UP20020412
蒼天恋歌 第二話 遥かな星へ
水の優しさとは、与えられる者はそれに安らぎを覚えるけれど、「与える側」は周囲が考えるより酷な思いをしているのかもしれない。 ふと緑の木々の合間から覗く空を見上げ、風の守護聖ランディはそんな事を考えた。 「リュミエール様、お可哀相にね」 隣でしゃがみ込んでいるマルセルがポツリと呟くのに、ランディは頷いた。 「陛下の話からすると、どこかの惑星から発せられる”負の願い”とかいうもののせいで、リュミエール様はふせっているんだろう? 俺はさ、まだ何にも感じないんだよ。きっとリュミエール様の持つ優しさが、そういうモノを敏感に感じ取ってしまったんだろうな」 「うん……僕もまだ何もわからないよ」 マルセルが返すと同時に、パキ、と小枝を手折るような小さな音が聞こえた。 「はっ。ただ単に軟弱なだけなんじゃねーの? いかにも身体弱そうだもんな、あのお方はよ」 「ゼフェル!」 そこには、小枝を手にした鋼の守護聖ゼフェルが、所在無さそうにそれを弄びながら佇んでいた。 「ゼフェル、おまえ何て事を! リュミエール様は……!」 食って掛かろうとするランディを遮るように、マルセルが勢い良く立ち上がる。その瞳が優しく細められた。 「ゼフェル! ……本当は、心配なんでしょう? 僕わかるよ。今朝だって、僕がリュミエール様のお部屋の前に行った時、ゼフェル、扉の前でうろうろしてたもんね」 リュミエールが床に伏してから三日が経っていた。すぐに守護聖が集められ、現状の報告があった後、待機の命が下されたがその後の変化はなく、リュミエールも目を覚ます事無く眠り続けている。 「別に」 一言返して、ゼフェルは小枝を放る。それは、音も無く軟らかな若草の茂る地に落ちた。 「……まあ、ただよ。何でリュミエールなのかなってさ……。俺達、陛下の話を聞いた後も、何も感じねーじゃねェか。仮にも守護聖が8人も揃ってだぜ? まだ調査の結果だって出ちゃいない。いくらなんでもこのままじゃ、あいつだってもたないぜ!」 最後はほとんど吐き捨てるような口調になる。ランディは、思わずフッと笑いをこぼした。 「素直じゃないなあ。……でも、本当にどうしてなんだろうな」 ランディの呟きに、マルセルが顔を上げる。 「そういえばさ、謁見の間に集まった時に、クラヴィス様とディア様が話してたんだけど、クラヴィス様の水晶球に何だか惑星が映ったらしいよ。もしかしたら関係があるかもしれないって言ってた」 「あァん? 何だってあいつらはそういう事を言わねェんだよ! 俺らはハブって訳かよ」 「怒るなよゼフェル。きっとまだ皆に話す段階じゃないんだ。別件って可能性もあるんだし」 「んな訳あるかよ! めちゃめちゃタイムリーじゃねえか!」 ランディとゼフェルの言い合いの間で、マルセルは小さな溜息をついた。 「でも……やっぱりクラヴィス様御自身は波動みたいなものは何も感じてないみたいだよ。あくまで水晶球が惑星を映し出したってだけで」 ゼフェルは手近な木の幹を軽く蹴った。 「はん。つまりはやっぱり何も判らねーままって事じゃねえか」 なぜ9人もの守護聖の中で、ただひとりだけが苦しまなければならないのか。 何もわからない。何も出来ない。 ゼフェルの苛立ちはそこにあった。 「陛下の次の命を待つしかないよ……」 ランディは、言うと同時に踵を返して歩き出した。 「どこに行くの?」 マルセルの問いに、ランディはにこやかに振り向く。 「リュミエール様の様子を見てくるよ」 「あ、僕も!」 マルセルが後に続く。 「ゼフェルッ。おまえも来るだろ?」 ニッと笑いながらランディが言うのに、ゼフェルは勢い良く顔を背けた。 「けっ、バーカ。病人の部屋にゾロゾロ多人数で行く奴があるかよ。俺は用もねーし、別に行かなくても……」 そこまで言うと、いきなりマルセルがゼフェルの腕を取った。 「じゃあさ、静かに、皆で行こうよ。何の役にも立たないけどさ、もしかしたら、リュミエール様、目を覚ましてくれるかもしれないし」 マルセルは、ふわりと優しい笑顔を見せる。 強引に腕を引かれながら、ゼフェルは再び小声で「ばーか」と呟いた。 「何かわかった?」 ルヴァ自慢の書斎で、テーブルに両肘を突けたまま、何をする訳でもなく椅子に腰掛けていた夢の守護聖オリヴィエが、扉を開けて姿を見せたルヴァに問い掛ける。 「ああ、何時の間にいらしてたんですかー? ……いえねえ。研究院でも調べを進めているらしいですが、まだ何とも……。せっかくこれほどの資料があっても、陛下の言う”波動”の出所すら判らないのでは、実際何の役にも立ちませんからねえ」 ルヴァは、普段から細い目を更に細めた。 「リュミエールは?」 「ええ、目を覚まさないままで……。そういえば、先ほど様子を見に行った時もオスカーが付き添っていたようですが」 「めっずらしい」 「気になる事でもあるんでしょうかねえ。特に何も言ってはこないのですけど……」 オリヴィエは、伸びをするかのような仕草で反り返り、背もたれに寄り掛かる。 「何か知っているなら、いくらあいつでも陛下に報告するでしょうよ。何だかんだ言っても同期の桜、気になってるんじゃないのお?」 あの二人、お互い素直じゃないんだから、とカラカラ笑う。 「そうなんでしょうかね……」 何度目かの溜息をつきながら、ルヴァはぽつりと呟いた。 やはり、リュミエールが見た夢と、今回の件とは何か関係があるのだろうか。 眠っているリュミエールの傍らで、オスカーは考えていた。 けれど。 その夢はどんな夢だったと言っていたか? ”――炎を避けるように天高くそびえ立つ頂に、あなたはひとり、立っていました――” 「俺も、関係しているというのか……?」 しかし、オスカー自身には何の影響も出ていない。リュミエールの言うような、そんな星は記憶にすらない。 やはり、ただの偶然なのだろうか。 「……オスカー……」 小さな呟きが耳に届いた。 ハッとしてオスカーはベッドのリュミエールを見る。だが、リュミエールは先程までと変わらず瞳を閉じたままだった。 「リュミエール?」 リュミエールは、ただ苦しそうに身じろぐだけである。 再び口許がわずかに動きを見せた。けれど、それは言葉にならない。声にならない声を発したその唇は、やはりオスカーの名を呼んだようだった。 今、リュミエールはどこかの惑星の波動を受けて伏せっている。その状態の彼が、オスカーの名を呼ぶと言う事は。 「やはり……?」 リュミエールの見たという夢と今回の件は、関係があるのだ。 間違いなく。 おそらく彼は、あの時オスカーに語って聞かせた夢と同じ夢を、今も見ているのだろう。 「なぜ、おまえなんだ……!」 自身の感知しないところで、オスカーはこの件に関係している。しかし、影響を受けているのはリュミエールなのだ。 うっすらと汗の滲んでいるリュミエールの額にはりついた前髪を、オスカーはそっと掻きあげ、梳いた。 「おまえは今、どこにいるんだ……?」 女王から召集の命が下り、リュミエールを除く守護聖全員が再び謁見の間に集まった。 全員の顔を確認すると、ディアが一歩前に出る。 「負の波動の出所の見当がついたようです」 ディアの言葉に、ジュリアスがいぶかし気な表情を見せる。 「見当? 確定できたのではないのか」 ディアは顔を曇らせる。 「この宇宙の、惑星のひとつから発せられているのは間違いありません。確定できるまでにはまだ時間が必要なのですが……それを待つ余裕はないだろうとの、陛下の判断が下されました。リュミエールの身体の事もありますから」 「……それで?」 「次元回廊を開きます。守護聖のうち代表の者は、回廊を抜け波動のもとである惑星を特定して、そこに向かって下さい」 「そのような事が、可能なのか」 ジュリアスが質すと、頭上から気高く美しい声が響き渡った。 「現在の聖地は結界に守られている。そのために波動が読み取りにくくなっているが、回廊を開く事によって波動は一息に押し寄せ、守護聖全員が感じ取れる程の大きな力になるであろう」 それは女王の声だった。 「その波動をたどって、問題の惑星を見つけ出した後に、調査を行なって頂きたいのです」 ディアが付け加える。 「その惑星へは俺が行く」 オスカーが躊躇いなく申し出た。 「オスカー? 一体……」 突然の申し出に戸惑うディアには一瞥をくれただけで、オスカーは踵を返し、謁見の間から出て行こうとする。 「回廊を開くならさっさとやってくれ」 「待ちなさいよ」 オリヴィエの声が、それを止めた。 「なんだ」 苛ついたように足を止めるオスカー。その姿に、オリヴィエはいやにわざとらく「あーあ」と溜息をついてみせた。 「あんたらしくないじゃないのさ。なーに? そんなにリュミエールが心配?」 オスカーは一瞬の躊躇を見せた。 「……そうだ」 おやおやとオリヴィエは目をみはる。 「違うでしょォー。……あんたさ、何か知ってるんじゃないの?」 ぴくりとオスカーの眉があがる。 「何をだ」 「それを私が訊いてるの。あんた、いくらなんでもおかしいじゃない、リュミエールが倒れた日から」 「別に俺は!」 「私知ってるよ。時々リュミエールがうわ言であんたの名前呼んでるの。それってつまり、あんたが関係してるって事なんじゃないの?」 「……」 そこに、ジュリアスが割って入った。 「それは真か、オスカー」 「ジュリアス様……」 再び、頭上から声が降りてきた。 「話しなさい、オスカー」 女王自身に要求されたのでは、さすがにオスカーも逃げる訳にはいかない。 仕方なく、彼は数日前からの事の成り行きを全員の前で説明しはじめた。 「あんた、バッカじゃないの。どうしてそういう事を早く言わないかねえ。私らにはともかく、陛下にまでさ」 次元回廊に通じる扉の前。 調査に向かう事になったオスカーとオリヴィエ、ランディは肩を並べてその場に佇んでいた。 「そうですよ、オスカー様らしくもない」 ランディも元気良く賛同する。 「俺にもわからん。……まさかこの件が関係しているとは思わなかった、という事もあるが……」 いまイチ歯切れの悪い返事をしてしまう。 事実だ。 確かに、少しの可能性でもそれをきちんと提示して、全員で考える必要はあったと思う。 が、なぜか、まるで本能が避けるようにオスカーはそれをしなかった。 彼自身にもさっぱりわからない。 「皆さん、用意はよろしいかしら」 そこにディアが現れた。次元回廊が開かれるのだ。 「はい」 それぞれに返事を返す。 「では……回廊を」 次の瞬間、ふわりと空気が揺らぎ、時空をつなぐ道が開かれた。 とたんに、すべてを圧倒するほどの大きな大気の渦があたりを取り巻く。 「これは……何!?」 大きく歪み、禍々しくさえ感じられる気の塊。 色にたとえるなら、深く暗い黒。 音ならば耳に障るノイズ。 「こんなにひどいものだったなんて……」 あまりの事に、ディアは思わず壁に手をつきもたれかかる。 女王の声がこだました。 「これがどこかの星のひとつから発せられる負の波動……。危険な調査になるであろう。心して行動するように」 「陛下!」 ランディが叫んだ。 「たったひとつの星の発する力が、これほどまでに聖地を揺るがすものなのですか!?」 信じられない気持ちでいっぱいだった。 「星自体はとても小さなもの。だが、そこに在る生きとし生けるもの、それら全てが同じ想いのもとに心を集結させれば、それは全ての他を圧する力となる。現に、それは守護聖にも及んだ。星の力とはそういうものだ。そして、この宇宙にはそんな可能性を持つ星が、無数にひしめいている事を忘れてはならない」 オリヴィエが、苦しさを紛らすように激しく首を振った。 「つまり、この波動をたどって波動の出所を探ればいい訳でしょ!? こんな所でごちゃごちゃやってないでさ、とっとと済ませちゃおうよ!」 「そうですね。では皆様……」 ディアが促す。 「待って下さい……!」 繊細な衣擦れの音と共に、叫ぶ声があった。 「リュミエール!?」 そこには、壁にもたれかかり、荒い息をつくリュミエールの姿があった。 「おまえ、目を覚ましたのか!?」 オスカーが駆け寄る。が、その声も耳に入らない様子で、近寄ったオスカーの二の腕をとると、リュミエールは悲痛に叫んだ。 「オスカー、あなたが行ってはいけません! あそこは……あの星は……」 「リュミエール?」 「あなたには……危険……」 そのまま力尽きたように、リュミエールは崩れ落ちる。 だが、その身体は地に倒れ込む事はなかった。 「リュミエール……!?」 リュミエールが倒れ込んだその瞬間、彼の姿は開かれた回廊の扉の向こうに吸い込まれるように視界から消えた。 「リュミエール!」 差し伸べたオスカーの手が、むなしく空を切る。ディアが両手で口許を覆った。 「一体、何が……」 「リュミエール!!」 叫ぶような呼びかけは、しかし時空の狭間に掻き消えたリュミエールには届かなかった。 |