UP20020412
蒼天恋歌 第五話 この天空(そら)高く飛べたら
蒼天の高みに力強き手を伸ばす 炎のごとき御身に 静かなる大地の潤いを与えん―― 「リュミエール!」 高らかな声と共にリュミエールのもとに駆け寄ってきたのは、栗色の髪を軽やかに揺らす少女である。 「どうしました、エオナ?」 はんなりと微笑むリュミエールの表情に、少女――エオナの頬は微かに桜色に染まる。 「オスカーは?」 「その辺にいると思いますよ。外はとても寒いのに、元気な人ですね」 「また女の子と語り合ってるのかしら」 「おそらく……」 双方、苦笑を禁じ得ない。 「それより、何か御用なのですか? そのように息を切らして……」 リュミエールが気遣うのに、エオナははっとなって自身の手許を見た。 「長が、ふたりに持っていきなさいって」 そう言ってエオナが差し出したのは、香りの強い薬草の束だった。この寒冷地で、比較的楽に栽培できるものである。煎じて飲むと、身体が良く温まる。 「いつもありがとうございます。すっかりお世話になってしまって……」 「そんな事、気にしなくていいのよ。この土地はこんなだし、旅をしてくる人なんて滅多にいないから……。色々とお話も聞きたいの」 少女は微笑んだ。 リュミエールとオスカーが聖獣の背に乗りこの村にたどり着いてから、一週間程が経っていた。もっとも、聖獣は村に入る前にふたりを降ろし、姿をくらませてしまっていたが。 オスカーが言うには、彼女はこの星の神様みたいなものだから、人間の集落には姿を現さないんじゃないだろうか、という事である。 そうして途方に暮れていたところを村の少女エオナに発見され、村内に迎え入れられたのだ。 村全体が、あまりに外来者に対する警戒心がないので最初は驚いたが、見知らぬこの星で右も左も分からないふたりには、好都合な事だった。 「他の星から来たって言ってたよね? どうしてこの星に来たの?」 それから何度か口にされるこの手の質問に対して、どこまで答えていいものかリュミエールは迷う。 この星自体は他の惑星の存在をちゃんと認識していて、僅かながら聖地に関する情報も持っているらしい。ただ、この星の急速な寒冷化による淘汰のため、外部との接触手段を無くしてしまっているのである。宇宙に飛び立つためのエアポートなどは、とうの昔に使用されなくなって、今は点々と各地に残されているだけだという。 外との交流があった頃の事など、村の最長老である長でさえも知らないのだ。 「その……事故に遭ってしまいまして、どのようにしてこの星にたどり着いたのかも、まったく分からないのですよ。帰る方法も分からないので、こうしているしかないのですが……」 曖昧な答えを返す。半分は当たっているが、この星の状況が分からないままに軽々しく聖地の事を口にする訳にもいかない。 「そうか……早く何か方法が見つかるといいね。……でも」 「でも?」 「もし……よければ、ずっとここにいてもいいんだよ?」 一瞬キョトンとしてしまったリュミエールだったが、すぐに柔らかく微笑む。 胸が痛んだ。 この村は、本当に淋しい処なのだ。人口も百人に満たない。他にも集落は存在するらしいが、交流はほとんどない。 エオナも、きっと寂しいのだろう。生まれた頃からの環境とはいえ、ここはあまりに静かすぎる。 リュミエールのそんな考えをかき消すように、エオナは明るい声を出した。 「あとね、ちょっと見て欲しいものがあるの」 エオナはそう言って、羊皮紙のようなものを懐から取り出して、リュミエールに差し出した。 「これは?」 「村の近くに、高く切り立った頂があるでしょう? 頂上まで登った人はまだ誰もいないんだけど、あそこには、この星の神様がいるって言われているの。その頂のふもとで発見された石版に記された言葉なんだって」 よくよく見てみると、それは何かの歌のような文章だった。 「綺麗な文章でしょう? これ『星の鎮めの歌』なんだって」 「鎮めの歌?」 「意味は分からない。でもそういう風に伝わってるんだって」 リュミエールは、その文章にゆっくりと視線を走らせる。 「曲、つけられるかな?」 唐突にエオナが言う。 「曲……ですか?」 「リュミエール、そういうの出来るっていってたよね? 私、これに曲がついたらすごく綺麗になると思って」 「それは……出来ない事はないと思いますが……元々伝わっていたかもしれない本当の物とは、まったく違うものになってしまいますよ?」 リュミエールの言葉に、エオナは少女らしい朗らかな笑顔で答えた。 「わかってるわ。どうせ誰も知らないんだもん、違ったってかまやしないわ。ただ私は、この言葉に旋律をつけてリュミエールに歌って欲しい」 まったく邪気のない少女の願い。その軽やかさに当てられて、リュミエールはうなずいた。 「わかりました。考えておきますね」 エオナの喜ぶ顔が見られるなら。リュミエールはそう思った。 「恋の歌っぽくないか、これ」 詩に目を通し、オスカーは言う。古くから伝わっているという割に、それが艶やかな言葉で彩られているのは、色ボケしているオスカーでなくとも感じ取れた。 「その光輝けしまなこで我の姿を捕らえ給え……。たしかに、そのようですが」 詩の一部を口に出し、リュミエールも同意する。 「しかし何かしっくり来ないな。どうも……途中途中で言葉のイメージが変わる。本当なのか、これが古くから伝わる歌だってのは」 オスカーの言いたい事はわかる。全文に目を通した時に、リュミエールも同じ事を考えた。文章に一貫性がないというか。しかし、エオナが嘘をつく理由も思いつかないし、文章自体は確かに古めかしい。 「真相は分かりませんが、問題はないでしょう。エオナはただこれに曲をつけて欲しいと言っているだけなのですから」 「ま、そりゃそうだが」 それだけ言って、オスカーはしげしげとリュミエールを眺める。 「しかし……いい加減どうにかならんのか、その格好は」 オスカーの苦笑いに、リュミエールは頬を染め彼を軽く睨み付ける。 彼らがたどり着いてから、ふたりにはこの村の装束が与えられていた。ふたりの格好ではあまりに寒すぎるためだ。しかし、リュミエールは女性用の物を着用していた。 「仕方がないでしょう。他にないというのですから……」 普段聖地でリュミエールが着用しているものも、女性の衣装とそう変わりはなかったが、ここは聖地とは訳が違った。この村は、男物と女物の装束がはっきりと分かれているのである。 もしかしたら、この村の人間の大半はこの衣装のせいでリュミエールを女性と認識しているかもしれない。 「まあ、似合ってるけどな」 オスカーは皮肉げに笑ってみせる。リュミエールはふいとそっぽを向いた。 実のところふたりは知らないが、いくらなんでもこの村に他に衣装がない訳ではなかった。しかしこの村の男物は、防寒の役割を持たせるためであろう、厚手の武骨なつくりになっている。例えるならモンゴル風に近いものと考えれば分かりやすいかもしれない。 単にふたりを初めて目にしたエオナが、リュミエールにはそんな男物の衣装は似合わないと勝手に判断して女物を押し付けてしまったしまっただけなのだ。 なかなか侮れない娘である。 「ゼフェルをうまく渡せたか」 闇の守護聖のもとを訪れたジュリアスが、クラヴィスに質した。 「問題ない……。すぐに私も星間の配置に就く事になるが……」 「任せる。聖地からも常に監視を続ける。ゼフェルも聖地も、あてに出来るのはそなただけなのだ。頼むぞ、クラヴィス」 「フン……承知している」 光の守護聖にしては珍しく、今日のジュリアスは小言の類は一切口にしなかった。それだけクラヴィスが意欲的に動いているという事なのだが、端から見ると、かなり気味が悪い。 何にせよ、クラヴィスが星間に常駐する事で、それをアンテナ代わりにようやく聖地からも惑星エアローデの様子が分かるようになるのだ。 道標であるゼフェルは、つい先刻エアローデへと向かった。ゼフェルの軌跡を追いつつ、聖地はエアローデを監視、今回の件の原因を究明し次第解決策を討じる事になる。 「何事もない任務の遂行を」 ジュリアスの一言に、クラヴィスは視線で了解の意を返した。 数日が過ぎる頃になると、リュミエールは外には出ず、屋内に引きこもる事が多くなっていた。 「リュミエール、薬湯だそうだ。……多分、効果はないと思うが」 「いいえ、せっかくの心遣いですから、戴きます」 オスカーが茶器に移したそれを受け取るリュミエール。 この星に降りて以来、派手に表に出てくる事はなくなっていたが、リュミエールの受ける『負の波動』がまったくなくなっていた訳ではなかった。それは常にリュミエールの中に蓄積され、彼の身体に負担をかけ続けていた。そのせいで、ここ1、2日のリュミエールは心身の不調を訴えるようになっていたのだ。 リュミエールが聖地で伏せっていた頃と、状況は一緒だった。リュミエールと一緒になってからのオスカーの方は、やはり何も感じなくなっている。 「少し横になっていた方がいい……リュミエール?」 オスカーがリュミエールを見やると、既に彼は静かに瞳を閉じていた。 「リュミエール……」 一体、何故こんな事になってしまったのだろうか。オスカーは考えた。自分はこの星の何に関与しているのか。 ――そもそも、関与とは何だ? 「……リュミエール?」 少女がそっと顔を覗かせた。 リュミエールの様子を見に来たのであろう、エオナはそっとリュミエールに近付いた。いつもにも増して白く見えるリュミエールの顔色に、思わず眉をひそめる。 オスカーが軽くエオナの肩を叩き、外へと促した。 夕方に差し掛かっているらしく、あたりは薄闇に包まれ始めていた。 「リュミエールは大丈夫だ。ちょっと疲れが出ているだけだからな」 「うん……」 オスカーにそう言われても、エオナは心配でたまらないといった面持ちである。 オスカーはふぅ、とため息をついた。 「おいおい、お嬢ちゃんはリュミエールに御執心か?」 オスカーの台詞にカッと頬を赤くするエオナ。「ちがうもんっ」と、向かい合うオスカーの胸をグイと押しやる。 可愛らしい仕草だった。 「心配するな。まあ、本当はもう少し、陽の光でもあるといいんだがな」 エオナは一瞬驚いたように目を見開いた。が、すぐにふいと下を向いてしまう。 「そっか……オスカー達は太陽、見た事あるんだね?」 エオナの言葉に、今度はオスカーが目を見張る。 「私、生まれてから一度も太陽って見た事ないよ。昔話には聞くけどね。昼間は明るくて夜は暗い。それだけ。太陽はあの雲の向こう」 オスカーは得心した。ここに来てからついぞ陽の光は見た事がなかったが、そんなにも長い間、この星では太陽の姿を見ていないらしい。 エオナはまだ15〜16歳くらいの少女だが、実際はエオナが生まれるずっと前からこの状態なのだろう。昼間は曇天とは言え明るいのだから、まったく日光が遮断されている訳ではないのだろうが、人が生きていくのに、お世辞にも良い環境とは言えない。 エオナは、ふとオスカーに背を向け夕闇の空を見上げた。 「この空高く飛べたら……陽の光を見る事が出来るのかな。雲に隠れたあの頂も越えて、空は――どんな色をしてるの? そこは眩しくて、暖かいのかな」 暖かいかと尋かれれば、それは否定するしかない。普通、地上が暖かいのは陽の光による照り返しがあるからで、そこから離れれば上に行けば行くほど気温は下がるものだ。 しかし、オスカーは今それをエオナに言う気にはなれなかった。 「エオナ……」 突然後ろからか細い声で呼ばれ、驚いたエオナは慌てて振り返った。ついオスカーもそれにならう。 「リュミエール!」 浅い眠りから覚醒したリュミエールが、そこに立っていた。 「無理しないで」 エオナが駆け寄るが、リュミエールは大丈夫だと言うように、そっと微笑みを返した。 「エオナ……この星が、このようになってしまった原因というのは分かっていないのですか?」 エオナは突然の質問に一瞬間を置いたが、すぐに首を振った。 「長が言うには、この星全体の力が弱まっているんじゃないかって。でも、本当のところはわからない」 「そうですか……」 エオナは遠くを見つめ、つぶやいた。 「この星が、もっと強かったら……」 オスカーの心に、その言葉が小さな棘のように微かに引っかかった。 ドン、という大きな音と共に、それは起こった。 朝の冷えた空気を切り裂くように、村の湖の氷に亀裂が走った。その裂け目が何かに押し上げられるように盛り上がり、砕けた氷が積み重なってまるで柱の様に屹立する。 それは湖のずっと先まで続き、まるで一本の道のように見えた。 「御神渡りだ」 「オミワタリ?」 長が言うのに、オスカーが問い返す。 「神が湖を渡るための道。神がここへと訪れる前触れだ。とうとう、ここも氷に沈むのであろうか……」 ばかな、とオスカーは思った。悲しそうに氷の柱を見つめる老人に、この現象のメカニズムを説明しようとした。が、突然オスカーの視界が、強烈な蒼の閃光で遮られた。 「何!?」 氷の道を、何かが走り迫ってくる。近付くにつれ輪郭を鮮明にするそれは、蒼く輝く聖獣だった。 「バカな……!?」 リュミエールとオスカーをこの村まで運んだ、あの聖獣だった。 目の前の氷の柱は、本当の意味での神の道なのだろうか。 「神だ……」 身体を震わす長を尻目に、聖獣はついとオスカーに近付いた。その冷ややかな瞳に、オスカーの身体全体を戦慄が駆け抜ける。 ちがう。 姿形はあの聖獣だったが、根本的に何かが違う。 獣を取り巻く空気は、得体の知れない禍々しいものに支配されていた。 「オスカー! 何事ですか!?」 音で目を覚ましたのであろうリュミエールが、家の中から出てくる。 「来るな、リュミエール!」 オスカーの声にビクンと足を止めるリュミエール。その視線が獣を捉え、彼は驚愕した。 「一体……」 聖獣のイメージの違いは、リュミエールも感じ取ったようだった。 次第に集まり困惑しはじめた村人をよそに、獣はその口でオスカーの腕を捕らえると、そのまま手荒に己の背に放り上げる。 「オスカー!」 オスカー自身は何者かに囚われているかのように、身動きを取れずにいた。 「近寄るな……!」 リュミエールに向かってやっとそれだけ言うと、獣は突然今来た道を振り返り、ものすごい速さで駆け出した。 「オスカー!!」 リュミエールが追おうとするのを、駆けつけたエオナが押し留めた。 「だめ! リュミエール、危ないよ!」 泣き出しそうな少女の腕を力ずくで振り払う事も出来ずに、リュミエールはその場で蒼白になった。 「一体何故……何が起こったと……」 ――あれは創生の神に似て非なるもの。 突然の声に、リュミエールが顔を上げる。 「その声は……!」 「リュミエール?」 他の者には聞こえていないであろうその声は、確かにリュミエール達をここに導いた、あの聖獣のものだった。 『人の心の具象化。人によって創り出された偶像神。止めなければ、この星は滅びへの道を選択する事になるであろう』 頭の中に響く声に、リュミエールはゆるゆると首を振った。 「けれど、一体何が起こっていると言うのですか! どうすれば……」 「リュミエール!」 良く知る声にビクンと肩を震わせたリュミエールは、突然そこに姿を現した人物を振り仰いだ。 「やぁっと見つけたぜ! こんな所にいやがって……!」 悪態をつきながら、乗せられてきたのであろう蒼の聖獣から乱暴に飛び降りたのは、鋼の守護聖であった。 「ゼフェル……!」 ゼフェルを背に乗せていた聖獣は、ゼフェルがリュミエールのもとに駆け寄る頃には、リュミエール達の時と同じように踵を返し、走り去っていた。 「一体何だってんだよ、ここは! 言ってたのと全然違うじゃねーか。変な動物には拉致されっし……」 言いながら近寄るゼフェルの姿に、リュミエールはへたりと地面に座りこんだ。 「おい、リュミエール!?」 いきなりの出来事の後の良く見知った仲間の出現に、混乱していたリュミエールは、完全に我を忘れた。 「ゼフェル……ゼフェル!」 目の前で膝をついた少年に、身体を引きずり縋りつく。 「おい、しっかりしろ!」 「ゼフェル……助けて……助けて下さい。オスカーが……!」 腕の中で顔を伏せガタガタと震えるリュミエールに、事情の飲み込めないゼフェルは困惑し、その背をただ抱き止める事しか出来なかった。 |