UP20020412

蒼天恋歌 第一話  緋色の夢 ―天空に近き頂に立つ人―





 ――世界を覆い尽くす、焼けるような大気の揺らめき。
 陽炎のように立ち昇り、わななくそれは、まるで星の悲鳴のごとく
 そこに在るすべてを震わせる。山も樹々も、一粒の砂さえも。
 それは緋色のプロミネンス。
 緋の炎を避けるように、たったひとつ天高くそびえたつ頂に佇む人影が、
 その光景をただただ見下ろしていた。
 緋のわななきに臆する事無く立ち尽くす人の、その瞳は、
 眼下の炎に憂い翳りながらも、慈しみのまなざしを送り続けていた――。




「おっと」
 緑深く茂る樹々の間を縫うように歩を進めていた足が、突然の障害物に驚き、軽やかに止まった。
 ひときわ大きな根を張る樹のたもとに静かに腰を下ろしている人物に、足を止めた赤い髪の守護聖が声をかける。
「リュミエール、何をやっているんだ、こんなところで」
「……オスカー」
 腰を下ろしていたリュミエールは、たった今まで伏せていた透明な水面のような瞳を炎の守護聖に向ける。
「どうしたのですか、このような所で」
「俺が先に訊いたんだ。危うく蹴り飛ばすところだったぞ」
「――ああ、すみません。……いえ、特に何をしていたという訳ではないのですが……」
 とってつけたような笑顔を返した後で、リュミエールは再び俯いた。
「具合でも悪いのか」
 心配しているのかいないのか、判断のつきかねる声音でオスカーが訊ねるのに、リュミエールはそっと首を振った。
「いえ、大丈夫です」
 そう言いつつも目を合わせようとしないリュミエールに、オスカーは軽く溜息をつく。
「俺はお邪魔なようだな。だがあいにくここは俺の散歩コースだ。顔を合わせたくなければ別の場所で憂えるんだな、水の守護聖様」
 皮肉たっぷりな物言いをするオスカーに、瞳を伏せたままのリュミエールはひと言だけ「すみません」と小さく言った。
 ――彼とは昔から、なぜか反りが合わない。決して嫌いな訳ではないはずなのに、時々その存在が心に痛く突き刺さる事がある。少なくとも、普段の茶飲み相手に出来る人物ではなかった。
 それはおそらく、オスカーにとっても同じ事だろうとは思うけれど。
「本当に大丈夫なんだな」
「はい」
 それだけ確認すると、オスカーはリュミエールに背を向け歩き出した。
 その姿に見送るような視線を一瞬向けた後、リュミエールは再び俯いた。衣の裾を少しだけ引き、折った膝の上に顔を埋めてしまう。その体勢のまま、深く静かな溜息をついた。
 不意に強い力でグイと腕を引かれ、驚いて顔を上げる。
「おまえの悪い癖だ、リュミエール。何でもないと言うなら最後までそういう顔をしている事だ。心配して下さいと言っているようなものだぞ」
「オスカー、私は……」
「いいから立て。立てないならルヴァ様でも呼んでくるか?」
 俺では相手にならないようだからな、と小さく、しかし聞こえるようにつぶやくオスカーに、リュミエールは激しく首を振った。
「そうではないのです、オスカー。私はただ……」
「ただ?」
「……」
 観念したように、リュミエールは再び小さな息を吐いた。
「すみません、ここで、このまま話を聞いて頂けないでしょうか」
 一体何を言い出すのかと言いかけたオスカーは、しかしリュミエールの儚げな、そのくせ真っ直ぐに自分を見つめる水の瞳に捕らえられて言葉を失くした。彼のもっとも苦手とする物だ。
 舌打ちひとつその場に屈み込み、リュミエールと視線の高さを合わせた。
「すみません……」
「謝らなくていい」
 訳もなくイラついてしまう。
「昨晩、夢を見ました……。オスカー、あなたの夢です」
 思わず、オスカーは顔をしかめた。
「聞いて下さい。……どこか、名前も分からない小さな星にあなたは降り立っていました。その星は地表を紅の炎で覆いながらくり返し悲鳴を上げていました。紅く、熱く、すべてを焼き尽くす炎の中で、生きとし生けるもの、大気から木の葉までもが叫び続けているのです。それは凄惨な光景でした」
 言いながら、リュミエールは眉間に深く皺を刻む。
「たったひとつ、その炎を避けるように天空高くそびえ立つ頂に、あなたはひとり立っていました。たったひとりで、その場に立ち尽くしたまま大地を見下ろしていました。あなたがその力の象徴とする炎の中で、けれどあなたはやり場のない哀しみをたたえた瞳で、その場に佇んでいるのです」
 黙ったままのオスカーの瞳を、リュミエールの瞳が捕らえた。
「それでもあなたは、その炎を受けとめるかのように両の手を差し広げました。それは、受け容れてはいけないもののような気がして私は声を上げようとするのですが、私は大気の一部になっているような感じでそれも叶いませんでした」
 オスカーは一瞬瞳を伏せ、パシンと軽くリュミエールの肩をたたいた。
「話にならんな。そんなものはただの夢だろう。それとも何か、おまえはこの俺の炎の力をそういう風に解釈しているとでも言いたい訳か」
「違います! オスカー、そうではないのです。私は――」
「もういい、立て」
 オスカーは、リュミエールの両肩を掴むと強引に引き立たせた。
「部屋に戻って考えたいだけ考えるんだな。放っておいたらここで二晩でも明かしかねん。悪いがそこまで付き合ってやるつもりはないぜ」
「オスカー、気を悪くなさらないで下さい。私は……」
「話はもういい。夢のひとつやふたつでいちいち考え込んでいたら、オリヴィエあたりはさぞ大変だろうな」
 オスカーに強引に肩を引かれながら、リュミエールは小さく首を振った。

 ――そうではないのです、オスカー。あれは、あの夢は、大地の悲鳴よりも、炎の昂りよりも、まるであなた自身がその心を炎に晒し、叫んでいるような――。こんな風に心の奥に引っかかったまま拭い去れない不安は、何かが起こるのではないかと、そんな予感ばかりが大きく膨れ上がって……。私の見当違いでは済まされないような、そんな気がしてならないのです――。




 その翌日、異変は起こった。
 ばたばたとけたたましい足音が近付いたかと思うと、宮殿内の女王補佐官ディアの執務室の扉が勢い良く開かれた。
「ディア様、大変です!」
 飛び込んできたのは金の髪の守護聖、マルセル。
「何事ですか? マルセル」
 驚いたようなディアの表情も目に入らない様子で、幼い顔立ちの少年は言葉をつづる。
「リュミエール様が、目を覚まさないんです」
「リュミエールが?」
「今朝、僕が花の鉢植えを届けようと思って……あ、鉢植えは前からリュミエール様に頼まれていた物なんですけど――ああっ、そんな事はどうでもいいんだ」
「マルセル、落ち着いて話して下さい。それで?」
 マルセルは、一度大きく息を吸って吐いた。
「それで今朝、リュミエール様のお部屋を訪ねたんですけど、まだ起きていらっしゃらなくて、そのまま鉢植えだけ置いて帰ろうとしたら、リュミエール様がうなされていたんです。それで僕、起こしてさし上げようとしたんですけど、全然目を覚まさなくて、でもとても苦しそうで……」
 マルセルの話に、ディアは表情を曇らせた。
「なぜそんな……具合でも悪いのでしょうか……」
「今、ルヴァ様に見てもらっているんですけど、どうしていいのかわからなくて僕……」
 ディアは、表情を歪ませるマルセルの両肩にそっと手を添えた。
「分かりました、私も参りましょう。どうか落ち着いて。何があったのか考えなけ
ればなりませんから」
 やんわりと微笑むディアに、マルセルは泣きそうになりながらうなずいた。




「リュミエール?」
 話を聞きつけたのか、リュミエールの部屋の扉を少々乱暴に開け放ったオスカーが、そのまま部屋に入り込んできた。
 後から守護聖の長、ジュリアスが続く。
 リュミエールの様子を見ていた地の守護聖ルヴァが振り返る。
「ああ、ジュリアス、オスカー」
「一体どうしたというのだ」
 ジュリアスの言葉にルヴァは首を振る。
「それが分からないんですよー。昨日までは具合の悪そうな素振りは見せていなかったと思うんですがねえ。いくら起こしても目を覚まさないというのはどういう事なんでしょうねえ」
 口調はのんびりしているが、その表情は心底困り果てている。
 三人の視線の先では、床に伏せ、苦しげな表情を浮かべているリュミエールが、目を閉じたまま身じろぐ。
「リュミエール」
 オスカーはついとベッドに近付くと、リュミエールの顔を何度か軽く叩いた。
「おいリュミエール、起きろ」
「ああ、あまり乱暴にしないで下さいよー……」
 小さく呻くリュミエールの額には、うっすらと汗が滲んでいる。
「何が起こったというのだ……」
 口許に手をあてたジュリアスが呟く横で、オスカーはふと昨日リュミエールに会った時の事を思い出した。
「……まさかな……」




 リュミエールの部屋に向かおうとして女王の召喚を受けたディアは、女王の間へと行き先を変えた。
「参じましたわ、女王陛下」
「ディア……何かが起こりつつあるようである」
 気高く響き渡る女王の声に、ディアはリュミエールの件を口にした。
「何か、関係があるのでしょうか?」
「どこからか、大きな力が求められているようだ。比類無き、負の願い。あまり良い波動ではない。リュミエールはその願いに反応してしまったのであろう」
「負の――願い? ではそれは、リュミエールの持つ水の属性に関係する何かなのでしょうか」
「まだ分からない。……が、おそらくそうではない。もっと違う何かのようだ。考えられるのは――いや。ここ聖地より、正式に調査確認を急いだ方が良いであろう。なぜリュミエールに力が及んだのかが判らぬ。他の守護聖を謁見の間へ召集させるよう」
「御意に……」




 薄暗い部屋で、一瞬透明な水晶球がはかなく煌いた。それを眺めていた闇の守護聖が、ふと顔を上げる。
「猛り狂う、炎の星――か」
 何事もなく平和に見える聖地の空気が一瞬大きく揺らめき、風となって彼の地一帯を駆け抜けた――。


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