UP20051204

          鋼鉄の都市 ――2 ビンデハイム

 


「アインブロックやアインベフが煙に包まれてるのは、汽車のせいもあるんだろうな」
 誰にということもなく、シイナは呟く。
 もちろん工場から排出される煙には負けるが、煙突からモクモクと煙を吐き出す機関車が頻繁に往復しているのだから、原因はここにもあるだろう。
 シイナが普段暮らしているルーンミッドガッツは主に魔法を駆使する国家であるから、修道士や聖職者などの持っている魔法、ワープポータルで空間移動するか、国家を代表する一大企業カプラの提供する空間移動サービスを使うのが常だ。どちらも一瞬で移動は完了する。
 シュバルツバルドのように飛行船や機関車を使って長時間移動するのは、ゆっくりと旅をしたい人間には有効な手段だ。そういう意味では、今までそういったものを利用したことのない者にとっては新鮮ではある。が、デメリットもある。大量に排気されるすすや煙、大量に消費される資源。環境には決して良いとは言えないが、これに関係して生計を立てる者は少なくないし、実際無くては困るものでもあるから、あまり良ろしくない言い方をしてしまえば、必要悪といったところだろう。

 アインベフの小さな駅に降りたシイナは、まずは村のあちこちを散策してみた。が、アインベフが貧しい村だの、アインブロックに人を盗られただのと、あまり良い話は聞こえてこない。この村に誇りを持ちたいのに、アインブロックという後からできた都市に邪魔をされている、ざっとそんなような話題ばかりである。外交がどうのという前に、隣接した地域同士の根底に、妙な確執が存在しているようである。よそ者を見る冷たい視線もちらほらと見受けられるところから察するに、まだまだ閉鎖的思考も残っていそうだ。――シイナの聖職者の法衣を見ただけで女性と勘違いしたおばあさんは、その事とは無関係かもしれないが。

「酒場、か……」
 その看板を見て、シイナはさして迷いもせずに足を踏み入れた。ひとりで酒をあおる事は滅多にない彼だが、目的は酒ではなく情報収集だ。しかし入ってはみたものの、陰気に酔いつぶれている人物が数人いるくらいで、まともに話が聞けるとは思えない。というか、外で聞いてきたのと大差ない話題しか出てこなさそうだ。
(外部に厳しく後ろ向きな住人多数、なんて報告するのも気が引けるんだけどな)
 まあ、炭坑夫や職人が中心の地域だけに、地道な働き者が多いという点は、無関係ながら頭の下がる思いなのだが。
 坑道を調査できれば、この地の産業などについても少しはわかるかもしれないが、坑道内には強力なモンスターが巣食っているらしいから、そちらは力の強い他の人間に任せるしかない。所詮シイナは力に乏しい聖職者だ。

 テーブルで酔いつぶれている老人の横を通過しかけて、シイナはギクリと足を止めた。
 強烈な殺気。
 突っ伏していたはずの老人の目は、ハッキリとシイナの姿を映していた。

「お前……お前は」
「えっ……?」

 ガバリと立ち上がった老人に気圧されて一歩下がったシイナだが、一瞬の間にその襟元を掴み上げられた。しかし次の瞬間には、泥酔したその男の足取りはふらつき、シイナの襟を掴んだままグラグラと揺らめいてしまう。
「ちょっと……」
「貴様、よくもこのオレの前に姿を現したな! この裏切り者!!」
 なんだって?
「裏切り者!?」
「のこのこと俺の前に出てきて、しらばっくれるつもりか!」
 呂律の回らない男の言葉。しかし、しらばっくれるも何も、シイナはこの男とは正真正銘初対面だった。少なくとも、シイナのこれまでの人生の中に存在した記憶はない。
「私は貴方の事など知りませんよ!」
 シイナの訴えにも、男は考えを改める様子も無く、さらに怒気の篭った瞳をぎらつかせる。
「このビンデハイムの顔を忘れたとは言わせんぞ!!」
 ……知らない名前だ。
 大体初めて来る村で、ずっとここに住んでいるであろう老人と知り合いであるわけがないのだが、酔っ払っている人間に何を言っても通用する気がしない。そもそもシイナを真正面から見て、他の誰かと間違えるくらい酔っているのだし。
 老人――ビンデハイムは、怒りをあらわにしたまま、しかしガックリと肩を落として、あまりにも情けなさそうな、くすんだ瞳をシイナに向けた。
「オレたちは、一緒に見つけただろう? ……あの不思議な鉱石をさ。未知の鉱石の発見で、オレたちは手を取り合って喜んだじゃねえか。よお。あの鉱石は上に取られちまったが、そんなのかまいやしなかったさ。その後あの鉱石は二度と見つからなかったけどよ、けど、それでも良かった。オレたちの中に、でかい発見をしたって歴史は残ったから、それだけで良かったんだ。なのに、なあ、お前は……お前は……」
 シイナの襟を掴むビンデハイムの手が、ブルブルと震えた。ガツリと、襟を握った拳がシイナの首に押し付けられる。
「痛……ッ」
「お前はオレたちを裏切った!!」
 ビンデハイムの目が、怒りに燃えた。
「オレたちみんな、お前を信じてた! お前から、あの鉱石がまた発見されたと聞かされた時も、オレたちは誰ひとりとしてお前を疑ったりしなかった。だからみんなで、お前の言う場所を夢中になって掘り返したじゃねえか。だがそこに、何があった? なあ、何があった!?」
 自分は貴方の仲間ではないから、わかるはずがない。
 喉元まで出かかった言葉は、口にしなかった。ビンデハイムの神経を逆なでするだけのような気がしたからだ。
「……何も無かったよ。何も無かった! 代わりに起こったのは、あのでかい落盤だけだ! オレたちはみんな巻き込まれた。助かったのはオレだけだ。だがオレが助かったことも、お前には想定外だったんだろう!? オレたちの命を金で売ったんだからなァ!!」
「クッ……」
 言い募りながらギュウギュウと首元を締め付けてくる手が苦しいが、酔った老人を払いのけるのも気が引ける。しかし、どうすればいいものか。
「……私は、その人ではありません!」
「あの日から、オレがどんな思いで……オレはお前を許さない! 復讐すら誓ったんだ!! その命をもって償え、シドクス!!」
 グイ。
 ビンデハイムの激昂と同時に後ろから肩を引かれて、シイナは仰天した。
「アンタ、こっちにおいで……!」
 酒場の従業員であるらしい初老の女性に引っ張られて、シイナは酔っ払った男から引き離された。あれほど食らいついていたビンデハイムだが、もう椅子に崩れるように座り込んで、テーブルに突っ伏してブツブツと何かを囁いている。
「旅の人だろう? あの人に捕まったら長いから、気をつけなよ」
「すみません、助かりました……あの……?」
 戸惑うシイナの腕を引いて、女性はビンデハイムの視界に触れない位置にあるテーブルまで導いた。
「奢りだよ、飲みな」
 手近なタルから注いだ果実酒を目の前に置かれる。あまりに自然な動作だったので、シイナも自然に頭を下げてしまった。
「普段はグダグダに酔いつぶれてるだけの人なんだけどね。時々発作的に、ああいう風になっちまうのさ。アンタも災難だったね」
 注がれた果実酒をクイとあおりつつ頷くシイナ。空気や水の良くない場所で美味い酒は出来にくいものかもしれないが、安っぽいこの果実酒はシイナの好みと良く合った。何においても安物好きなシイナの性格が、ここでも発揮されている。
「あの人は……ビンデハイムさんと言っていましたが。何かあったんですか?」
 シイナの質問に女性は訳知り顔でため息をついた。
「もう何年前になるかね……あの人はこの辺で良く知られた炭坑夫グループのひとりだったのさ。とても陽気で豪快な奴らでね。見ているこっちがつられて元気になっちまうくらいの連中だったさ。ところがね……」
 ある時、彼らは見たこともない不思議な鉱石を発見した。普通に鉱石を掘り出してそれを卸して金にするのが日課の彼らだったが、そういう新しい発見に喜びを見出す事こそ、彼ら炭坑夫にとっては、この上ない幸福だった。たとえそれが彼らの直接の収入に繋がらなくても、そんな事はどうでもいいことだった。
 彼らは手に手を取って喜ぶ。未知の鉱石。不思議な輝きを持つ、美しい石。
 その鉱石の正体を彼らが知らされることはなかったが、それを自分たちの手で掘り出した、その事実だけが彼らの誇りとして残った。
「ビンデハイムが言っていただろう? その後、彼の仲間のシドクスが、あの鉱物がまた見つかったと言って、ビンデハイムと当時一緒にあの鉱物を掘り出した仲間を誘い出したのさ」
 そこで起こった落盤事故。
 その場に、シドクスの姿はなかった。
「その落盤は、事故ではなかったのですか?」
 嫌なタイミングではあるが、普通に考えればそれは、不幸な事故と言える事件であるはずだ。しかしシイナの言葉に女性はゆるゆると首を振った。
「最初は誰もがそう思った。だが、村の住人の何人かが、その事故の前に、シドクスが怪しい連中と取引している現場を見かけてたのさ」
 大金を約束する。村の人間が聞いたのは、そんな言葉だけだ。しかしその事故によって、シドクスが大金を詰まれて仲間の命を売ったことを知った。かけがえのないはずの仲間の事故の直後にシドクスは姿を消し、その後しばらく、彼を探す外部の人間が村の中をうろうろしていた。
「どうしてそんな事をする必要があったんでしょうか?」
「それはわからんさね……だが、ビンデハイムがあんなになっちまったのも仕方のないことさ。崩れ落ちた洞窟の暗闇の中で、死にかけたビンデハイムが意識を取り戻したとき、初めて目にしたのは、自分の身体のうえに圧し掛かる大岩と、自分とその岩との間に挟まれている仲間たちの遺体だったんだから」
 シイナはその光景を想像して、微かに眉をひそめた。
「おかしくなっちまうしかなかったんだろうさ。だからあの人があんな風に飲んだくれてても急に叫びだしても、周りは何も言わない。もっとも、とばっちりを避けたいからってのもあるがね」
 どこにでも誰にでも様々な事情があるものだが、この件はなかなか根が深そうだ。あまり深く関わりたくない類のものかもしれないが、どちらにせよ、もう過去の話だ。ビンデハイムとこれ以上話す機会もないだろう。
「でもね、アンタ観光するなら気をつけなよ」
「え?」
「アインブロックで、何年も行方不明だったシドクスを見かけたって噂が立ってるのさ。あそこに行くなら、他の観光客には気をつけたほうがいいよ。……まだ不穏な連中とつきあいがあるならやっかいだからね」
 確かに、金で人の命を摘み取る人間たちだ。殺伐とした世界は慣れっこのシイナであるが、そういう人間がうろつく街の中と、モンスターが徘徊する街の外と、どちらが居心地が悪いだろうと思う。まあそうそう間が悪くない限り、その連中と関わりあいになるとも思えない。
「どうもありがとう。色々参考になりました。ごちそうさま」
 立ち上がったシイナに、女性は表情を切り替えて明るく笑ってみせた。
「ああ。機会があったらまたおいで、坊や」
「はは……」
 苦笑で答えて手を振ったシイナは、アインベフの枯れた木々を見上げながらゆっくりと歩き出した。
「シドクス……鉱石……」
 他人事といえば他人事だし、過去の話といえばそうなのだが、気になることもいくつかある。
 なぜ金で炭坑夫を雇う必要があった?
 謎の鉱物を発見した時にその場にいた人間を限定して殺害を企んでいる。では何故わざわざその場にいた人間のひとりであるシドクスに話を持ちかけたのか。そもそも、何故炭坑夫たちを殺害する必要があったのか。
「謎の鉱物を発見したことと関係している……?」
 その鉱物は、上に取られたと言っていた。炭坑夫はどこかの会社と契約したりしていることも多いから、上というのはそういった会社の事を指しているのだろう。だが先ほどの会話の中では、その会社が何がしかの圧力をかけられたり、窮地に追いやられているという話は聞かなかった。
 では、犯行はその会社の中の組織が?
 いくらなんでも、それは早計すぎる。動機も証拠も判然としない。
 目的がわからない。
 その鉱石が関係しているとして、それを独占するのが目的なのか、それとも大量収穫か、そうでなければ、その存在の隠蔽?

 ――その鉱物とは、一体何だ……?

 そして何故、大金を詰まれて行方不明になっていたシドクスが、アインブロックに姿を現したのか。まあ、それはまだ噂でしかないのだが。
「……まあ、気にしても仕方のないことだな」
 とりあえずはアインブロックへ戻り、街周辺と外の調査だ。関係ない事に、わざわざ首を突っ込んでいる余裕はない。というか、街に帰ったらとりあえず今日は休みたかった。プロンテラからの長時間移動と慣れない場所での騒動。案外に消耗している事を、じんわりと自覚しはじめているシイナだった。




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