UP20020412

蒼天恋歌 第四話  聖獣





 最初に瞳に飛び込んできたのは、真っ白な光だった。射抜かれてしまいそうな、鋭い白。その地に足をついた途端、目眩を覚え、膝をついてしまう。
 その地に降り立ったオスカーは、一瞬目をしばたかせると、あたりの白さに目が慣れるのを待った。
 とにかく、「どこか」にたどり着いたのは間違いないらしい。いささか強引なやり方だったが、ここが例の惑星なのだとしたら、あの闇の守護聖にも感謝しなければなるまい。
 静かに首を振り、辺りを見回した。

 一面の白。

 そこが氷の世界である事は、容易に認識できた。オスカーのいる場所には冷たい岩肌が連なっていたが、すぐそばにはこれもまた白一色の林が広がっている。立ち並ぶ木々さえも色褪せているそこは、風も無く静寂に包まれていた。

 ふと、そこに似つかわしくないような、生命の息吹を感じた。

 よく知っている、透明な水のような魂の鼓動。
 我知らず、オスカーはその存在に向かって林の中を歩き出した。
 早々に探し出したい気持ちはあったが、急いて追いすがると一瞬で掻き消えてしまいそうな微弱な水色のオーラ。その存在の弱さが、オスカーが走り出す事を躊躇わせた。
 思えばそれは、いつでも感じていた事のような気もする。
 いつもいつも、あの儚げな瞳は、自分を見つめてはその度に視線を落とした。
まるで強すぎるアイスブルーの瞳から己を守るかのように。それでも時には頑ななまでの強情さを見せる事もあったが、総じて水の守護聖は、炎の守護聖に対して消極的だった。
 相反している、とは良く言ったものだが、そもそもぶつかり合うほどに近付いてはいない。まるで同極の磁石のように、触れ合う前にはじきあっている。
 しかしそんな関係の二人なのに、一見弱そうな彼の人はオスカーに対し時々信じられない無茶をするから、今回のような事になる。何を見、何を考えて行動したのかがオスカーにはまるで解らないのだ。普段から歩み寄っていたならこんな事にはならなかったろうかと、今更後悔しても遅いが。

 どれほど歩いただろうか。

 さすがのオスカーも息が上がってきた。何しろここは寒い。これだけ動いていても、冷えた空気が体温をさらっていくようだ。
 不意に、視界に煌く青銀が現われた。
 それは、蒼白く輝く大きな獣。
 その懐の中で、水色の髪を波のように広げ放ったまま、至上の美しさを持つその人は、静かに眠りに就いていた。
 オスカーは、そっと歩み寄る。
 この地に溶け込んでしまいそうな程に白い肌と、目許に陰を落とす長い睫毛。それは、生きているのかを確かめる事すら躊躇わせるほどに淡く、冷たく、美しかった。
 その人の名を呟き、立ち尽くす。

「……リュミエール……」




「一体どうすればいいんですか!!」
 ランディにしては珍しく、その場に佇むディアに食って掛かる。彼女の執務室に、残った守護聖全員が集っていた。
『現段階において、次元回廊を開き二人を聖地に導く事は不可能である』
 それが女王の出した結論であった。
 オスカーが引き寄せられたのを良い事に、彼の惑星の座標は確定されたが、そこから今二人を引き戻したのでは、状況は何も変わらないままになってしまうのだ。
「オスカーにとって危険であると推測されるあの星に彼自身を送り込んだのは、陛下のお考えがあってのことです」
 ディアは静かに告げる。
 彼の地に旅立った二人が問題を解決するのが最良の方法なのだ。彼らがあの惑星に引き寄せられたのは、単なる偶然ではない。彼らの中の何かが必要とされていたからこそ、影響を受けていたのだ。
「しかし、問題点そのものが未だに不明ではないか」
 ジュリアスが言う。もっともな意見だ。
「そうですね……。ですからあの二人に正式に調査を依頼するために、どなたかにあの星へ赴いていただきたいのです」
「無理っぽくねーか?」
 ひとり離れて入り口の扉に寄り掛かっていたゼフェルが、ディアに反論する。
「リュミエールがどういう状態だったか、知ってんだろうが。聖地にいてさえあんなだったのによ、今頃もっとひでー事になってるかもしれねーんだぜ」
 オスカーだってそうだ、とゼフェルは付け加える。
「承知しております。ですから、こちらから赴く守護聖には、彼らを補佐する役目も担っていただきたいと思っています」
 ほんの少し深刻な表情を緩ませ、ディアはゼフェルを見つめた。
「……ちっ、わかったよ、行きゃあいいんだろ」
「ええっ!?」
 ふいと顔をそらすゼフェルに、まずランディが驚きの声を上げた。
「ゼフェルが行くんですか!?」
「現時点で、ゼフェルが一番適任かと思われます」
 対するディアの、落ち着き払った声。
「ゼフェル。彼の星の名を」
「……エアローデ。リュミエールが呟いた名だ」
 一時前に、ゼフェルはおそらく星の名であろうこの言葉を研究院に報告していた。最初こそ彼自身も半信半疑であったが、この名により惑星の座標の早期確定が実現したのである。
 間違いなく、この惑星の名は『エアローデ』であった。
 他の守護聖が驚いたのは、この事だけではなかった。よもや、ゼフェルが眠るリュミエールのわずかな言葉を聞き出すほど彼の許に通っているなどとは、誰も思っていなかったのだ。
 ディアが微笑んだ。
「頼みましたよ、ゼフェル」




 白く冷えきった頬を、大きな手が軽く叩く。
「リュミエール……リュミエール!」
 幾度か繰り返すと、伏せられた瞼がぴくりと動き、長い睫毛がそっと動いた。
 水の色の瞳がその下からのぞく。
「リュミエール」
「……オス…カー……?」
 ぼんやりとした瞳が、ややあってから見開かれた。
「オスカー!?」
 青銀の獣に寄り添わせていた身体が、らしくもなく跳ね起きる。獣のほうはというと、それを感知する風もなく瞳を閉じたままである。オスカーの存在すら眼中にはないといった様子だ。
「何故……ここに」
「ご親切な誰かさんに放り出されたのさ。お前こそ何をやっている……いや、何を知っているんだ? ここはどこだ?」
 オスカーの質問の連発も無理の無い事であったが、リュミエールは静かに首を振った。
「私にも……よくは分かりません。ですが、あなたが来てしまうなんて……」
 あれ程、危険だと告げたはずなのに。
 今でも、この静かな空気の中でさえ、張り詰めた糸のような緊張感が全身にまとわりついている。不思議と、聖地にいる時ほどダイレクトには感じなくなったが、それは他の存在に向け『負の波動』を発しているこの惑星そのものに足を踏み入れているからかもしれない。
 オスカーはため息をつく。
「あの状況で俺が聖地でのほほんとしていられる男だと思っているのなら、俺は相当お前に見くびられている事になるな」
「そんな……つもりでは」
「まあいい。それより、それは何だ?」
 リュミエールを包み込んでいる馬とも狼ともつかぬ獣。まるで置物のように先程から微動だにしない。
「ずいぶん前から……こうして寄り添ってくれているのです。何故なのかは分かりませんが……」
 リュミエールがその青銀の毛並みをそっと撫でると、彼は低く唸るように喉を鳴らしたようだった。
 オスカーは、内心頭を抱え込みたい想いだった。
 何故、この男はこんなにも無防備なのだ。
 得体の知れない惑星で、得体の知れない獣に遭って、どうにかされてしまうとは考えないのか。
 突っ込みたい気持ちは、しかしかろうじて押え込んだ。オスカーから見ても、この獣に害はないように見える。結果オーライというところだ。
 しかし、どうしたものか。
 何にせよ、このままではまずい、とオスカーは考えた。ここでじっとしていても何も進展はないように思える。どうにか動かなければ。
「リュミエール。お前、ここに降りたってから、この場を動いていないか?」
「は? ……はい……」
 それならば。
 オスカーは、自分が今来た方向を振り返った。少なくとも、自分がたどってきた道のりには岩と氷と、木々しか存在していなかった。別の方向のどこかに、人間の存在する集落があるか確かめる必要があるだろう。
「お前はここで待っていろ」
「え?」
 オスカーの言葉に、リュミエールはふと瞬き、彼の顔を見上げる。オスカーがまるで自分に覆いかぶさるかのような距離で、スイと腰を落とし膝まづくのを視線で追った。
「辺りの様子を見てくる。人間のひとりでもいてくれればありがたいんだがな」
「オスカー、私も……」
 リュミエールが申し出ようとするのを手で制し、オスカーは皮肉たっぷりの微笑を見せた。
「足手まといだ。お前はここで、こいつにくるまっていろ。……絶対に動くなよ」
オスカーが獣に触れると、ふさりと乾いた感覚がその手を包み込んだ。まるで訳も無く安心するような、安らかな感覚を引き出されているようだ。
 リュミエールは不安そうな顔をしているが、おそらく心配はないだろう。
 オスカーは立ち上がり、とりあえずは自分が来た方向と逆に歩き出した。

 しかし。
 歩けど歩けど、林は切れる事はなかった。
 オスカーが降りたった場所から林に入り、さしたる時間もかけずにリュミエールを見つけたのだから、彼は林のごく端のほうにいた事になる。もしもこの林が想像よりもずっとだだっ広いとしたら……。
「歩くのにも、限度があるな……」
 歩いて30分するかしないかのところで、オスカーはすでに挫けそうになっていた。目的が見えないという事実は、どんなに屈強な精神の持ち主にでも不安を抱かせてしまうものだ。
 それでもしばらく歩き続けたオスカーだが、不意に何かの気配を感じて、振り返った。
「……!!」
 その視線の先に佇んでいたのは、あの青銀の獣だった。
「お前……!? リュミエールと一緒にいたんじゃなかったのか?」
 オスカーの言葉には何の反応も見せず、その獣は彼に何かを語りかけるような視線を送った後、ゆっくりと前足を折り、四肢を沈ませた。
「……何……?」
 目に前に膝まづいた獣を見つめたまま、オスカーは呆然と呟いた。




 二人を追って惑星『エアローデ』に向かう事が決まったゼフェルは、珍しい事に闇の守護聖の執務室に呼び出された。
 その部屋に足を踏み入れた途端に不快感を露にするゼフェル。
「相変わらず辛気くせー部屋だな、おい」
 他人を受け容れ難いといった点ではゼフェルの執務室もいい勝負であったが、少なくともゼフェル本人にとっては理解できない事この上ない空間である事は間違いなかった。
 クラヴィスは、ゼフェルの言葉にはさして反応を見せずに、彼にしては珍しくすらりと本題を口にした。
「面倒な事ではあるが、な……。今回もそなたを送り出すのに、次元回廊は使用しない事に決まったそうだ……」
 淡々と告げる。
「んじゃ、どーすんだよ」
「私が手引きをしてやる。そして、そなたを送り出した後は、聖地とそなた達を直につなぐ道は、一切断たれると思うがいい」
「どういう意味だ?」
「言ったままの意味だ。……惑星エアローデと聖地の間では一切の交信が取れない、という事だな」
 闇に溶け込むその姿を捕らえるように、ゼフェルはツカツカとクラヴィスに歩み寄る。
「それじゃあ何かあった時はどうすりゃいいんだよ! そもそも、エアローデから帰る事すらできねェって事か!?」
 勢いで目の前の机を叩く。その場に似つかわしくない音が響き、クラヴィスの視線がゼフェルを捕らえた。その深い瞳の色はいつでも、他人を引き込むような質のものであったが、今のゼフェルはそれに臆する事はなかった。
「だから面倒な事だ、と言っている……。安心するが良い。聖地と、彼の星の狭間にはこのクラヴィスが待機していてやる」
「……そんな事が可能なのかよ」
「次元の狭間……か。クク……この闇の守護聖のもっとも得意とする分野だ。そなた達は、私を媒体として聖地と交信する事になるであろう」
 その瞳が、妖しく細められた。今のゼフェルの位置からは、それが微笑であるとはっきりと見て取れる。
「なるほどな……わかったぜ」
 ゼフェルもにやりと笑った。
「あんたが珍しくそれだけ労力を払うってんだ……俺もせいぜいキバってきてやるぜ」
「フン……頼もしい事だ」
 ゼフェルの言葉に更に笑みを深くし、クラヴィスは呟いた。

 そして、それは即座に実行される事になる。

 決行直前のゼフェルの脳裏に、紅色の髪の、普段小憎たらしい男の顔がよぎる。そして、水を湛えたような瞳と、同じ色の細い髪を揺らす美しい人の、頼りなさそうな微笑み。最後に見たその人の顔は、苦悶の表情で瞼を硬く閉じたままだった。
「待ってな。ぜってーに、助けてやる」
 ゼフェルの呟きは、誰に聴かれる事もなく聖地の空気の中に溶けていった。




「リュミエール」
 オスカーの声に、大きな木のたもとに座り込んでいたリュミエールは、はっとしたように顔を上げた。その表情には、明らかに安堵の色が見て取れる。
「ああ……オスカー、良かった、戻ってきて下さって……」
 彼を守っていた獣までもが姿を消し、不安でいても立ってもいられなかったであろうリュミエールは、今にも泣き出しそうな顔で、近付くオスカーを迎えた。
「リュミエール……これを持っていろ」
 リュミエールの傍らに膝をつくなり、オスカーは彼の手を取り、己の握っていた何かをそっと置いた。
「……これは……」
 それは青く輝く、片手にすっぽり隠れるほどの大きさの宝石に見えた。しかし、その石はまるで体温を持っているかのように、いや、実際はそれ以上に熱く、青の光を放っていた。
「リュミエール、よく聞け。あの獣は、いわゆるこの地の『聖獣』だったんだ」
「聖……獣……?」
 オスカーは、わずかに表情を曇らせる。
「お前には何の呼びかけもせず、ただ傍にいたようだがな……あの聖獣は、実際は俺達と意思の交感もできる存在だったんだ」
「……どういう事ですか?」
「あの後、彼は俺の後を追ってきた。そして俺は、これを託されたんだ」
 オスカーの言葉に、リュミエールはいぶかし気な表情を見せる。
「あの聖獣は、先刻、死んだ」
「……!?」
 オスカーは、石を持つリュミエールの手を両手で握りしめ、彼にその石を強く握らせた。
「寿命だったんだ。この星の寒冷化と、関わりがあると言っていた。あの聖獣はこの一帯、いや、この星をすら守る存在だったんだろう。この石が、俺達がこの星を導くための役に立つはずだからと……。彼は知っていたんだ。俺達が、宇宙を統べる聖地の守護聖である事を」

 驚愕に見開かれていたリュミエールの瞳が、握りしめた己の手に静かに視線を落とした。
「この……石は……?」
「それは、彼の核……いわば、心臓部だ」
 リュミエールの手がぴくんと震えるのを、オスカーの両手が感じ取った。しかしオスカー自身の手も、知らず細かく震えている。
「これを、自分の身体から取り出し、持つようにと……最後の希望となるはずの俺達に……」
 死んだ聖獣の身体から、心臓であるこの石が取り出されるさまを想い、リュミエールは目眩を覚えた。しかし、それを実行したであろうオスカーはもっと辛い想いをしたのであろうと察し、何とか自身を保つ。
「一体、どうすれば……」
 それでも泣き出しそうな表情を見せるリュミエールが、不意に顔を上げた。

「……そんな……」

「リュミエール?」
 どこかを見つめるリュミエールに気付き、オスカーがその視線を追うように振り返るとそこには、先程までと全く変わらない、青銀の聖獣が佇んでいた。
「何故……!?」
 聖獣が息を引き取ったのを、少なくともオスカーは目の前で確認した筈だった。
「生きて……?」
「待って下さい」
 リュミエールが、凝視する。聖獣は、こともなげに近付いてきた。
「違う……。先程よりも、淡くやわらかな存在……。オスカー、これはきっと……つがいではないでしょうか」
「つがい……!?」
 リュミエールが立ち上がり、聖獣に近付く。
「間違いありません……」
 先の聖獣が遺した青い石を握りしめ、リュミエールは急にいたたまれない気持ちに襲われた。
「あの……」
 意思が通じるであろうその存在に何かを語り掛けようとするが、上手く言葉が見つからない。
『乗りなさい』
 突然、その獣は二人に語り掛けた。
 先の聖獣の声を聴いているオスカーには、その差がはっきりと分かった。彼の雄々しく響く声音に対し、この聖獣の声は美しく気高く、聖地に在る女王を思わせた。
「あなたに……乗れと?」
 戸惑うリュミエールの腹部に、聖獣は不意に頭を潜らせひょいと放り上げた。
「あっ!」
 トサンと、軽い音をたててリュミエールは彼女(らしい)の背に落とされる。腹ばいでしがみつくという少々情けない格好にはなってしまったが。
「……オスカー」
 不安そうなリュミエールの視線がオスカーに助けを求めるように揺れるが、同時に聖獣はオスカーをも視線で促した。
「……わかった」
 リュミエールのように放り上げられてはかなわない。リュミエールをきちんと座らせ、その後ろに何とかよじ登った。
 と、同時に、獣はゆっくりと足を進め、さしたる間もおかずに容赦のない速度で駆け出した。
「……なんて奴だ……!!」
 その速さに、乗馬に慣れているはずのオスカーですら閉口した。冷えた空気が頬に突き刺さり、呼吸をする事すら難しい。目の前で頼りなさ気に聖獣にしがみつくリュミエールなどは、恐怖で声も出ないらしい。
 片手で聖獣の長めの体毛を握りしめながら、かろうじてオスカーはリュミエールの肩を引き寄せ、己の身体にしがみつかせた。
「おい、大丈夫か」
「……はい……」
 オスカーにしがみつくリュミエールに彼の声は良く聴き取れるが、オスカーが胸元のリュミエールの声を聴き取るのは難しい。しかし、何とか大丈夫そうである事は感じ取れた。
 自分の足で歩いていた時とは比べ物にならない速度で変わる風景。オスカーたちはあっという間に林立する木々の間を抜け、広い雪原に出た。しかし地平線の果てには、未だ天と地の境界線しか存在しない。
 視野が広くなったせいか、ようやく速度にも慣れてきた。
「リュミエール」
「……はい」
 余裕が出てきたところで、オスカーは語り掛ける。
「この惑星が、俺には危険だと言っていたな。それは今でも続いている感覚なのか……?」
「……はい」
 かろうじて、リュミエールの声を聴き取った。
 リュミエールは、オスカーの胸に顔を埋めたまま続ける。
「けれど……大丈夫です。私が……傍におりますから」
 何かを確信したような、意味深な言葉。
 けれどその微かな呟きは、舞い上がる雪煙と風を切る轟音で、オスカーに届く事はなかった。


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