UP20051204
鋼鉄の都市 ――1 アインブロックへの派遣
「シュバルツバルド共和国の首都ジュノーに、飛行船が降り立つようになったようです」 プロンテラ大聖堂の一端を担う修道士のひとりであるテルーザ室長の言葉に、招集をかけられた聖職者たちの中から微かなどよめきが起こった。 「飛行船?」 「空を飛ぶアレか?」 彼らの間で囁かれる言葉は、テルーザの一瞥で瞬時に消え入る。 「シュバルツバルドは近代科学の国家。なかでも蒸気機関の技術の発展は目を見張るものがあります。そうして開通した飛行船によって、我々ルーンミッドガッツ王国の人間も、ジュノーを玄関口として、その南西に位置する都市アインブロックやアインベフへと、気軽に赴けるようになりました」 ――世界も広くなったモンだな……。 召集に応じた聖職者シイナは、ぼんやりと思う。 「わが国とシュバルツバルドは、協定で結ばれた国。互いを行き来することも多々ある間柄と言えましょう」 実際、シイナもジュノーには何度か赴いたことがある。進んだ科学力によって都市そのものが空中に浮遊しているという稀有な場所だ。研究者が集うセージキャッスルの最奥で、迷って出てこられなくなったこともあったっけと過去を振り返る。最近ではご無沙汰している国だ。 「そこで、我が同胞、聖なる子らよ。あなた方に大聖堂からの依頼を申し渡したいのです」 ざわ。 またも空気が膨張するようなざわめき。 「我らの国の一般人も、多くが彼の地へと赴くことでしょう。けれど彼らの大半は、その地の危険さを知る事無く手軽な気持ちでいることと思います。ですが、彼の地もわが国も、人の住まう地域の外側がモンスターで溢れている事はまったく同じ。しかもその殆どは、わが国では未確認のものばかりだと聞きます」 室長が何を言わんとしているのか、その場にいる全員がわかったような気がした。 「騎士団や商人組合、その他の団体も、それぞれに動いているようです。我が大聖堂からも、有志でアインブロック、アインベフ周辺の調査に赴いていただきたいのです」 ――やっぱり。 誰もが、そう思った。 「そうしてできることならば、彼の地で他の調査員や観光客の助けとなっていただきたいと考えております。繰り返すようですが、これは強制ではなく有志です」 「有志……」 有志、ねえ。 シイナは嘆息する。 プロンテラ大聖堂言うところの有志。強制はしないが行くなら大聖堂からの保障、助成は一切ないぞと言っているのだ。そう、自らの献身ひとつで。なるほど聖職というだけはある。 「希望者はいませんか? 挙手願います」 室長の言葉に、数人が手を挙げた。そのうちの何人かは使命感に燃え、大半は興味本位である。依頼に応じた者でなくとも、見知らぬ地への期待感は誰もが持っているであろうが、いかんせん大聖堂からの使命つきであるという事が、行動を渋らせる大きな要因となっているのである。 「他はどうですか?」 最初に数人が挙手した以外は、皆顔を見合わせたり囁きあうばかりで誰も動きを見せようとはしない。 「プリースト・シイナ」 唐突に名指しされて、シイナは仰天した。 「は、はい!?」 「あなたは先日、グラストヘイムの修道院跡で、モンスターダークイリュージョンをひとりで討伐したそうですね」 「ええ!? は、まあ、ええ、はい?」 「その勇気と行動力と、敬虔な信仰心は賞賛に値するものと思います。どうですか? あなたの献身を、我が国民と共和国の安全平和のために発揮するつもりはありませんか?」 「あ、あ……」 その場に集う聖職者の数人が、頭を抱えた。こういう場合に室長に指名されて、回避できたためしはない。 ――誰だあッ! 室長に余計なことをしゃべったのは!? 確かにダークイリュージョンは、修道院跡を牛耳ると言っても過言ではない強力なモンスターだ。そばで5秒も突っ立っていれば、簡単に死ねる。けれど実践に向かない聖職者の中だけで考えたとしても、あれくらいのモンスターであれば、倒せる者はいくらでもいるはずだ。単体で挑もうなどという物好きが存在しないだけで。 「シスター・テルーザ! 確かに私は修道院跡へ赴くことが多いですが、あくまでモンスター討伐に明け暮れる日々でして、人の助けになることもしているとは言い難いですし、そういった意味ではあまりこの仕事向きではないかと……」 我ながら、苦しいというか情け無い言い訳ではある。ゆっくりと近づいてくる室長の静かな迫力に負けて、シイナの語尾はみるみると小さくなってしまう。 「だからこそです」 「え?」 「皆それぞれに役割や護る者を抱えているものです。その点で言うならば、今のあなたは身軽であると言えますね?」 「あー……」 痛いところを突く。 過去に仲間は沢山いた。もちろん今も付き合いがないわけではないし、たまには共に出かけたりもしないではない。が、修道院跡に出かけるようになってからは、その多くを少しずつ遠ざけてきた。理由はそれなりにあるが、身軽と言われればその通りとしか言いようがない。 「プリースト・シイナ。誰かに護られながら、また誰かを護るために、人は強くなります。ですが、あなたのように、人を遠ざけることで護ろうとする人が、今回は適任かもしれないのです」 「シスター・テルーザ?」 「不明な部分が、多すぎるのです」 その言葉は、彼女の目の前に立つシイナにしか聞こえないくらいに小さかった。 「シュバルツバルドはまだまだ謎が多い。故に予想外の危険も付きまといます。心してかからなければならないことは、各団体から派遣される全人員に通達されているはずですから、あなたにも申し渡しておきます。挙手に応じた、彼らにも」 謎の多いシュバルツバルドの国と、その都市アインブロック。その地の調査がこの国に何をもたらすのかはわからない。不安要素がないわけがない。 けれど。 未知の領域を知るために動くことは、シイナは決して嫌いではない。大聖堂からの使命という面倒付きであるということが、少々のネックになっているだけの話だ。面倒ごとを極端に嫌うという、生まれ持った性癖もある。 「……わかりました、シスター・テルーザ」 嘆息とともに、シイナは観念した。 「この身は、神と国家と友のために」 「ありがとう、プリースト・シイナ。あなたとあなたが守るべき盟友に、神のご加護がありますように」 合言葉のようにいつも繰り返されるシイナのお決まりの言葉に、室長は祈りの言葉を返し、胸の前で柔らかく両手を組み合わせた。これも幾度となく繰り返されてきたやりとりだ。 最後にニッコリと笑った室長は、くるりと体の向きを変えた。 「それから……」 あと数人指名するつもりらしい彼女は、次の標的に向かって歩みだす。 ご愁傷様、だ。 うまくハメられた感は否めないが、引き受けてしまったものは仕方がない。シイナはその場に立ち尽くしたまま肩をすくめて、再び大きなため息をついた。 初めて降り立ったその都市の、あまりの視界の悪さにシイナは驚いた。 原因は街全体を覆う煙だ。大小あわせ無数の工場があるらしいこの都市の、南に位置する大工場が主にこの煙を吐き出しているらしい。煙と砂塵で空気は枯葉色に染まり、その遥か上空に広がる空をも、朱の色に変化させている。 ジュノーからの飛行船の乗り心地は快適だったが、一歩外に出たらこの状況。殆どの街行く人の顔が、マスクに覆われているのも頷ける。 「どこに何があるのかわかりにくいなぁ……」 初めての土地の上にこの視界の悪さ。当然空気も良いわけがなく。慣れるには時間がかかるだろう。空港から出たばかりの路上で、シイナは途方にくれた。 「この街は初めてですか?」 ふいに側方からかかった声に、シイナは驚いて振り返った。 「私はこの街の案内員としてここに常駐しております。質問等あれば承りますが」 厚手の制服に身を包んだその男は帽子を目深に被り、この街の案内員特有の、口まで覆い隠すフードで顔を半分も隠しているせいで、人相ははっきりしない。意志の強そうな瞳だけが、印象的だった。 「それはありがとう。この街の宿泊施設の場所を、とりあえず教えて欲しいんだけど」 「ホテルがここから東に行った場所にあります。この道を左に折れて、その先を右に行っていただいた、広場に隣接した場所に。機関車のターミナルがあるからわかりやすいと思います」 なるほど。確か隣村のアインベフへの交通は機関車だけのはずだから、その駅の近くにホテルがあるなら移動はしやすい。 「アインベフへの汽車は、いつでも使えるのかな?」 「ダイヤは細かいはずですから、長いことお待たせすることはないでしょう。しかし忙しい方ですね。ここへ着たばかりでもう隣村の話ですか。この地に慣れていない観光客のようですから、まずはマスクでも購入することをお勧めしますが」 案内員の言葉に、シイナは隠れたトゲを感じて首をかしげた。 「その高価そうなお美しい衣装も、晒して歩いては汚れてしまいますしね」 ……やはり、トゲがある。 「確かに空気は良くないな」 コホン、と咳ひとつした後で、シイナは深紅の布で口許を覆う。 「!! オレのマフラーをマスク代わりにしないでくれ!」 グイ、と腕を振り上げて、案内員はシイナの口許の布を払い落とした。 「……失礼な客人だな」 シイナがその口を覆ったのは、案内員が顔まで覆っている赤いマフラーだった。 「失敬。呼吸に具合のよさそうな布だったものでね。まあ失礼はお互い様ってことで」 サラリとしたシイナの嫌味にカチンときたらしく、案内員はその眼光を鋭くしてシイナを睨みつけた。 「アンタみたいな観光客が増えてきて辟易しているよ。物見遊山でロクな準備もせずに訪れて、挙句に身体に悪いだの見る場所がないだのと文句ばかりを残していく。その何もない場所に遊びに来る金の余裕があるなら、他の観光地にでも行けばいい」 フン、とそっぽを向く案内員。なんと聡明なことか。シイナ的には結構面白かったりもするのだが、これでお役目が務まるのかとこちらの方が不安になってしまう。 「その失礼な他国に大々的にアインブロックへの門を開いたのは、ほかでもないシュバルツバルドの方だがね。ああ、でも君個人に国の方針についてどうこう言っても仕方のないことだな。他の観光客の事を言われても私には関係ないのと同じくらいにね」 楽しそうなシイナの言葉は、案内員の神経を逆撫でするには充分だったが、それと知っていてやっているのだから、シイナの方も始末に終えない性格をしている。 「案内員なんて接客業を続けて行きたいなら、我慢を憶えるのも必要な事だと思うがね。案内ありがとう。助かったよ」 「ちょっと、アンタ……」 ニヤリと笑って歩き出したシイナの背中に言葉を投げかけた案内員だったが、それ以上は追っては来ないようだ。勝手に持ち場を離れるわけにもいかないのだろう。 どこもかしこも錆びたような印象を受ける道を歩きながら、シイナは思う。 (確かに観光向けではない街だな) 観光のために空路を開通させたわけではないのだろうが、初めてその存在を知る場所が表立ってくれば、当然好奇心旺盛な観光客も増えてくる。彼らが飽きるまでは騒がしく、そして飽きられればポイ、だ。 「まあ、あの案内員がヘソを曲げるのもわからなくはない、か」 どう迎え入れられようが、シイナはこの街とその周辺を調査して、結果を大聖堂に報告しなければならない。観光を厳禁されているわけではないが、まあ仕事半分であるから、そうそうのんびり遊んでいるわけにもいかない。 ――ホテルに部屋だけ取って、先にアインベフに行ってみるかな。 アインブロックの基盤となった炭坑の村、アインベフ。アインブロックに住む多くの労働者は、もともとはアインベフの出身である者が多いと聞かされている。 村の様子でも見て住人に話を聞いて、それから外を探索でもしてみるかなどと、頭の中で算段を立てながら、シイナはホテルへのチェックインを済ませ、アインベフへと向かう汽車に乗り込んだ。 NEXT >>> |