アリスブルーの伝説 第四話 漂う島



 生活用品調達の翌日。
 ソファに深く座り込んだジュリアスは、向かいにどっかりと沈み込んでいるゼフェルに向かって呟いた。
「今、そなたは自分が何者であったか忘れている」
「……はぁ?」
 あまりに脈絡のない、ジュリアスの謎の言葉にゼフェルは思い切り眉をひそめた。
「……とにかく、言う通りにせよ。そなたは鋼の守護聖ではなく、随分前から、何時の間にかこの星で暮らしていた。いつからなのかも憶えていない。故郷の星は、別にある」
「……」
 リュミエールの事を言っているのだということは、見当がつく。
 しかし、それが何だというのだろうか。
「もしもそなたがそういう状態であったなら、今、何を思う」
「な、何をって……」
 ジュリアスも、真顔でずいぶんな質問をする。
 彼が何を意図しているのかは知らないが、とりあえずゼフェルはジュリアスの言うようなケースを考えてみる。
 が。
「……わかんねーよ、そんなの。そもそも俺に限って、何年もぼんやりと何もしねーで暮らすとかってシチュエーション自体が有り得ねェ」
 要領を得ないゼフェルの返答に、しかしジュリアスはゆっくりと頷いた。
「そなただけではない。それが普通の筈だ。いくらリュミエールであろうと、例外ではないだろう。……問題は、そんな今の自分とこれまでの自分に何の疑問も持たぬリュミエールの考え方なのだ」
「……」
 それもそうだ。
 いくらリュミエールが少々人外な感覚を持っていると言っても、やはり、一応は人間だ。
 何時の間にか、無人の星で暮らしている自分の状況をおかしいと思うのが普通だ。
 しかしリュミエールも、実際何年もここで暮らしていた訳ではない。そう思い込んでいるだけなのだ。あるいは、明確な記憶がないからただぼんやりと過ごしてきた感覚しかないのかもしれない。実際に過ぎた時間の短さから、そういった感覚が生じたという記憶が作られていないだけで。
「やっぱり、わかんねーな」
「……」
 どうするべきなのだろう。
 このまま、リュミエールを聖地まで連れ帰った方が良いのだろうか。しかし、原因がこの星にあるのは明快で、その事実を置き去りにする訳にも行かない。
 静かに向かい合う二人は、そのまま考え込む事しか出来なかった。


 黄金に輝く水面の上に立つ自分を、優しく見つめる瞳がある。
 金の髪を風にはためかせるその人は、優しげな瞳をつと細めると、艶やかな微笑みをリュミエールに向けた。
「怯えなくて良いよ……ほんの少し、その心の中の深い部分を覗かせてもらいたいだけだから」
 決して悪い存在ではない。
 リュミエールは目の前に立つ不思議な人物を、そう受けとめた。
 何とも言い難い美しい瞳を伏せると、その人はふわりと宙を舞い、リュミエールの両頬をそっとその手で包み込んだ。
「……あなたは……?」
「そのうち分かるさ。……しかし驚いたね。本当に、真白な訳か……」
「……」
 優しい手が離れる。
「今、とても戸惑っているね。現状が変わって行くのを怖れない事をお勧めするよ。そうすれば、きっと総て良い方に転じていくだろう」
「恐れない……事……」
「良い子だ。ずっと……見守っているよ……」
 その人の姿が、陽炎のように揺らぐ。
「……あ……」
 金の髪が打ち広がるように輝き金色の空気にゆっくりと溶け込むと、その風景の中にひとり、リュミエールだけが残された。


 ゆっくりと、瞳が開かれて行く。
「……?」
 リュミエールは、上掛けもかけないままの身体をベッドから起こした。
 うたた寝をしていたらしい。
「夢……?」
 先程まで立っていた筈の、黄金色の水面を思い出す。
 ぼんやりとした風景だったが、輝きを放つ穏やかな波だけは鮮明に脳裏に焼き付いている。
「あれは、一体……」
 夢の中に出てきた人物。
 やはり今考えても、見覚えのある人物ではない。しかし、ただの夢ではないような、そんな気がする。
 きっとあの人は、どこかにいるのだ。
 その人の消えた瞬間を思い出し、リュミエールは微かに瞳を細めた。
 不思議な心の重さ。
 たとえ腕を伸ばしても、きっとそれをすり抜けて掻き消えてしまったであろうその存在。
 あの金色の風景の中でひとり、身体の中心をくい、と掴まれるような妙な感覚。
 今まで、こんな感じを受けた事があっただろうか?
 ふと、突然目の前に現われた快活な少年の姿を思い出す。
 そしてその後、夕闇の中に立ちすくんでいた、金の髪の人も。
 まったく憶えのないその人たちは、それでも自分の事を良く知っていると、いつも親切に接してくれた。まるで旧知の友人のように。
 もちろん彼らがそう言っているのだから、事実、旧知の仲なのだろうが。
 そんな不思議な人たちと何気に馴染んでしまった今。
 彼らがもしもいつか、夢の中の人のように目の前から掻き消えてしまったとしたら。
 やはり同じような感覚が、自分を襲うような気がする。
 これは。

「……寂しい……?」

 こんな感じは、初めてだ。
 この星に来てから、一度も寂しいなどと感じた事はない。
 不思議な、信じられないような思いで窓の外に視線を向ける。いつもと変わらない晴れた空の下の穏やかな海が、陽の光を受けて輝いている。
 ……この、心の中を洗い流すような風景さえも。
 途方もなく、遠いもののように見えた。
 たったひとりのこの小さな身体の前に、無限の海は恐ろしいまでの広さでもって存在するのだ。
 夢の中で聞いた声が、頭の中でこだまする。

 『――現状が変わって行くのを怖れない事をお勧めするよ。そうすれば、きっと総て良い方に転じていくだろう――』

「これが……変わって行く、現状……?」
 この心の変化を、受け止めるべきだと言うのだろうか。
 今の自分には、それがどういう事なのか、良く分からない。
 こんな風に得体の知れない想いを抱くのが、良い事なのだろうか……。

「……え?」

 思わず、声をあげてしまった。
 視線を向けていた海を、凝視する。
「そんな……」
 リュミエールが見つめているのは、海岸沿ではない。もっと先の、島の点在する浅瀬だ。
「島が……動いている?」
 波と光の加減によるものではない。
 遠くに見える小さな島は、僅かずつではあるが、確かに動いていた。


 バタンという大きな音に、思わずビクリとなったジュリアスとゼフェルが、音のした方向を見る。
「リュミエール!?」
 二人の声も耳に入らない様子で、リュミエールはもの凄い勢いで外に駆け出して行く。
 勢い良く閉じられた扉の向こうに消えたリュミエールを、二人はただ呆然と見送った。
「……リュミエール……? めっずらしいなあ。あいつもあんな風に走る事があんのかね」
「一体……」
 ゼフェルが、はたと立ち上がる。
「って、待てよ? アイツがあんな風に走るって事は、なんか慌てるだけの事があったんじゃねーか!?」
「……そうか」
 ジュリアスも慌てて立ち上がった。
 しかしドアを開けた外には、既にリュミエールの姿はない。もう坂を下って行ってしまったようだ。
「どこだ!?」
「おそらく海だろう」
 それでなくとも小さな島だ。他には思い付かない。
 ふたりは急いでリュミエールの後を追った。


「やはり……昨日見た島は、見間違いではなかったのですね……」
 昨日ゼフェルの操縦するボートの上から、見覚えのない島を見たような気がした。それがこの島だ。
 すでにリュミエールは、この島に立っている。
「見たところは、どこも異常はないようですが……」
 あたりに点在している小島と、見た目はそう変わらない。と思う。
 かなりの急こう配で、まるでぶかっこうな球面が半分海面に突き出しているような形だが、地面には普通に植物が生い茂り、森といっても過言のない空間を作り上げている。
「上陸してしまうと分かり辛いですが……確かに、ゆっくりと動いているようですね……」
 生い茂る木々のたもとに揺れる小さな花を眺めながら、リュミエールは濡れた髪をかき上げた。ここまで泳いできたのだ。
「リュミエール!」
 遠くから、声が聞こえた。
「リュミエール! どこだ!」
 ジュリアスと、ゼフェルの声だ。
「ジュリアス様、ゼフェル!」
木々の合間からひょっこりと顔を出すと、ボートに乗ったふたりがリュミエールを探してきょろきょろとしていた。
「ここです!」
「リュミエール!」
 一体何をやっているのだとでも言うような、いぶかしげな瞳。
「ご覧になりましたか。この島は、動いています」
「それはさっき確認したんだけどよ……あんた、一体どうやってそこまで登ったんだ」
 この島には、いわゆる海岸のようなものがない。苔や植物に覆われた絶壁があるだけだ。
 2メートルにも及ぶかと思われるその崖を、リュミエールはどうやって登ったというのか。
「どうぞ」
 リュミエールが、上方からロープのようなものを投げ落とした。丈夫そうな大木にかけ、端を結んで輪にしてある。
「あんた、これ背負って泳いだのか……」
 それをつたい、とりあえずは島に上陸する。足をかける場所が多くあるおかげで、さして苦労もせずに崖を登る事が出来た。
 大地に足を下ろしてふう、と息をついたゼフェルは、いきなりリュミエールを怒鳴りつけた。
「あんたなあ、何か行動する時は、一声かけやがれ!」
「ゼフェル」
 リュミエールに掴み掛からんばかりのゼフェルを、ジュリアスが押さえる。
「リュミエール、ゼフェルが怒るのも道理だ。あまり心配をかけるものではない」
 ゼフェルの怒声に縮みあがっていたリュミエールが、恐る恐るといった感じでジュリアスを見つめる。
「心配……」
「そうだ」
 心配をしてくれる誰かがいるという事を、リュミエールは今更のように感じていた。
 何か、変な感じだ。
 今日、おかしな夢を見てしまったせいかもしれない。
「申し訳ありません……」
 素直に謝罪すると、ようやくゼフェルの表情も柔らかくなった。
「それにしても、何だってこの島は動いてやがるんだ」
 島が動くという事実にあまりに驚愕してここまで来てしまったが、ゼフェルの言葉には、リュミエールも首を傾げるしかない。
 島はざっと見て楕円形に近く、端から中心を通って反対側の端まで行くのに、茂る木々の間を通ってもそう労力は要さない。おおよそ50mくらいの小ささである。
 何故、動くのだろう。
 三人額を突き合わせるようにして考え込んでしまう。
「あのよお」
 ゼフェルがふと顔を上げる。
「動くって事はだ。物理的に考えて、この島って浮いてるんじゃねえのか?」
 言われてみれば至極当然の事のようだが、ちょっと考え付かなかった。
「そうか……」
 確かに、海底から隆起している島がずるずると動くというのはちょっと考えづらい。
 偶発的に出来た漂流物か、あるいは人工物か。何にせよ、よくよく考えてみれば得体の知れない動く島に無防備に乗っかっている事になる訳で。
「私が、少々調べてまいります」
 リュミエールが立ち上がった。
「おいおい……」
「島の周りから調べれば、何か解ると思うのです。泳ぎは得意ですから」
 ゼフェルの顔色が変わる。
「って、海に潜って調べるってのか? アブねーだろうが。もしこの島の動力源がモーターとかの人工物だったら、うっかり巻き込まれでもしたら、あんたバラバラになるぞ!」
「……物騒な事をおっしゃらないで下さい。大丈夫ですよ。ここでこのまま漂流していても埒があきませんし」
 ゼフェルの言葉に苦笑で返答し、リュミエールはとことこと歩くと、さっさと島の端まで行って手ごろな場所から海に飛び込んでしまった。
 ザブンという軽い音を聞きながら、ゼフェルは呆気に取られてジュリアスを見る。
 ジュリアスの方も、面妖な顔をしながらただ首を振るしかなかった。


 波で分かりづらいが、島は確実にゆっくりと動いている。しかし、ゼフェルの言うように何か人工的な動力源ではないようだ。
 ぽっかりと浮かんだままゆっくりと島の周りを見渡したリュミエールは、硬い岩肌に手をついた。
「まったく楕円形という訳ではないようですね……人工物でないなら当然かもしれませんが……」
 島の周りをひと回りした方が良いかもしれないと考えた矢先、リュミエールの近くで異変が起きた。
「……!?」
 海面が大きく揺れる。
 波打ち泡立ったかと思うと、妙にくぐもった音が、その場から発せられたような気がした。
「一体……あ!」
 その大きな水のうねりに、リュミエールはうっかり乗せられてしまって慌てた。
 岸壁にしなだれかかるように生えている草やこびりついた泥を突き崩す様に、島の壁面から何かが出て来たのだ。
 リュミエールは、ゆっくりと突出してきたそれに、上手い具合に乗りかかってしまった訳だ。
「これ……は……」
 自分乗っている物体の正体を見定めて、リュミエールは呆然とそこにしがみついていた。
「ジュリアス様、ゼフェル……!!」
「……リュミエール!?」
 妙に切羽詰まったようなリュミエールの声に、島の上で木や草などを観察していた二人は、慌てて声の方向に走った。
 切り立った崖に立ち、リュミエールのいる下方を見下ろした二人は、思わずあんぐりと口を開けてしまう。
「リ、リュミエール……なんだ……それ」
 リュミエールのしがみつく黒い物体に、今イチ現状の把握できない二人も、リュミエールと同じようにただ呆然とそれを見つめる事しか出来なかった。

「……カメです!」

 ……カメ。
「この島自体が、巨大な生きているカメだったんです!」
 二人を見上げて叫ぶリュミエールがしがみついているのは、確かに……カメの頭そのものだった。
 それはここにいる三人が乗っても充分に余るほどの、巨大なものであったが。
 その背に豊かな森をたたえた体長50mのカメの上で、三人は呆気に取られたまま、ただ顔を見合わせる事しか出来なかった。



To be continued.


☆新キャラ、カメ登場! って、カメですか(爆)。ていうか、キャラですか。多分違います。ええ(笑)。なんつーかノリが、ジュリxリュミというよりはジュリxゼフェというような、かなりおかしな展開に。すみません、何かの間違いです。それにしてもオスカー、まだ?

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