UP20030131
Confession
「緒方先生は、俺の事一番好き?」 突然のヒカルの言葉に、緒方はパソコンに向かったままの身体の向きも変えないままに「ああ?」と声を上げた。 「またテメエは何言ってやがる」 頬杖をついて、ヒカルを見る。 ヒカルの方はというと、リビングのテーブルの上の碁盤に、詰碁の問題を並べてぼんやりと眺めている。手に取った石は弄んでいるのみだ。難問らしい。 緒方がまわりくどい事を好まないのを知っているから、ヒカルはすぐにフォローとなる言葉を口にした。 「棋院の仲間にさ。俺が訊かれたんだ。一番好きな人は誰だって」 ヒカルに対して、一番好きなものは? と訊けば『囲碁』と答えるのかもしれないが、そんな事はわざわざ訊くまでもない。では一番好きな人、と訊かれたら何と答えるだろう。そんな興味からの問いかけだ。そして何ゆえそんな事を訊ねるのかといえば、ヒカルが普段、何を考えているのかがわからないから、という理由からだったりする。 一見人見知りしなさそうにも見えるヒカルだが、付き合ってみるとこれで意外やミステリアスだったりする。普段の生活から会話のさなかでさえ、その思考の中身は総じて読み取りにくい。付き合いが深くなればなるほど、その心の深淵も色濃くなるのだ。だから、付き合い浅い人間にとっては明るく元気に映るヒカルも、付き合いの長い人間に言わせると「わかんねえ奴」となってしまう。 これはそんな仲間からの、ささやかな疑問なのだ。 やれやれ、と、その仲間とやらの胸中を察しながら、緒方は腰掛けている椅子の向きを変えてヒカルの方へと身体を向けた。 「それでお前は、なんて答えたんだ?」 「……」 「何だよ」 「……わかんねえ……って」 おいおい、と、緒方は唇の端を上げて見せた。 「自分じゃそんな曖昧な返事しといて、俺には答えを出させんのか?」 緒方の言葉に、ヒカルは伏せがちだった顔をガバリと上げる。 「ちがっ……」 しかし緒方と目が合って、再びしゅんと俯いてしまう。 「……訊かれた瞬間、俺、緒方先生の顔が浮かんだんだよ。けど」 「けど?」 「そうなのかな? ……って考えたとたんに、わかんなくなった」 緒方の事は、好きだと思う。一番好きだと、一瞬は思った。疑問を持ってしまったのは、次の瞬間だ。 じゃあ、二番目は誰だ? そう考えたとたんに、緒方の事すらもわからなくなった。 一番とか二番とかって、いったい誰と比べて何番なのだ。親とか、友達とか。立場は色々だろうに、それを比べる事なんてできるのだろうか? ヒカルは言い募りながら、緒方を見る。 「だから、緒方先生はどんな風に考えるのかなって……」 緒方はため息をついた。 本当に、やれやれだ。 「んなちょっとした質問に、真面目に考えすぎなんだよ、お前は」 そんな事を言い出したら、実際キリがなくなってしまう。それを言うなら人の事だけでなく、囲碁だって何だって一番なんて順位をつけられるものではなくなってしまうだろう。 「だ、だからァ。俺はわかんなかったけど、それはいいんだよ。俺は単に、緒方先生だったらどう答えるのかなって、思っただけ……だし……」 どんどん小さくなる、ヒカルの声。 「自分じゃはっきりわからないが、俺の答えは欲しいって訳か?」 そういう事になるのだろう。 自分では答えが出せなかったから、緒方がどう答えるのか気になった。 「一番だって、言って欲しいか?」 「う……」 緒方の質問に、言葉を詰まらせるヒカル。 意地の悪い事を言う。 結果から言えばそうなのかもしれないが、一番という事がどういう事なのか、自分でも答えが出せなかったのだ。もしもここで緒方が「一番だ」と言ってくれたところで、結局は良くわからない。けれど――やはりそう言ってもらいたいような、そんな気もする。 自分から振っておいてナンだが、妙に複雑な気持ちだ。 「まったく……一番がそんなにいいかよ」 「別に、そんなんじゃ……」 あるかもしれないけど。 「一番じゃねえよ」 唐突な、緒方の言葉。 「えっ……」 「一番じゃない」 どういう事だ。 「な、なんだよ……」 ヒカルの声が揺れる。 一番じゃないというのなら何なのだ。そりゃあ確かに自分でも『一番』という言葉は違う、というような気はしたが、それを緒方の口からはっきり言われると。 存外に……ショックだ。 一番でないというのなら、ほかの誰が緒方の一番なのだ。 「安心しろよ。はっきり言うが、お前以上の奴なんかいない」 ホッ。 あからさまに安堵してしまうヒカル。 緒方の一挙手一投足に振り回されているような気がしないでもないあたりが微妙に気になるところだが、今はそんなことを言っている場合ではない。 お前以上の奴なんかいないと、はっきりと言ってくれる事は嬉しいが。 「それって、一番って言うんじゃないの?」 そんなヒカルの意見ももっともだ。 「違うな」 「なんで?」 本当は違わないのかもしれないが。ヒカルの言うように、一番という言葉は妙にそぐわないような、そんな想いを、緒方も持っていた。 ヒカルは緒方の、はっきりとした答えが欲しいのかもしれないが。 未だパソコンに向かったままの緒方は、カタカタとキーボードをたたく。デスクトップにフォルダを作り、その中に今作ったばかりのテキスト文書を放り込んだ。 フォルダの名前は――『Confession』。 それを目で確認して、緒方はそこから立ち上がった。 「その問題の答えはここだ」 そう言って、ヒカルが向かっていた盤上にひとつの黒石を置く。 「あっ……」 言われてみれば確かにそこなのだが、今まで気付かなかった場所に置かれた石に、ヒカルは微かな声を立てた。二手、三手と石を置いていく緒方の手を見つめる。 「黒先黒生き。複雑な問題だが、手はこれしかない」 「……そっか……」 素直に感心するヒカルの肩に、緒方は手をかけた。 それをグイと引き寄せ、唐突に唇を合わせる。 「……!??」 ヒカルの肩を抱いたまま、緒方はニヤリと笑う。 「これと同じくらい複雑なお前の質問の答えは、ちゃんと俺の中にはあるぜ。だがな、自分で見つけてこそ価値のある答えだってあるだろ」 探してみろよ、と、緒方は言う。 「ホントに、意地悪いよな」 ヒカルは、緒方の肩に頭を預ける。緒方はそんなヒカルの髪を、そうするのが当たり前のようにクシャリとかき混ぜた。 答えは、記した。 たった今作ったばかりのテキストのファイルの中に。 パソコンの知識の乏しいヒカルは、きっとそれには気付かないだろう。もしもいつかその知識を身につけたとして、ヒカルは緒方のパソコンの中を覗き見るような事はしないだろうし。 いつになったら気付くだろうか。 いまわの際になってから教えてやるのもいいかもしれない。 まるで遺言みたいだなと、緒方は思う。縁起でもないが。 Confession ――告白、という名をつけたフォルダの中にあるテキストのファイル名には『ヒカルへ』と記した。 それを開けば、打ち込んである言葉はたった一言。 『One and only.』と。 いつか教えてやろうか。 緒方はヒカルの肩を抱いたまま、静かにひとり、微笑んだ。 One and only. それは。 『一番』ではなく――『たったひとり』という意味。 END |
★タイトルそのものを『One and only』にしようかと思ったけど、ネタばれになるのでそれはやめました(笑)。 |