UP20020820

君ヲ想ウ

5 ― 散る花の香に君を想う





 ストンと落ちるような感覚の後で、緒方はそっと瞳を開いた。
 見慣れた天井と、良く知る部屋の中の空気。一瞬クラリとするような感じがあって、徐々に意識が覚醒してくる。
「……朝……?」
 カーテンの隙間から微かにこぼれてくる光は、夜が明けた事を緒方に知らせる。

 なんだろう。
 ずいぶんと長い夢を見ていたような気がする。
 その余韻を残す、不思議な感覚。

 隣に身を沈ませるヒカルは、未だ瞼を閉ざしたままだった。それを横目で見て、はて、と思い、僅かにその身を起き上がらせる。
 緒方の左手はヒカルの手を取り、そのヒカルの右手はしっかりと緒方の手を握り返していた。眠っている間に、どんな状況になって何が起きてこうなったのだろう。謎だ。
「おい、進藤?」
 その肩に、そっと手をかける。
 朝だぞ、と呟くと、その瞼がにわかに震えた。ゆっくりと時間をかけて、その瞳が開かれる。今日の寝起きは悪くないらしい。
「……?」
 微かに顔をしかめるヒカル。
「緒方先、生? 今日って……何月何日?」
 起き抜けのヒカルの第一声。
「何寝ぼけてんだ。今日は5月5日だ」
 5月5日。
「そっか……それでか……」
「それでか、って何がだ」
 何かを納得したらしいヒカルに問い掛けるが、ヒカルは己の言葉をいぶかしむように、瞳を細めた。
「……? なんだろ……」
 なぜそんな風に思ったのか、忘れてしまった。
 5月5日だから、なに? この日に、何かあったっけ。
「大丈夫か、お前」
 呆れたように緒方がヒカルの前髪をかきあげる。
 その身体から、ふうわりと何かが香るのをヒカルは感じた。
 それは――季節はずれの、梅の花の香い。

 なに、と思うよりも早く、ヒカルの両目からポロポロと涙が零れ落ちた。

「おい、進藤?」
 ぎょっとする緒方の顔を、ヒカルはただ見つめた。
「何だよお前。夢でも見て泣いてんのか?」
 ゆめ?
「わ、わかんないよ……」
 長い長い、楽しいような哀しいような不思議な夢を見ていたような気がする。
 きっとそのせいで涙が止まらないのに、その夢が思い出せない。さっきまで見ていた夢なのに。起きた時には憶えていたような気がするのに。思い出そうとした途端に、記憶はふたを閉じてしまった。
 けれどその代わりとでも言うように、涙は止まらず溢れてくる。
「―――……」
 繰り返し止まらない嗚咽を洩らしながら、ヒカルはやわらかなベッドに身体を預けたまま、緒方の背に腕を回してしがみついた。
 なんだろう。わからない。でも涙が止まらない。
 パジャマの布をぎっちりと握り締めるヒカルの身体を、緒方は再び身を倒して抱きしめる。大きな腕が、ヒカルの背中と頭を隙間なく包み込んだ。
 一体どうして泣いているのだとは――不思議な事に、思わなかったのだ。
 何故だか、自分はその理由を知っているような気がして。

 繰り返し繰り返し、己の名を呼ぶ声。
 ヒカル、ヒカル――と。
 夢の中で、誰かが呼んでいたような。
「いいかげん泣き止めよ。これから出かけなきゃならないんだぜ」
 何度も自分の頭を撫で付けながらの緒方の囁きに返事を返したかったが、できなくて。代わりにまたひとつ、嗚咽を洩らした。
「……ヒカル」

 トクン。
 一瞬高鳴った胸の鼓動。
 小さな呼びかけに、ヒカルは目を見張った。
 ヒカル――と。
 緒方の、たった一度の呼びかけに。

 フッと、懐かしい姿が心の隅をよぎって消えた。
 その姿を、夢に見ていたのかもしれない。たった今まで。
 もう彼が、自分の名を呼ぶ事はない。けれど、今自分を抱きしめているこの人が、その名を呼びかける。
 この先も、ずっと。

 生きている。
 何故かそんな風に、ヒカルは思った。
 今ここでその命の火を燃やし続けている事がどれほどに大切な事であるか、その価値の重さと尊さを、今、ヒカルは知る。
 生きているよ。
 そう、かつて遥か昔に、かの人がその大地をしっかと踏み締めていたのと同じように。
 なあ――佐為。
 俺たちは。
 ヒカルは、懸命に涙を止めようとするかのようにスン、と鼻を啜った。そして、大切な人のその身体を、再び強く抱きしめる。
 優しく耳を打つ、彼の鼓動。
 みじかい生を駆け抜けた彼の人に、ヒカルと、そして緒方も。自分たちでも気付かないくらいの心の奥底で、幾度も幾度も語りかけた。

 生きているよ。




 こいつと。
 この人と。
 俺たちは、この世界で。
 ――ずっと一緒に、生きて行く。




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●あとがき●
一体何が言いたかったのか、テーマがちゃんぽんでわっかりませ〜〜ん(滝汗)。
元はといえばですね、企画として、PSゲームの平安幻想異聞録と原作をリンクさせて、原作の最初の部分を異聞録の続きとして仕立て上げて、そして私なりに佐為の存在を補完してみようかな、みたいな思惑があったのですよ。しかしこれをやってしまうと、やはりどうあっても異聞録の佐為が、その後自殺しなければならなくなるのですね。せっかく幸せな異聞録の世界を壊したくなかったので、それは没に。それでもそんな感じのお話をカタチにしたかったので、姿を変えてこのようなお話が出来上がってしまったのでした(苦笑)。単に緒方と佐為を共演させたかっただけかもしれませんが。
そころで異聞録はかなりオススメなので、未経験の方はいかがですか♪
まあこれで、ヒカルの中の佐為と緒方の位置関係もハッキリしたってカンジで。何かこのお話、相手が緒方でなくても良いんじゃないかって気もしますけど、そこはそれ、氷村って事で。でも最後に抱き合うシーンとかは、これはちょっと大人の人相手じゃないと苦しいですよね(笑)。
今回は本当に、テーマよりも何よりもシュミ丸出しのお話でしたねー。すみません;



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