UP20020412

蒼天恋歌 第三話  雪原の立ち枯れの森





「納得できるものか!!」
 気の弱い者なら簡単にすくみ上がってしまうような怒声が、宮殿の空気を揺るがした。
 声の主はオスカーである。
「俺がリュミエールの後を追うのが何故いけない? 今回の件に、この俺が関わっている事は知っているだろう!」
 オスカーの拳が机を叩く。向かい合うディアは、臆する様子もなく女王からの言葉をオスカーに伝えた。
「危険なのです……。リュミエールが消えた原因も、そもそもの発端も、まだ分かってはおりません。何かあってからでは……」
「何かなんて、とっくに起こっているだろう!」
 見ろ、とオスカーが振りかぶる。宮殿の外を取り巻く大気は、名も知らぬ惑星の波動を受けてビリビリと身体に突き刺さるかのように張り詰めている。それは、守護聖でなくとも違和感を憶えるほどに強いものになっていた。
 リュミエールが回廊の扉の前でかき消えてしまったのは、まだ数時間前の話である。そのわずかの間に、聖地の空気は波動の良くない影響を受けるだけ受けていた。
「リュミエールは、間違いなくその惑星に飛ばされたはずだ。あの波動に捕まって……」
 それとも時空の狭間をさまよっているか。しかし、その可能性は低かった。あれ程の強い波動に引きずられて、その波動は今でも聖地に蔓延しているのだ。
「リュミエールが、ずっとあの夢を見ていたのだとしたら……」
 そう言ったオスカーは、口許に右手をあて、身体の中心から込み上げてくるものを押さえるかのように、かたく瞼を閉じた。
 リュミエールが消えたすぐ後、オスカーは炎の惑星を見た。
 それはまるで真昼の夢のように彼の周りを包み込み、圧倒的な存在感でオスカーを翻弄した。
 ほんの一瞬の事ではあったが、確かにオスカーはリュミエールが見たであろうその光景を見たのだ。それまでひとりでそれを感じていたリュミエールがいなくなったからなのか。しかし、オスカーにその判断はつかない。
「普通じゃない……。あんな惑星は初めてだ。リュミエールがあれを夢に見ていたのなら、うなされて当然だ」
 そして、その「惑星」に今、リュミエールがいるのだとしたら。
「それこそ、何かあってからでは遅いんだ!」
「オスカー」
 ディアが、なだめるようにそっとオスカーに近付く。
「あの時の、リュミエールの言葉が気にかかるのです。あの惑星はあなたには危険だと、リュミエールはそう言っていましたね? 彼は、私たちよりも多くの情報を持っていたと思われます。その彼の言葉ですから、無視する訳には……」
「もういい!」
 オスカーは怒鳴り、踵を返した。
「オスカー!」
「話していたって埒があかない。方法を考える」
「オスカー! ……無理はなさらないで下さい」
 ディアの言葉には無言のまま、オスカーは部屋を出た。




 その薄闇は、漆黒の宇宙を思い出させる。そんな空間の奥、静かに光り輝く水晶球が、円を描くように薄紅の光を発した。
「珍しい顔だな……」
 それを見つめていたクラヴィスが静かに顔を上げた。その先に立ち尽くしているのはオスカーである。
「リュミエール以外の人間はすべて珍しいんじゃないのか、あんたの場合」
 足元をすくわれてしまいそうな闇に、オスカーは思わず毒づいた。クラヴィスは、気にする風でもなく赤い髪の守護聖を見つめる。しかしオスカーの立つ場所からは、彼がどこを見ているのかは分からない。リュミエールはよくもこんな部屋を訪ね続けているものだと、正直思った。
「あんたは”あの惑星”の姿を水晶球で見ていたそうだな」
「……」
「それを、俺に見せてくれ」
 オスカーの言葉に、クラヴィスはわずかにその口許に笑みを浮かべた。
「別段かまわぬが……どういった風の吹き回しか、そなたがこの私に頼み事をするほど、状況が変動している、という事か」
 リュミエールが消えた事に対し、何の感想もないかのような口調に、オスカーは苛立ちを覚えた。
 誰もすき好んでこの部屋を訪れている訳ではない。ましてや、この闇の守護聖に頭を下げている訳でも。しかし、情報が必要なのだ。
 オスカーが感じた、あの星への危惧。初めてだとあの時は思ったが、同じ星を何度も見てきたような、そんなおかしな感覚も受けた。
 何故かは分からなかったが。
 キリ、と奥歯を噛みしめる。
「あんたもリュミエールが消えたのは知っているはずだ。この件のそもそもの発端には、俺が深く関わっているらしい。だが俺がリュミエールの後を追う事は、今は禁じられている。方法を探しているんだ」
「フ……藁をも掴む、といったところか」
「……そうだ」
「藁は、藁でしかないのだがな……まあ良い、その惑星を映しだす事は簡単に出来る。……が、そなたはこの件に、深く関わっていると言っていたな。……せいぜい気をつける事だ。幻に取り込まれぬように、な」
 クラヴィスは、目の前の水晶球をするりと撫でた。とたんに、これまでに目にした事もないような緋色が中心から急速に広がる。血のようなその朱が、炎に変わった。
「これは……」
 オスカーが息を呑んだ。
「そなたにどう見えているかは分からぬがな……」
 クラヴィスの視点から見るとひとつの赤い惑星が映っているだけだったが、オスカーは違った。
 惑星全体をとり巻く炎。それは水晶球をもやぶり、部屋全体を包み込むかのような勢いで触手を広げ、オスカーに襲い掛かる。
「うぅ……ッ!?」
 思わずあげた声も掻き消し、燃え盛る炎はオスカーを取り巻いた。
 とどまる事を知らない赤。
 その炎に、オスカーは熱さこそ感じなかったが、言い知れぬ恐怖を感じた。
 ――まるでその炎の猛りが、オスカー自身の炎の力さえもかき消してしまうような気がして。
 炎に巻かれたまま、オスカーはその場に膝をついた。そしてこめかみを流れる汗もそのままに、まるで静かな眠りにでも就くように瞳を閉じた。


 炎が消え去った部屋に、オスカーの姿はなかった。潮が引くようにおちた炎と共に、彼は姿を消していた。
 後には、元どおりの闇の静寂だけが残る。
「気をつけろと、言った筈だがな……」
 クラヴィスは、小さく呟いた。その場に似合わぬ緩やかな笑みを、その顔にのぞかせる。
「奴にしろ女王にしろ、無謀な事だ……」
 意味深な言葉を綴ると、先程の事が嘘のように静かに輝く水晶球を、再び見つめた。
「せいぜい上手く、リュミエールを救いだしてやる事だな……」




 さらさらと降り注ぐ、細やかな光。

 そのきらめきを瞼に受けて、リュミエールは伏せていた瞳をそっと開いた。
「……白……?」
 視界いっぱいに広がる白。目を慣らすように二度三度、瞬きをする。
 ゆっくりと体を起こしてみた。とたんに襲い掛かってきた強烈な冷気に、リュミエールは思わず自身の身体を抱きしめた。
「……ここは……」
 辺り一面、白で覆い尽くされている。雪かと思ったが、それだけではなかった。彼が横たわっていた大地も、見上げる空も、全てが白かった。全体が、芯から凍りついているのだ。
 丈の高い木が無造作に立ち並ぶ。その木々すら、白かった。
 さらさらと降り続く光は、空気が凍てついた結晶だ。雪ではない。
 そこは風もなく、音もなく、全てが静寂に包まれていた。
 身体を起こしたリュミエールは、高くそびえ立つ木に手を添え、頬を寄せてみた。それは、無機物のように冷たい。一時そうしてみても、その木の中に水の流れは感じられなかった。ここは、どこをとっても生命の息吹が感じられない。
 感じられる生命の鼓動は、リュミエール自身のものだけだった。
「この木々は……枯れた後、凍てついたままずっとここに立ち続けているのですね……」
 リュミエールが立つその場所は、小さな森のようだった。しかし、そこに立つ木々は全て色を失い、生命のかけらすら感じる事が出来なかった。
 リュミエールは、ふと疑問に思った。
 ここは、どこなのだろうか。
 思いかえしてみる。リュミエールの最後の記憶は、聖地の次元回廊の前だった。するとここは、あの惑星なのだろうか。
 しかし。
 彼が夢で見た星とこことは、あまりに違いすぎた。燃えさかる炎などはもちろん無く。見上げる空も、覆う雲の形すら分からないほどに白い。いつそれが雪になって落ちてきても不思議ではないくらいだ。
 だがここは、あの夢の星に間違いないとリュミエールは思った。イメージこそ違うが、どこかが。全体的な何かが、重なるのだ。
 夢で見た星とここは同じ存在であると、彼の本能が告げていた。
 様子を見てまわらねば、と思った。ここでじっとしていても、どうにもなりそうにも無い。しかし、辺りの気温の低さがそれを妨げた。
 寒い。
 ここにある木々と同じように、足元から凍りついてしまいそうだった。
 もとのように、その場に膝をついてしまう。立ち上がれそうになかった。

「……?」

 何かの気配を感じて顔を上げる。
 いつのまに姿を現したのか、そこには毛並みを蒼白く輝かせた、狼にも似た獣が静かに佇んでいた。
 リュミエールが初めて目にした、生命あるものだった。
「あなたは……」
 姿は狼に似ていたが、身体は馬ほどもあろうかという位に大きい。その獣は、ついとリュミエールに近付くと、まるで彼を包み込むかのように、そっとその場に横たわった。
 座り込んでいたリュミエールの周りだけ、ふわりと微かな温かさが広がる。
「私を……守って下さるのですか?」
 自分を抱き込むように丸く横たわる獣の身体に、そっと触れてみる。青銀色の毛並みが、繊細に煌いた。
 この獣がどこからやってきたのかは分からない。
 これから自分がどうすれば良いのかも、分からなかった。聖地は今、どうなっているのだろうか。オスカーは?
 あの時感じたオスカーへの危惧は、いまだにリュミエールの中にくすぶり続けている。この星は、オスカーには危険なのだ。
 けれど今となっては、どうしてあれ程までにオスカーに対し危険を感じたのか、リュミエール自身にも分からなかった。
「私はこれから、どうしたら良いのでしょうか」
 物言わぬ獣に、リュミエールは語りかける。
 聖地へ帰る方法も、分からない。
 青銀の獣は、気にもかけていないように静かにこうべを垂れた。
「あなたは……とても優しい存在ですね」
 再び空を見上げる。
 もう一歩も動く事の出来ないリュミエールは、この先どうして良いのか分からぬままに、その獣に身を任せるかのように寄り添い、瞳を閉じた。




 聖地の空気が変わった。

 それは、そこに残る守護聖全員が感じとる事ができた。
 それまでこの地を覆い尽くしていた禍々しい空気は、ある瞬間を境に、嘘の様に消え失せてしまっていた。
「そなたが手引きをしたというのか……!」
 宮殿内の謁見の間に、ジュリアスの怒声が響く。一方怒鳴りつけられているクラヴィスは、瞳を伏せたままこともなげに一言返しただけだった。
「……そうだ」
 その言葉に、ジュリアスの眉がつり上がる。
「危険だと、陛下は告げられた筈だ! そなたもそれは知っていたであろう、それを何故……!」
 オスカーを勝手にあの惑星に送り込んでしまった事を、ジュリアスは責めている。だが、食って掛かる勢いでジュリアスが詰め寄っても、闇の守護聖は動じる事なくその場に立っているだけだった。その場にいるディアが、ジュリアスをなだめるようにそっと押さえる。
「その、女王らしからぬ無謀な依頼に、私は従ってやっただけなのだがな……」
「何だと……?」
 ディアが、はっとしたように顔を上げた。
「陛下、まさか……!?」
 謁見の間の奥、女王の座すその場所から、声が響き渡った。
「そう……オスカーを彼の地に送り込むよう真に手引きしたのは、この私だ。回廊は使わず、水晶球に直に時空をつなぎあわせた。クラヴィスは、きっかけに過ぎぬ」
「何故!?」
 驚きのあまり、ジュリアスが向き直り、歩み寄る。
「炎に包まれた彼の惑星は、クラヴィスの水晶球よりその姿を確認した。確かにあの惑星は、オスカーには危険な場所であるのは間違い無い。オスカーを送り出した時よりこの聖地の空気が変わった事からも、あの者が深く関わっている事が分かった。当初危険だと判断を下したが……それを承知で行動を起こさなければ、おそらく何も進展はないであろう」
「しかし、そのような無茶を……」
「承知している。だからこそ、影響を最小限にするために回廊は使用しなかったのだ」
「陛下……」
 しかし、早急に次の行動に移らねばならない、と女王は告げた。
「新たに分かった事もある……。あの炎の星……あれは、あの星が放つ、未来の夢のようなものだ」
「未来の……夢?」
 燃えさかる炎の惑星、あれは今現在起こっている事ではない、と女王は言う。
 ただ、聖地を覆ったあの「負の波動」だけは、今もあの惑星より発せられているのだと。
「どういう事なのだ……」
 ジュリアスは、今にも頭を抱えそうな面持ちで考え込んだ。
「つまりは……発せられている波動をこのままにしておいたら、あの惑星は猛る炎に包まれ、いずれ滅びてしまうという事なのでしょうか?」
 ディアの考えに、クラヴィスがわずかに頷いた。
「それも、近隣の惑星や、聖地をも巻き込む勢いでな……」
「そんな……」
 とにかく、今はこの事を他の守護聖に伝えなければならなかった。その役目を遂行するためにジュリアスが退室し、クラヴィスも特に何事も無かったようにその場を辞した。




 女王はひとり、意識を宇宙へと飛ばし、空間を見つめた。そこに起こる星の爆発、拡散。ガスが星雲となり、また新たに星が生まれる。
 そうやって、星は輪廻し続けるのだ。
「滅びとは、いずれどの星にも必ず訪れるもの……。しかし、今のあの惑星の状態――放っておいて良いものではないようだ……」

 女王の言葉は、誰が聴く事もなく、暗い宇宙空間の中に消えて行った。


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