UP20030319
緒方家騒動記 ― 1: 女心と甘いメロン
ある晴れた日の午後のお話。 日当たりの良い庭に面した縁側に陣取って、碁盤を挟んでその場に座るヒカルとあかり。あかりはほんの少し緊張の面持ちで正座しているが、ヒカルは少々斜に構えてあぐらをかく姿勢だ。 「ヒカルぅ。ホントに9子でいいの?」 不安げなあかりの言葉に、ヒカルは笑った。 「大丈夫だって。これでちゃんといいように打ってやるから」 どこかで誰かが言ったような台詞だ。 明らかに実力の差がありすぎる二人だが、だからこそだろう、ヒカルはもう、そういう相手にもうまく打ちまわせる位の力を持っている。 「じゃあ、よろしくおねがいします」 「おねがいします」 うららかな午後の光が、二人を包み込む。 「あっ……ヒカル、ちょっとそこ待って」 「だーめ。待ったナシ」 うっかり打ってしまったまずい石をヒカルの石にとがめられて、あかりはつい腰を浮かせてしまった。 「えぇ〜、ずるいよヒカル」 「別にズルくないだろ」 必死の表情に、ヒカルは苦笑してしまう。いきなり待ったをかけているのはあかり方だ。それをヒカルに対して「ずるい」などと言ってしまうあたりは、本当に彼女らしいのかもしれないが。 それならここに石を置いてみな、と一点を指してやると、あかりは素直にそこに石を置いて、驚きの表情になった。 「あれ……模様がすごく変わった」 ほらな、と笑うヒカルに真っ赤になるあかり。 こんなやり取りは、相変わらずだ。 「進藤、メロン切ったけど食べる?」 奈瀬が、半月系に切ったメロンを大量に乗せた皿を持って現れた。食べる、とお伺いを立ててはいるが、すでに食べさせる気満々だ。 「うちの親戚が送ってきた、すっごくおいしいヤツなんだけど」 「あ、食う食う。あかり、ちょっと休憩しようぜ」 くるりと向きを変えるヒカルに、あかりも少し大きく息をついた。 「うん。今日はヒカルにいっぱい教えてもらっちゃったもんね。ありがと」 別にいいよとひらひらと手を振ったヒカルは、その場に置かれた皿からひょいとメロンを取ると、ぱくりと噛み付いた。 「進藤ってば。スプーンあるのよ」 手に持ったスプーンをあかりに差し出しながら、奈瀬はそれをヒカルにも渡そうとするが。 「いらねーよ、そんなの。……あ、ホントにすっげえ美味い」 「おいしい? 良かった」 「美味い美味い。サンキュ、奈瀬」 満面の笑みでメロンをほおばるヒカルに、あかりが困惑の表情を向ける。 「ヒカルってば、汁こぼすよぉ」 ハンカチを出そうとするあかりだが、ヒカルはそんなの必要ないとばかりにぶいぶいと手を振る。 そんな二人を、奈瀬は悪戯っぽい視線で眺めた。 「やっぱり幼馴染みなんだぁ。二人って呼び捨てで呼び合ってるよね」 いまさらな事をしみじみと呟く奈瀬に、ヒカルは眼を丸くした。あかりの方は、瞬時に赤面する。 「何言ってんだ? 奈瀬」 キョトンと自分を見つめるヒカルに、奈瀬はおかしそうに笑う。彼にとってあまりにも当たり前の事に突っ込まれて、良くわからないといった表情だ。 「いいなあ、ナンかそういうの。ねえねえ進藤、私の事も名前で呼んでみてよ」 「はあ?」 「いいじゃない。ね、ね? そしたら私も進藤の事、名前で呼ぶからさあ」 「奈瀬ぇ?」 ひたすらわからないといった面持ちのヒカルに、あかりだけがおろおろと汗する。 「あ、それともあかりちゃんだけ特別なのかな? ちぇ、いいなあ」 「奈瀬、お前何言ってんだかわかんねーぞ」 こういう事に疎いヒカルは、奈瀬の悪戯心もあかりの赤面の理由もまったくわかっていないらしい。 真っ赤になっておろおろしていたあかりが、今度は蒼白になって口元に手を当ててしまう。 「あ、明日美ちゃんて、その、もしかして、ヒカルの事……す、好き、とか?」 動転して、普段ならめったな事では口にしないような疑問をぶつけてしまう。 いや、それどころか、もしかしてもう二人はお付き合いなんてものをしているとか。 あかりには、棋院での二人の関係はわからない。 クス、と奈瀬は笑う。 「うーん、好き好き。進藤って可愛いところあるじゃない?」 明け透けな奈瀬の言葉に、動転を通り越して石化してしまうあかり。あかりは、ヒカルの事を可愛いなんて感じた事はない。いつもヒカルは自分より一歩先を歩いているような気がしていたから、同い年でも対等ではないような、いつも見上げているような感覚があったのだ。 「明日美ちゃん……いつもヒカルにそんな風に……」 奈瀬にとってのヒカルは、本当に可愛いのだろうか。自分のまったく知らないヒカルを、奈瀬は知っている? 「何言ってんだよ、あかり。奈瀬はいつも誰にだってこんな感じだぞ?」 どさくさのように首根っこを奈瀬に抱きすくめられ、頭をぐりぐり掻き回されながらもされるがままになっているヒカル。 「んもう、進藤ってば人聞き悪いなあ」 「なんだよ、ホントの事だろぉ」 「ほんと、そういうとこ可愛いけどね」 女の子の手で髪をかき回されるヒカル。 そして、それに困ったように眼を細めるヒカル。苦笑い。 あかりの、全然知らないヒカルの姿だ。 あまりのことに絶句するあかりに、奈瀬はチラリと視線を向ける。 ――ほんとにね。もう。 「あかりちゃんも可愛いわよ」 「えっ……?」 ニコーッと破顔した奈瀬は、片方の手であかりの髪もクシャリとなでた。 「私は進藤よりお姉さんだもん。ちょーっと進藤じゃお子さま過ぎるんだな〜」 「え??」 「進藤とは何でもないよ。ゴメンね」 「ええ〜?」 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で奈瀬を見つめてしまうあかり。クシャクシャと髪をいじられても、見開いた瞳はそのままだ。 「あ、明日美ちゃん!」 「ゴメンってば」 あはは、と奈瀬は笑う。 今度はヒカルだけが困惑していた。一体さっきから何を言っているんだ、といった風情だ。人の事を可愛いだとか子供だとか、女ってヤツは。 「うらやましいなって思ったのは本当。進藤だからどうとかいうんじゃなくてさ。幼馴染みって、やっぱりなんか特別みたいな感じがするじゃない?」 少しだけ瞳を細めた奈瀬の言葉。しかしあかりは顔を赤らめたままふるふると首を振る。 「私は、明日美ちゃんの方がうらやましいよぉ……。やっぱり、対等に碁を打ったりそんな風に話できる方が……いいもん」 対等ってわけじゃないのよ、と、奈瀬は笑う。 実力の問題からすれば、すでに奈瀬とヒカルは対等ではない。あかりよりは、その差が少ないというだけだ。それはわかってはいても奈瀬の心に住み続けるジレンマとなっている。自分より強い人間が存在するのは当たり前。年齢や経験の長さなんてあまり関係ない。わかってはいるけれど。 そして、あかりの言う『対等』というのは、またそういう事でもないだろう。 「私と進藤が一緒にいたって、つながりは囲碁ばかりよ。あかりちゃんは違うでしょ? だからうらやましいなって思うし、そんな風にお付き合いできる誰かがいればいいなあ、なんて思うけど……」 一番の問題は、自分の気持ちの中にある。 「何よりも囲碁に夢中で、他に気が回らないのが難点なのよねー……」 自分がこうなのだから、囲碁中心のお付き合いばかりが増えるのは仕方のない事だ。 「そ、そんな」 あかりからすれば、やはり奈瀬みたいな位置はうらやましいと思う。 囲碁の事ももちろんそうだが、いつも胸を張って、皆とも、ヒカルとも並んで対等に歩いているような、そんな雰囲気は自分には出せないものだ。 「だからァ、私の生活の潤いのためにも、たまにはデートしてよ、進藤?」 「あぁ!? 何でオレが」 「ええ? そ、それなら私も一緒に……」 「あははは、それじゃデートにならないじゃない〜」 けんけんごうごう。 腕を取って。頭をぐりぐりしたり。頬を摺り寄せたりして。 つまらない話題でじゃれあう中で、ようやくヒカルの頬に朱がさしてきた。 「お、お前らなあッ!!」 カシャ。 「「「えっ?」」」 聴いた事のある音に、三人そろってその音の方向に顔を向ける。 インスタントカメラを構えた和谷が、そこに立っていた。 「両手に花のモテモテ進藤君を激写ってか〜? うらやましいこったなァ」 「和谷ァ! テキトーな事言ってんなよ!!」 三人団子になったまま、ヒカルだけが真っ赤になって抗議する。さすがにこの状況には、鈍感なヒカルもテレを感じるらしい。 「うらやましいなら、和谷も仲間に入る〜?」 「明日美ちゃんたら」 「俺は遠慮しとこっかな〜。進藤に張り飛ばされたら困るから」 「和谷!!」 でもメロンはイタダキ、と、和谷も縁側に陣取る。やはりスプーンなしでメロンにかぶりつく和谷に、奈瀬とあかりはあきれたような声を立て、ヒカルはついつい笑ってしまった。 わいわいガヤガヤ。 こんな少年少女のささやかな喧騒を飲み込みながら。 緒方邸の休日は穏やかに過ぎて行くのである。 END |
★奈瀬の本命って誰なんだろう……(笑)。原作では飯島君といい感じながら、どことなく謎な部分ですが、ここでも謎です。 |