな暮らしが、ずっと続けばと。
 もしかしたら、そんな理想を抱いていたのかもしれない。――ずっと前から。

「緒方先生?」
 コンコンと、書斎のドアをたたく小さな音。
 進藤だ。
「なんだ? 入れよ」
 ここにいる限り、彼らはむやみにこの空間を荒らしては来ない。返事をして初めて、進藤がそっとそのドアを開いた。
「緒方先生、夕ご飯に食べたい物ってある?」
 顔を出した進藤の第一声。なるほど、もうそんな時間かと時計に視線を走らせる。
「別に?」
「あ、そう? あのね、和谷が今日、実家から大量にキャベツ持ってきたんだって。それで広島風お好み焼きしようかって話になってるんだけど、じゃあそれでいい?」
「キャベツだけか?」
「そんなわけないじゃん。えーと他の野菜とかはあるし、焼きそばは筒井さんが買いに行くって言ってた」
「今日は何人だ」
「んーと……5人、かな?」
 進藤が、指折り夕食の人数を数えて答える。
「ふーん。いいんじゃねえか? ソースは未開封のがあったろ」
「うん。あった」
「……んじゃあ、俺も行くかな」
 やれやれ、と腰を上げると、進藤がパッと笑顔になって手を取ってきた。
「緒方先生は焼きそば担当な!」
「勝手に決めんなよ」
 本当に、こいつは物怖じしないというか、誰にでも人懐こい。いや、本当は誰にでも人一倍警戒心が強いのだが、反面人をひきつける魅力に長けていて、来る人間を拒む事がない。わがままで自己中心的で、なのに、なぜかそれを放っておけない。だから、ここに集まる人間は、大なり小なり皆進藤の事を気に入っているようだ。自分もそのひとりなのかもしれないが、本当に不思議な人間だ。
 こいつがいると、家の中の空気も微妙に変わる。

 この家の一番の生活必需品は、実は進藤なのかもしれない。
 そんな事を考えながら、進藤に手を引かれるままに部屋の外に出る。

 程近い空間に存在する、誰かの話し声。
 今日も、にぎやかな晩餐が待っているようだ。




END




★どうして彼らはそんなに緒方先生のおうちが好きなんでしょう? 謎は謎のままにしておいて下さい……(笑)。



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