UP20020507

輝きながら  1





 森下研究会の後、この後予定がないという白川七段に誘われて、ヒカルはファミレスで夕食をごちそうになっていた。
 森下宅での晩餐も予定されていたのだが、プロの人々に囲まれての夕食ではまだヒカルが緊張してしまうだろうと、白川が気を遣って彼を誘い出したのだ。

「進藤君は、こういうところに良く来るの?」
 白川の笑顔はいつも絶えない。相変わらずだ。
「んん? 自分ではあんまり。でも白川先生が奢ってくれるっていうからさ」
 悪びれた様子もなく、ニパッと笑うヒカル。
 自分的好みとしてはファーストフードだのラーメンだのでも良かったのだが、そういう場所に白川を連れて行くのもどうかと、ヒカルもヒカルなりに考えた結果だったりする。
「本当にね、こんなに早くこの世界で会う事になるとは思わなかったから、驚いたよ」
 未だ戸惑うように、けれど嬉しそうな表情で白川は言う。
「急がないと、打倒塔矢だなんて言ってられないから」
 照れたように笑うヒカルに、白川も微笑みを返す。
「はは、そうだね。若獅子戦にも出るんだろう?」
 ヒカルを奮い立たせた、プロと院生によるトーナメント。二組の下っ端であるヒカルにははるかに遠い道であると、その場にいた誰もが承知している事ではあったけれど。それでもヒカルのこの意気込みを応援したいと、白川は素直に考えていた。それによって、己をも上へと持ち上げてくれるヒカルのパワーを分けてもらうようにと。
「でもさ、若獅子戦の事知ったのって、今日なんだよね」
「そうなの!?」
「うん。和谷が教えてくれた」
 なるほどヒカルらしいかもしれないと、白川は漠然と考える。
「知ってるプロの人がね、若獅子戦に出れば、塔矢と戦えるって最初に教えてくれて。そうそう、研究会にも出てみないかって誘われたんだ。それは断ったんだけどさ」
 同じ門下であるならともかく、そうでない上に院生二組であるヒカルを研究会に誘うプロがいたのか。正直、白川はそんな風に思う。
「へえ? 研究会? どの先生?」
「んと、塔矢名人」
「へ!?」
 意外な名前に、驚いた。
 塔矢名人の研究会に誘ったという事は、そのプロは塔矢門下の誰かという事だろう。
「誰が、誘ってくれたの?」
「えと、これも和谷が言ってた。緒方って人」
 和谷、大活躍だ。
 いや、そんな場合でなくて。
 緒方といえば、あの緒方九段の事だろう。
「君、緒方九段と知り合いなの?」
 驚きを隠せない様子の白川に、ヒカルはう〜ん、と唸る。そういえば、和谷も妙に驚いていたっけ。
「知り合いっていうのかなあ? でも、俺が院生試験受ける時もあの人が口きいてくれたんだよな。俺、試験の申し込みする時、締切りも過ぎてて棋譜の事も知らなくてさあ。あの時あの人が通りかからなかったら、今ごろここでこうしてないんだよね、俺」
 ははは、と頭を掻くヒカル。
 プロの連中となんら関わり合いのなさそうなヒカルが、まさか緒方九段の推薦で院生試験を受けていたとは。それだけでも白川には意外だったが、棋譜も知らない子供を彼がどうして推薦したのか。
 きっと彼にそうさせるだけの何かがあったのだろうが、しかし。
「さすが……目ざといですね」
「え? なに?」
「ああ、いえ、何でも」
 おそらくは白川がヒカルに会わなかった期間に、緒方がヒカルの中に何かを見出したのだろう。どこで、いつの間にかは知らないが。
 そう、見るものがタイミングよく見れば、ヒカルは発掘されたばかりの原石そのものであろうから。白川だって、ほんの少しの偶然でヒカルの可能性を垣間見たひとりだ。
「それじゃあ頑張らなきゃいけないね」
「うーん」
「進藤君?」
 白川の言葉を聞いているのかいないのか、ヒカルはしきりに首をひねる。
「うん、もちろん頑張るけどさ。なンか俺、あの緒方って人良くわかんないんだよな」
「どうして?」
「だって俺さ、今日和谷に聞くまであの人の名前だって知らなかったのにさ。向こうはいつも、いきなり俺の前に出てくるんだよね」
 初めて会ったのは、いつだっけ。
 そう、塔矢名人と初めて向かい合ったあの日。無理矢理名人のところまで手を引かれていったんだった。向こうは初めてじゃないみたいな素振りだったけど。
 今思えば。あの時初めて、自分で碁を打ってみたいと思ったんだった。
 その後院生試験。あの人がいなければ、相手にすらしてもらえなかった。
 そうして、若獅子戦では塔矢アキラが待っていると。
「なんか、あの人の用意した道を、順調に進んでる気がする……」
 今はじめて気付いたように、ヒカルは首を傾げる。
 ――そうなんでしょうね。
 白川は心の中で呟いた。
 それはきっと、彼がヒカルの事をずっと見つめ続けている結果なのだろう。
 ヒカルが足を差し出す土台を作り、前へと進むための材料をそろえて導く。彼はヒカルの中に、とても大きな何かを見つけているのだろう。

 だって進藤君、その用意された道を踏み外す事なくまっすぐに歩いているのは、誰でもないキミ自身なんだからね。

 おそらく、彼の期待通りに。
 白川が緒方の立場だったとしても、方法は違っていたかもしれないが、おそらく同じ事をしただろう。
「期待されている、と思っていればいいんじゃないかな?」
「期待?」
「そう。私や森下先生のようにね」
 層々たる面々が揃い踏みのプロの世界。その世界で彼らは、いつでも新しい風、輝く可能性を秘めた若い力を待ち構えている。自身の持つタイトルを守り抜くのもまた道だが、己の立つその場所を揺るがすような存在の発掘に、労力を惜しむ事はない。
 この世界のためにも、そして己のためにもそれが必要な存在であると認識しているからだ。
 ふーん、とヒカルは大きな瞳をパッチリと見開いた。揺れている眼差しは、何事かを考えているようだ。
「そっか! よくわかんねーけど、とにかく俺は頑張ればいいんだよね!?」
「そうそう」
 はは、と白川は笑う。
 ヒカルのこの単純さは、ある意味強大な武器になるだろう。それを無くして欲しくないと、白川は思う。
 緒方が何をどう考えているのかは、知りようもないけれど。




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