UP20020412

蒼天恋歌 第六話  命を継なぐ道しるべ ―蒼天恋歌―





 夜の静けさは、この地の寒さをより一層酷なものにするかのごとく、凍てついた空気と共に全身に突き刺さる。
「んで、どーするよ」
 小さなランプだけが燈る薄闇の中で、ゼフェルは独り言のように囁く。
「んな事ァわかってんだよ。とにかく、あれからオスカーの行方もわからねーんだからよッ……」
 少々声を荒げてしまってから、はっとしたように振り返る。後方で眠っているはずのリュミエールは、静かに瞳を閉じたままだった。
 再び小さな灯りに向き直り、手に持った小さな宝石に語りかける。
 交信用にクラヴィスに預けられた小さな石から、聖地にいるジュリアスの思念がダイレクトに伝わる。
「気になるのは、なぜオスカーが”偶像の神”とやらに拉致されたのかという点だ。聖地でも調査は進めるが、それでは時間がかかりすぎる。極力現場での解決を試みて欲しい。良いな、ゼフェル」
「――了解」
 素直に承諾して軽くため息をついたところで、星間にいるクラヴィスの声が割って入った。
「惑星エアローデ……どうやら、星の成長期に入っているようだな……」
「成長期?」
 ゼフェル、ジュリアスが同時に聞き返す。
「まるで思春期の子供のようにな……不安定な空気の流れを感じる。……だがそれは『星』であれば、必ず何度かは通過するものであろう」

 星の思春期。

 交信が途絶えた後、ゼフェルはあたりを見回した。人のいる気配はない。
 もっとも、この交信はサクリアを必要とするものであるから、他の誰かがそこにいたとして、声をたてているゼフェルの言葉以外は聞く事ができない。
 力を必要とするからこそ、あえてリュミエール抜きで交信を行なっているのだ。
 ついと、ゼフェルはリュミエールに歩み寄った。
 瞳を閉じたままの彼の顔は、病的なまでに蒼い。
「まったく、何が何なんだか……」
 苛ついたように、ゼフェルは舌打ちする。
 オスカーが消えてから、取り乱したリュミエールからすべてを聞き出すのには、かなりの根気を必要とした。それを頭の中でまとめにかかる。
 長い間、この星が寒冷化に悩まされているという事。
 神に等しい聖獣の存在。
 星の鎮めの? 歌――。
 それらを合わせて考えてみても、導き出される答えは――無い。
 情報が、足らなすぎる。
 あの騒ぎから、一日と経っていない。静まり返った今この時も、おそらくこの村の人々は皆、得体の知れない何かに怯えながら、眠れぬ夜を過ごしているのだろう。

 リュミエールの瞼が、微かに動いた。

「……おい?」
 反射的に声を掛けたゼフェルに、ゆっくりと瞳を開き焦点を合わせたリュミエールが呟き返した。
「先程は……すみませんでした……」
「別に、そんな事ァいーけどよ」
 心持ち赤くなるゼフェルに、リュミエールはそっと微笑む。
「驚きましたけど……嬉しかったのです。あの時、ゼフェルが来て下さった事が……」
「あー、まあ、そりゃ良かったな」
 普段から元気一杯という訳ではないが、ここまで弱っているリュミエールというのも滅多に見ない。ゼフェルが狼狽してしまうのも無理はない。
「寒くねーか?」
「今は、大丈夫です」
 大分慣れました、と、リュミエールは呟く。慣れてしまうほどに、この星はずっと寒いままであったから。
 リュミエールは、ついとゼフェルから視線を外した。
「このまま寒冷化が進んでしまったら……まるで氷河期のように、生きるものは全て息絶えてしまうような気がします……」
 エオナ達はどうなってしまうのだろう、と、リュミエールは考えていた。
 そんなリュミエールをなんとなく眺めていたゼフェルが、はっとなって目を見開いた。
「……それだ」
「ゼフェル?」
 再びゼフェルに視線を戻すリュミエールを、ゼフェルはまっすぐに見返した。
「氷河期が……来るんじゃねーのか」
「え?」
「この星がまだ若くて、成長期にあるんだとしたら……ってェ、さっきクラヴィスが言ってたまんまじゃねーか。そうだよ、この星は、成長するために、氷河期に入ろうとしてるんだよ!」
「……とすると……」
 聖地にまで及んだ『負の波動』と、どこかで関係しているのだろうか。

「……!!」
「……!?……」

 二人が、同時に顔を上げた。

「オスカー!?」
 リュミエールが飛び起きる。
「何なんだ、こりゃあ!?」
 突然、二人はオスカーの炎のサクリアを感じた。それは、彼が普段ふるうような安定した力加減ではなく、まるで、行き場を求めて暴走しているかのようなものだった。
「どういうことだ!?」
 拉致されたオスカーが、どこかで炎の力を行使しているのかもしれない。が、その力量は半端なものではなかった。
「こんな風に力を使っては……!!」
 よろりと立ち上がり、外に向かおうとするリュミエール。
「お、おいリュミエール……うおっと」
 慌てたゼフェルがリュミエールを追って外に出たところで、突然正面に現われた人影に衝突しそうになり、かろうじてそれをかわした。
「長……!?」
「大変です、エオナが……」
 村の長の言葉に、リュミエールの足も止まった。
「エオナ!?」
「すぐに戻ると書き置きを残して、いなくなってしまったのです」
「なんですって!?」
 リュミエールの顔が蒼白になる。こんな夜中に、どこへ行ったというのか。
「オスカーさんがいなくなった事で、何か思うところがあったのではないでしょうか……。あの、あなた方は、一体……」
 長が言いよどむ。
 ただの旅行者が、なぜ神に攫われたりするのか、長は腑に落ちなかったらしい。何か関係があるのではと、直感で思い付いたのだ。
「長……あれは、あの獣は……神では」
「俺らが何者か、なんてーのは今はどうでもいいんだよ! それよりオスカーとエオナだろうが!」
 リュミエールを遮り、ゼフェルが怒鳴る。
「エオナは、あの頂のふもとで発見されたという歌を、私のところに持ってきました。……もしかして、そこに行ったのではないでしょうか」
 ふと思い付いた事を口にするリュミエールに、長が眉をひそめる。
「頂……? あそこは神の住まう禁忌の地。そこに行ったというのですか……」
「鎮めの歌の事は、ご存知ですね?」
「ええ……。エオナの母親は、この村の巫女でした。鎮めの歌は、その文句だけが、代々巫女のみに受け継がれてきました」
 長は、険しい顔で目を伏せる。
「私どもは神を敬い崇めます。あの地に近付く者は巫女以外におりません。彼女がそこに向かったという事は……彼女の中の巫女の血が、何かを教えているのでしょうか……」
 ゼフェルは、そっとリュミエールの背中をつついた。
「神がどーのって事はよ、あの獣に攫われたオスカーも、そこにいるんじゃねーのか……?」
 ゼフェルの囁きに、リュミエールも同意を示し、頷く。
「おそらく……」
 リュミエールは、長に向かって言った。
「私たちが、エオナを探しに頂に向かいます」
「え!? しかし……」
「私は、この星の者ではありません。私が頂へ踏み込んだとして、神があなた方に危害を加えるような事はないでしょう」
 戸惑う長に、リュミエールは優しく微笑みかけた。




「いいのかよ、あんなテキトーな事言ってよ」
 頂へと歩を進めながら、ゼフェルがリュミエールを見る。
「事態が事態ですから仕方ありません。彼らはあの偶像神を、彼らの神だと信じているようですし……」
「大体、あの偶像神てのは何なんだよ」
「わかりません。聖獣は、あれを『人の心が生み出した偶像神』だと言っていましたが」
 人の心が生み出した、という事は、この星で暮らす彼らの心が、という事になる。だとすればそれは何のために、どのようにして生み出されてしまったのか。
 今のリュミエールとゼフェルに、その答えを出す事はできなかった。
「それにしても遠いぜ……。何だってあのガキは、こんな処までのこのこ出掛けやがるんだ」
 ゼフェルの言葉に、リュミエールは密かに苦笑する。年頃は、ゼフェルと同じくらいだろうに。
「長が言うように、何か思うところがあるのでしょう」
 長い事白一色に染まったままのこの星。飼育される羊達はその毛を刈る事も躊躇われ、豊かに実を付ける樹も育たない。こんな状態のこの地を何とかしたいと、誰もが強く願うのだろう。

「オスカー……」
 頂に近付く毎に、オスカーのサクリアが強く感じられる。間違いなく、オスカーはそこにいるのだ。
 今オスカーが発している力は、頂に向かう二人をひどく不安にさせる。身体の中心から不快な塊に支配されて行くような。何か良くない事の引き金になってしまいそうな、そんな予感をリュミエールとゼフェルは振り払う事ができなかった。



 二人が頂のふもとまでたどり着く頃には、あたりはもう明るくなっていた。
 見上げると、屹立しているそれは、頂上が雲に隠れたままではあったが、思った以上に大きなものだった。
 普通の山とは違い、裾野はほとんど無く、一回りするのに半時はかかるような大きな岩の塊が積み重なり、天空にまで伸びているかのように見える。
 その一角には、小さな祠がある。
 エオナはその入口に膝まづき、強く瞳を閉じていた。
「エオナ……!」
 何かに祈りを捧げるようにしていたエオナが、リュミエールの声にはっとなって顔を上げる。
「リュミエール!」
「良かった……。村で心配しているのですよ」
 ごめんなさい、と素直に謝るエオナだが、ついと顔を上げると、リュミエールの腕を掴んだ。
「お願いリュミエール、あの歌を歌って」
「……あの歌?」
「星の鎮めの歌……リュミエールに曲を付けてって頼んだ、あの歌」
 エオナの瞳に、透明な涙が溜まって行く。
「邪神が……この星を滅ぼそうとしている……。だからこの星は、どんどん冷えて行くのよ。私、思い出したの。前にお母さんが言ってた。この星が暴走を始めた時に『鎮めの歌』が、きっと必要になるって……!!」
 鎮めの歌。それは、星の暴走を止めるための歌だというのだろうか。
「しかしエオナ……」
 この星の寒冷化は、おそらく邪神の仕業などではないのだ。この星そのものが成長するために必要な、歴史の一端。その過程。
「歌を歌えば、神様が助けてくれる。きっと助けてくれる!! 私、私……空が見たいよ……」
 ぽろぽろと零れる涙を拭いもせず、エオナはリュミエールの腕を掴む手に力を込めた。
「エオナ、あなたのお母様は……?」
「ずっと前に亡くなったの。村の巫女で……その知識のほとんどを教われないまま」
「そうですか……」

 ――歌うんだ、リュミエール。

 突然の声に、リュミエールは思わず屹立する岩の頂上を見上げた。そこから、声が聞えたような気がしたのだ。
「オスカー!?」
 ゼフェルも顔を上げた。エオナだけが、何が起きたのかわからないというように眉をひそめる。
「どこにいやがるんだ、テメーは!!」

 ――星の鎮めの歌は本物だ。だが鎮めるのは星そのものじゃない。暴走しているのは、この星の民の心だ……!

「どういう事ですか、オスカー!!」

 ――早くしろ! 手遅れに……なる……。

 その言葉を最後に声が途切れた途端、頂の周辺は、にわかに巻き起こった暴風に晒され、突然真赤な炎に包まれた。
「キャアアア!!」
 エオナの悲鳴も、轟音にかき消される。
「何なんだ、こりゃあ……!!」
 身体中に突き刺さるような空気の流れに、思わず顔を覆うゼフェル。しかし、本来在るはずの炎の持つ熱さは、まるで感じられなかった。

 まるで幻のような、透明な紅の炎。

 しかし、赤に包まれた大地は悲鳴を上げるように轟音を響かせ、樹々の幹や針葉樹の葉は、次々と跡形も無く焼き尽くされて行く。
 どこまでが幻なのかわからないそれは、オスカーのサクリアそのものだった。
「どういうことだ!?」
 目に見える場所、すべてが炎に包まれている。この星全体が炎で覆われてしまったと言われても信じられる勢いだった。
「オスカー!!」
 リュミエールの叫びに、返事はない。

『生まれてくるのが早すぎたのだ』

 焦燥に染まるリュミエールが振り向いた先に、あの聖獣が立っていた。青銀の毛並みが、朱の空気に染まって紅色に輝いている。
『この星は、寒冷化により今まさに眠りに就こうとしている。それは、星の成長のために必要な休眠期間。しかし、ここに暮らす”人”が、その眠りを妨げようとしている――』
 ゼフェルが得心したように、リュミエールに向かって言う。
「生まれるのが早かった……。わかったぜ、リュミエール。人類が生まれてくるには、この星はまだ若すぎたんだ。星が成長するためには、今、眠りが必要な
んだよ。だがそうなれば、この星で生物は生きて行けなくなる、だから――」
『人々は、この星の寒冷化を防ぐために強さを願い、それが女神の星まで届いたのだ』
 女神の星とは、すなわち聖地の事である。
「それでは、オスカーを攫ったあの偶像神は……」
『この星の民が作り上げた、強さを求める心そのもの。あれを消さなければ、この星は不相応な強さに支配され、滅びてしまう』
「そんな……」
 聖地まで届いた負の波動は、この星の民の心そのものだった。今この星は、その民の心によって滅びようとしているのだ。
「強さを願う民の心が、この星を破滅へと導くというのですか!?」
 リュミエールの言葉に、エオナがゆるゆると首を振る。
「リュミエール、何を言ってるの? 私、わからない。民の心って何? 私、そんなの知らないよ……!!」
 おそらく、人々が意識しての事ではないのだ。しかし、この星の民の共通の願いが、聖地に届くほどの波動となり、偶像の神まで創り出してしまった事は間違い無い。
「でもリュミエール、お願い。歌って? それで、この星は助かるんでしょう!?」
 エオナの言葉に、リュミエールは今にも泣き出しそうな表情で首を振った。
 彼女はまだ、真実を知らない。
「できません……!!」
 己が生きるために強さを願う事の、何がいけないのか。誰もが、生きる権利を持っているのだろうに。

 歌う事で民の心である偶像神を消滅させたとしたら、正常に戻った地上で、エオナ達人類は種の滅びを待つしかなくなるのだ。
「守護聖に、そんな権利があるのですか……!!」
 リュミエールは両手で顔を覆い、その場に膝まづいた。

 ――歌え……リュミエール……。

「オスカー!?」
『この炎は、炎の守護聖が自ら行使している力ではない。偶像神は、彼の守護聖の強さの力を全て引きずり出し、この星の寒冷化を防ごうとしているのだ。しかしそれは、彼や、この星そのものの”滅び”への導きにしかなり得ない』
「そんな……」
 このままでは、オスカーの生命すら危ぶまれるのだ。

 ――リュミエール……この星が、滅びてしまうんだぞ……!!

「オスカー……!!」
 しかしこれを鎮めれば、遠からずエオナ達は滅びへの道を辿る事になる。
「私は……!」
「リュミエール」
 膝まづくリュミエールをうかがうように、ゼフェルがその場に膝をついた。
「俺だって、守護聖がそんなに偉いもんだとは思わねーよ。……だがな、だからこそ、こうも思うぜ。たかだか守護聖ごときが、この星の運命を左右していいのかってよ」
 ゆるゆると、リュミエールは顔を上げ、涙に濡れた瞳をゼフェルに向ける。

 わかっている。

 彼とて、本当にしなければならない事が何なのか、わかってはいた。
 聖地の守護聖にまで影響を及ぼすほどに強い『負の波動』にまで発展してしまったこの星の民の願い。
 近隣の星をも巻き込むであろうそれを、放っておいて良いはずが無い。
 民の願い通りオスカーの炎のサクリアでこの星の寒冷化を防いだところで、成長の軌道を外されたこの星は、いずれ滅びてしまうのだ。そうなれば、この星の民もそれと運命を共にする事になる。
 しかし、この星を正常に戻せば、やはり民は寒冷化の波に負けて滅びてしまうのだ。
 ――どちらを取っても、エオナ達にとっては滅びに至る行進でしかない。
 それはあまりにも、残酷な運命だった。
「このままじゃ、『強さ』の力を取り込みまくったこの星は、他の星や聖地を巻き込んで消滅するんだよ! それも、オスカーの力でな……。リュミエール!!」

 ――リュミエール……!!

 ゼフェルとオスカーの声を遠くに感じながら、リュミエールはただうずくまって泣き続けた。
「う……う……ッ、うぅ……!」
 嗚咽を洩らす身体が震え、その優しい水色の髪が、地に付き乱れる。
 どうしようもなかった。
 人に生命があるように、星も生きている。
 大切なエオナ達の命を守り通したところで、住むべきこの星が無くなってしまうのなら、結果は同じだ。
 そして、オスカーの命。
 取るべき方法は、たったひとつだ。
 うずくまったまま、ゆるゆると瞳を開いたリュミエールの胸元で、死んだ聖獣から託された石が、リュミエールの決心を示すかのように青白く輝きを放った。
 星の命をつなぐ道標となるべき歌は、もう完成している。


 頂の祠の中に刻まれたその歌は、名を『蒼天恋歌』といった――。


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