UP20020716
好きのかたち 2
ポカン、と、緒方は顔面に衝撃を受けた。 「……ってェな……」 目覚める前の浅い眠りから強引に覚醒へと引きずり上げられた緒方は、自分の視界を覆うモノをグイと持ち上げる。 細い腕だ。 その腕をどけて上半身を起き上がらせて、視線を時計へと移す。 朝の8時ちょうど。 少々朝寝が過ぎたかな、と考えつつ視線を側方へと巡らせると、腕を緒方の顔面にヒットさせた張本人は未だすやすやと夢の中だ。 昨晩共に眠りに就いたヒカルは、罪の無さそうな顔で寝息をたてていた。 そう回数多くヒカルを家に泊めた事がある訳ではないが、彼は時々寝相が悪い。圧し掛かってくるようなものならそれでもまだマシなのだが、ヒカルの場合はおもに手が出る足が出る。昨日は課題で頭をグルグルと悩ませたから、疲れて余計に寝相が悪いのだろう。 「ったく……」 不本意ながら、目覚めてしまったものは仕方がない。とりあえず朝飯の用意でもするかと、緒方はそっと起き出した。 朝の身支度をすべて終えたところで、来客を知らせるチャイムの音が鳴り響いた。 「すみません、朝早くから……」 インターフォンでのやり取りの後に訪問者を招き入れた緒方に頭を下げたのは、誰であろう塔矢アキラだ。 「かまわないさ」 緒方は笑顔でアキラを部屋の中へと促す。 ヒカルをどうしようかと一瞬奥の部屋に目を向けたが、この場合は眠ったままにしておいた方が無難だと判断して、知らん振りを決め込んだ。部屋の中でまで言い合いをされてはかなわない。 「で、どうしたんだ?」 用件などわかりきっているのだろうに、緒方はそんな風にアキラに問う。 「……あの」 「うん」 「あの、緒方さんは、進藤とはどういう……」 スッパリと本題に入りつつも、そこまで言って、口をつぐんでしまうアキラ。 そんな彼の様子に思わず笑みがこぼれてしまいそうになる緒方だったが、ここでアキラの機嫌を損ねても仕方がないので何とか耐えた。 「どうして緒方さんが、進藤なんかと……」 「どうした、アキラ君。兄弟子である俺が進藤に横取りされるような気がして焦ったか?」 「……」 ニヤリと笑う緒方に、アキラは俯いて黙ったまま。 見る人によっては、肯定とも取れるような様子だけれど。 「……違うな」 「は?」 「そうじゃないだろう?」 「え……」 緒方はフウ、と溜息をついてみせる。 認めたくないのか、それとも本当に気付いていないのか。そんなアキラの様子を眺めて楽しむのも一興かもしれないが、そんな風に苛めるのも少々悪趣味に過ぎるかと考え、早々に答え合わせをしてやる事にする。 「俺のそばに進藤がいるのが気になるんじゃなくて、進藤のそばに、俺がいるのが気になるんだろう?」 「!」 「進藤のそばにいる俺に嫉妬してるんだよ、君は」 「……そんな、それは……」 そんな馬鹿な、とでも言うようにアキラは首を振るが、緒方はただ肩をすくめる。 ちがう、と声を大にして言いたかったが、それは言葉にできなかった。 それが、本当の事だから? 緒方はテーブルの上に置かれたままの煙草に手を伸ばし、くわえたそれに火を点けた。 フウ、と溜息をつくように、紫煙を吐き出す。 「アキラ君。君は同年代の友達をあまり持たなかったよな」 「……」 「だが、そんな君の中に、突然進藤が入り込んできた。君にとって、進藤って何だ?」 アキラにとって、ヒカルとは。 「……生涯の、ライバルだと思っています」 あらためてキチンと口に出してみて、その言葉が急速に心の中に浸透してくるのを、アキラは感じた。 生涯の――ライバル。 「そんなあいつの中に、もしかしたら自分よりも大きい存在の人間がいるんじゃないかって事に、君は不安を感じているんだよ」 「――……」 否定できなかった。 素直になれなくてついつい反対の事を口にしてしまったが、真実をこの緒方にハッキリと言われてしまったら、認めるしかなかった。 けれど、それだけではないと思う。 生涯のライバルであるヒカル。そして兄弟子である緒方。 自分の中でどんな形であれ大切な存在である二人が隣り合って並んでいたら、そこに、自分は存在できないのではないかと。 まるで締め出しを食らってしまったような気がして。 「何も心配はないんだよ」 「え……」 「進藤にとっても、君は大切なライバルだ。この地位だけは、誰にも奪う事はできない。君は、時々進藤と対局しているだろう?」 「はい」 「あいつ、俺にもその事を一言も言った事がないんだぜ」 緒方は苦笑する。 「それは……きっと、どこからか森下先生にその事が漏れてしまうのを避けるためじゃないでしょうか」 塔矢門下を一方的にライバル視している森下に、二人が仲睦まじく対局しているのを知られるのはまずい。 「そうだな。進藤は、君との時間を誰かに奪われるのが嫌なんだよ。君との関係を、大切にしているからさ」 「……」 クク、と、緒方はいつもの意地の悪そうな含み笑いを見せた。 「そして俺には、俺の地位がある」 「緒方さんの、地位?」 「なあ、アキラ君」 緒方は、すぐとなりに座っているアキラの細い顎に手を掛けた。 そのままグイとアキラを引き寄せ、顔を近付ける。 今まさに、唇を合わせようとするかのように。 「お、緒方さん!? 何を……ッ!」 ぼんやりと目を見開いたままだったアキラが、ようやく状況を理解して、大慌てで緒方の身体を押し返した。 緒方は、自分に、いま、何を……!? 「何の冗談ですか!」 アキラの慌てぶりにクックッと笑いを洩らす緒方の方は、本気で楽しそうだ。 「アキラ君は俺と、こういう事をしたいと思うか?」 「そ、そんな事、思った事もありません!」 あまりの事に顔を真っ赤に染めたアキラの言葉は、真実だ。 「じゃあ進藤とは?」 「同じです!」 ハハハ、と声をたてて笑ってしまった緒方は、そんな笑顔のまま、微かに眉間に皺を寄せてみせた。 「悪いな。俺と進藤は……こういう事をしてるんだ」 「……!」 予想だにしなかった緒方の言葉に、アキラはただ唖然としながら口をパクパクとさせる。 ショックが大きすぎて、言葉もないのだ。 「だから、違うんだよ。君と俺とじゃ、位置が全く違うんだ。もちろん、俺の中での君と進藤の位置も」 緒方とヒカルが。緒方と、ヒカルが……。 緒方の言うように、自分はヒカルや緒方にそういう事を求めたりはしない。今の今まで思いつきもしなかったくらいだ。けれどこの二人は、そんな風にお互いを求め合う……。 確かに、比べる対象にもならないだろう。 『誰にも奪う事のできない地位』。緒方はそう言ったけれど。 頭の中でぐらぐらと熱湯が煮え立っているようで、考えが上手くまとまらない。 「……あの……あの、僕、帰ります……」 帰ってキチンと頭の中を整理したい、と、アキラは呟いた。 「それがいい」 混乱するのも無理はない。 ふらふらと立ち上がるアキラを促して、緒方は共に玄関へと向かった。 「あの、緒方さん」 玄関のドアを開きかけて、唐突にアキラが振り返る。 「うん?」 「僕、僕は、これまでと同じでいいんでしょうか」 「もちろんだ」 不安そうに緒方を見上げるアキラの肩を、緒方は優しく叩いた。 「本当に、これだけはわかってくれよ。どっちが大切だとか、そういう事じゃないんだ。比べられるものじゃないんだよ。少なくとも……進藤にとっては」 珍しく噛んで含めるような緒方の言い方に、アキラは神妙に頷いた。 恋と友情とを比べるなら、恋を優先させる人間は多いかもしれない。それが悪いという事でもない。けれど、ヒカルはそうではない。彼には自分の好きな人間に、順位を付けるという概念がないのだ。それに緒方的には、自分たちが世に言う恋人同士のような関係と全く同じようには、ちょっと考えられない。どこがどうとは言えないが、何だか微妙に違うのだ。気持ちの面で。 アキラにも、その辺の事は理解できた。 自分でも訳のわからない感情に翻弄され、それを緒方にぶつけてしまい、あまつさえそれを緒方自身によって整理整頓されてしまった事実に、今更のように恥ずかしさが込み上げる。 進藤ヒカル。本当にタチの悪いライバルだ。 そんな風に、アキラは自分を納得させた。本当に質が悪くて訳がわからなくて、自分を感情の渦の中に巻き込む。いつもいつも、思えば最初からそうだ。 それでも。 これからも彼との道が続いていくのなら、きっといつか二人の事もわかるだろう。 そんな風に思いを馳せながら、アキラは緒方の家を後にしたのだった。 ヒョコンと、部屋の奥からヒカルが顔を出した。 「起きてたのか」 「……うん」 再びソファに腰掛けた緒方の隣に、ヒカルもストンと腰を下ろす。 その表情は、いささか憮然としていた。 「……塔矢に、キスしようとしてただろ」 ポツリと呟いたヒカル。 緒方は思わず吹き出してしまった。囁くような会話の内容までは上手く聞き取れていなかったらしい。 「何だよ!」 「お前、妬いてんのか?」 意地の悪そうな表情で言う緒方に、ヒカルは真っ赤になってしまう。 「……! 悪ィかよッ!!」 ぷいとそっぽを向いてしまうヒカルの頭を、緒方はガシガシと撫でた。 「悪かねえよ」 緒方は、心の中で苦笑する。 かえって嬉しいと感じている自分が、そこにはいて。 「妬かれて嬉しいってのも……お前くらいなもんだ」 まさか自分の中に、こんな感情が訪れる日が来ようとは。 嫉妬とか、独占欲とか。そんな思いは、これまでの自分にとっては鬱陶しいだけのものではなかったのか? こんなところは、その辺の恋人同士と全く変わらないな、と思う。自分で考えていた以上に重症だ。 「大体さあ、塔矢も塔矢だよ。いくらなんでもブラコンすぎだろ……」 ブツブツと口の中で文句を言うヒカル。 ――やれやれ。 この鈍感男相手では、アキラが不安に思うのも無理はない。 アキラの複雑な想いが、自分の方に向いているなどとは微塵も考えていないのだから。いつもいつも、アキラを自分の方に振り向かせようと必死だったくせに。 アキラでなくとも。 ヒカルには、大切な人間が多い。 緒方の前で、誰かの話をする時。アキラの話題が出る時。ヒカルが本当に、その人物を大切にしているという事が、良くわかる。 いつか緒方の前で見せたあの慟哭は、誰のためのものだった――? ――妬きたいのは、こっちだよ。 そう心の中で呟きつつも、そんなヒカルの心こそが、ヒカルがヒカルたる由縁なのだとも思う。そんなヒカルの事が。 緒方は――好きだ。 緒方は溜息をついて、頭を抱えた。 「テメエこそ、責任取れよな……」 「な、何のさ?」 ヒカルには、緒方の呟きの意味がわからない。 もう後戻りできないのだから、キチンと責任は取ってもらわなければ。そもそも、最初に責任を取れと言ったのはヒカルの方だったのだし。 「さあな。自分で考えな」 緒方は誰とも違う気持ちでヒカルの事を。 そしてヒカルも、誰とも違う気持ちで緒方の事を――。 彼がその事をちゃんと理解した時、おそらく今は自分自身でも気付いていない、自分の深いところにあるはずの気持ちにこそ気付くであろうその時を、楽しみに待つのも悪くはない。 その時に、彼はどんな風に緒方の顔を見つめるのだろうか。 鈍感な少年の頭を掻きまわしていた緒方は、そんな彼にそれをわからせようとするかのようにその顔を引き寄せ、ヒカルの唇に己のそれを重ねるのだった。 |
●あとがき● 毎度お馴染み、作品ツッコミのお時間〜。緒方さん、ケータイのアドレスに「ヒカル」って登録してますよ! それってどうよ! <だからそれはお前が(笑)。 このお話は、ずいぶん前にできてました。ヒカルとアキラがこんな関係なんだっ、て感じで。恋人も友達も、大事にしましょうねー(笑)。 |