UP20030919

愛は勝つ ―― 2





 なんというか、ちょうどいい具合に手塚を見かけた。
 リョーマは立ち止まる。

 通常、広い校舎の中で部活の先輩と偶然会うことはあまりない。
 特に昼休みともなればなおさらだ。
 手塚にしてもリョーマにしても、昼の食事は教室で弁当、が常だからだ。
 それが今日は珍しく、購買の前で二人は出会った。
「部長?」
 とりあえず、長身の後姿に声をかけてみる。
 手塚は静かな動作で振り返った。
「越前か」
「どうしたんスか。こんなところで」
 手塚の母親は良妻賢母の名にふさわしくマメな人間であるらしいから、普段はきちんと息子に弁当を用意しているらしい。ゆえに、昼の購買で手塚を見かけるなど、皆無に等しい。
「明後日まで、母が留守なんだ。弁当を作れる人間がいないから、購買で」
「ふーん」
 リョーマはただ、相槌を打ってみせる。
 手塚の手の中には、パンがふたつと烏龍パックが鎮座していた。

 ちょうどいい具合に手塚を見かけた、とは思ったが、それで具体的にどうしようとは、リョーマはまだ考えていなかった。
 手塚に何かちょっかいをかけたら面白いかもね、などと不二と話はしたものの、いつ、どうしたいかなんてそうそう思いつくものでもない。
 それほど情熱的に何かをしたいだなんて企んでいる訳でもないし。
 だからせっかくこうして偶然手塚と出会っても、偶然であるがゆえに何も思いつかない。

 ――しかしまあ、滅多にない、機会ではある。

「じゃあ、せっかくパンにしたんだから屋上」
「……何?」
「今日は気持ちいいっスよ」
「おい」
 手塚の返事を待たず、リョーマは強引に手塚の袖を引いたまま歩き出した。
 後の事は、後で考える事にする。




 同意を得たわけではなかったが、いぶかしげな顔をしながらも手塚はおとなしくリョーマについてきていた。
「ほら、ここ。けっこー見晴らしいいんスよ」
「……」
 リョーマもそうだが、手塚はリョーマ以上に屋上には立ち入らない。
 確かに、見慣れているはずの校内の景色も、視点が違うというだけで随分変わって見える。ような気もする。
 まあ、微妙に新しい発見といったところか。

 しかし。

「……」

 しかしだ。

「…………」

 もそもそとパンをかじり続ける二人。
 即席のランチタイムで、しかもこの面子だ。会話など生まれようもない。誘った者の責任など、リョーマが感じていよう筈もないし。
 正直気まずい。

 しかしふと、リョーマは手塚の手許に視線を向けた。
「?」
 無言のままで食べ続けたパン。ひとつを食べ終わって手塚が手に取ったふたつめのパンは、先ほどまで食べていたものと、同じものだった。
「部長、それ好きなんスか」
 あんバタコッペ。
「……いや」
 珍しく、手塚は微かにリョーマから視線を外す。
「購買ってのは、ひどく、混み合うものだったんだな」
「……は」
「気がついたら、これしか残っていなかった」
「…………は」
 トロい。存外にトロい。
「越前は、普段からパンだったか」
 ポカンとしているリョーマの顔色を悟ったのか、手塚は話題を逸らした。
「いーえ。単に今日は弁当忘れただけっス」
「そうか……」
 自分よりはるかに慣れているように見えたのだが。勿論そんな事は、手塚は口には出さない。

 リョーマはふと気付いたかのように、手塚のそのパンをヒョイと取り上げた。
「……? 越」
 名を呼びかけたその口に、リョーマは自分のパンをいきなりねじ込んだ。人気の高いハムチーズフランスだ。
「越……ッ」
「それあげるっス。そのかわりあんバタもらいマス」
 そう言って手塚から取り上げたあんバタにかじりつくリョーマを、手塚はただ呆然と見つめる。突然の行動に、思考がついてきていないようだ。

 ――本当に、思っていたより鈍くさい。

 おもしろい、と、リョーマは思った。
 普段冷静沈着な鉄仮面が慌てふためいてうろたえる、そんな光景にお目にかかれたら面白い事になる、と思ってはいたが、手塚はどうも、リョーマが考えていた以上に自然に、普段にない面をあらわにできる人間のようだ。
 あたあたとパニックを起こす手塚、という面白おかしい場面にはなかなか出会えなさそうだが、これはこれでかなり面白い。
 普段見られない姿という事に、変わりはないし。

 リョーマは再び、何かを思いついたようにニヤリと笑った。

「部長。ついてるっスよ」
 その手でねじ込んだ手塚の口許のパンを、再び自分の手で取り上げる。
 その口角にごく近いところに、リョーマは己の口唇を寄せ、ペロリと舌を這わせた。
「――――――――」

 手塚はポカンと口を開いたまま。
 けれど、その間はあまり長くは続かなかった。
 再び破顔したリョーマは、ストッと立ち上がり、その身を翻す。
「むこうじゃ挨拶みたいなモンすよ」
 フフン、と、己の口許に人差し指をたてて見せる。
 嘘だ。
 いや、アメリカで挨拶のたびにキスを交わすのは日常ありふれた光景だが、リョーマは勿論そんなつもりでやったのではない。
 生憎と、リョーマは日本人なのである。
 挨拶だなどという言葉を手塚が鵜呑みにしない事をわかっていて、わざとやっているのだ。
「じゃーまた部活で」
 呆けたままの手塚にヒラヒラと手を振り、リョーマは軽やかな足取りでその場を後にした。置いてきぼりの手塚の方など、振り返らない。

 そんな事は、普通やらないだろう。
 じゃあ何故、ヤツはそれをやるんだ。
 一体何を考えているんだ。

 手塚が考えていそうな事が、今は手に取るようにわかる。
 多分今も屋上で固まったまま。
 ああ、おかしい。

 あんなに思考速度の遅い人間だったなんて。今まで少しも知らなかった。誰もそんな手塚とのやり取りを見せてくれた事がなかったのだから、当たり前なのだろうけど。
 手塚を屋上に連れ出して、食事中にキスまがいの事をしでかす人間などいないだろう。
 これがテニスに関する事だったら、リョーマの一挙手一投足に高速で反応を返してくる見事な部長っぷりを発揮しているのだが。
 本当に、おかしい。




 じゃあ、そんな手塚を目にしたら、もう満足か。
 不二にでもそれを報告して、時々は思い出し笑いに身を任せて、隙あらば手塚をつついてみたりして?

 だってもともとは、ほんの小さな好奇心だ。
 ちょっと意外な手塚の一面を見つけ出して、ほくそ笑む事ができればいいのだ。
 いいのだけれど。


 帰宅したリョーマは、珍しく一番に、キッチンで夕食の支度をしている母親の許へと向かうと。
「明日さ、弁当二人分、用意してくれる?」
 そう、告げたのだった。




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