UP20051204
鋼鉄の都市 ――3 警戒警報
アインブロックに着いて汽車を降りれば、目に見える場所にホテルの看板がある。部屋はもう取ってあるのだから、あとは帰って休むだけだ。 しかし、そこに向かって歩き出した途端に、異変は起きた。 「緊急事態発生。工場からの煤煙により、大気汚染濃度が危険値まで到達しました。住人の皆さんは、速やかに屋内に非難してください。繰り返します――」 「なんだ……!?」 町全体に響く音量で放送が流れ出し、急に辺りが騒がしくなった。と同時に、外を歩いていた人々が慌てて駆け出し、それぞれがどこかしらの建物の中へと逃げ込みだす。随分と慣れた様子で、オロオロとその場に立ち尽くすような人間は誰一人としていない。 「大気汚染濃度って一体……って、確かにこの煙、ただ事じゃないぞ……!?」 最初にこの街に来たときとは比べ物にならないほどの、大量の煙。さすがに咳き込みそうになるシイナの視界に、煙以外の何かが見えた。 いや、煙は煙だが……。 「モンスター!?」 大気中を漂う煙とそっくりな姿を持つモンスターがそこにいた。ルーンミッドガッツでは見たことのない形のモンスターだ。 これは予想外。 周りで被害を受けている人間がいないことを確認して、シイナは己に守備魔法をかけ掛けた。 「――やっぱり外にいたのか!!」 「えっ?」 グイ、と肩を引かれて、呪文詠唱を中断された。 「こっちだ」 声のする方を見てみれば、煙の中でシイナの手を引っ張って走るのは、この街に最初に来たときに会った案内員だ。いつの間に近寄ってきていたのか。 「クッ……痛ぇよ、コンチクショウ!!」 先に行く彼は、容赦なく煙のモンスターの攻撃を受ける。 「ちょっと君、大丈夫か?」 「いいから早く!!」 数十メートルか走った先の家屋の扉を開け放った彼は、そのままの勢いでそこに飛び込み、バシンと音をたてて扉を閉めた。 「はあ……」 その場に座り込み、大きく息をついて肩を落とす。 「……ここは?」 「オレの家。屋内にいれば安全だから……」 煙のモンスターは、確かに家の扉を破ってまで入って来ようとはしていないようだ。 「君、持ち場を離れて大丈夫なのか?」 フウ、とため息をつきつつ呟くシイナを、案内員は呆れたように見上げた。 「この時ばかりはそんな事言ってられないんだよ。あの煙のモンスター。あんなのが群がってる外をうろついてたら、命がいくつあっても足りやしない。警戒警報が出た時に、外にいるヤツなんて誰もいないよ」 「……じゃあなんで、君は外にいたの」 シイナの素直な疑問に、案内員はばつの悪そうな顔で俯いた。 「……探してたんだよ。アンタには、言ってなかったからさ。この街は時々ああいう風に警報が出されるんだって事。さっきアンタも見た通り、大気汚染が酷い間はモンスターも出現する。オレたちも自分の事で手一杯になるから、自己防衛してもらうためにも初めてこの街に来る人間には、必ずそれを伝えなきゃいけないんだけど……言い争いで、失念してた」 命に関わる事なのにすまない、と、案内員は素直に頭を下げた。その職務意識の高さに、シイナは内心感嘆しつつ、クスリと笑った。 「いやまあ、私もこう見えて、そう簡単には死んだりしないから、気にしなくていいんだけどね」 へ? と不思議そうな顔をする案内員の傍に膝をついたシイナは、見せて、と傷を負って血の滲んでいる肩に手を当てた。シイナの掌のあたりに透明な緑色の光が生まれたのを案内員が目で確認したときには、既に肩の傷は塞がっていた。痛くもかゆくも、なんともない。 「え、なんで? どうなってるんだ?」 「これも我々聖職者の力のひとつでね。戦闘にはあまり向かないけど、治療や防衛には長けているから、まあホテルに逃げ込む時間くらいは稼げたと思うよ」 シイナの笑顔に、案内員はへたりこんだ。 「そういう事は早く言ってくれよ……」 「そんなヒマなかったじゃないか」 ハハハと声を立てて笑うシイナに、案内員も諦めたように苦笑を返した。 「噂には聞いてたけど、アンタの国の人間は凄いんだな……」 「畑が違うだけなんだけどね。この国には、この国にしかできない事があるし。まあでも、君がその身体を張って私を助けに来てくれた事には、本当に感謝してるよ。ありがとう」 あらためて礼を述べると、案内員の顔があからさまに赤くなった。こういう事に慣れていないのかもしれない。 「いや、そのな、オレの方こそ、っていうか、ああいう時はたまにホテルなんかも施錠されちまう事があるから、気をつけとけよッ」 ああなるほど、それで彼は手近なホテルではなく、確実な自宅まで走ってきたわけか。シイナは納得した。 案内員は、壁に向かう形で設えられた机のそばの椅子を引くと、ドッカリと腰を下ろした。シイナには中央付近にあるソファを勧める。 「ありがとう。……えーと?」 「ララクセルズ」 「そう。私はシイナ。ルーンミッドガッツの首都プロンテラ大聖堂に籍を置いているプリーストだよ」 案内員――ララクセルズは、へえ、というようにあらためてシイナを見つめた。この辺ではあまり見かけない聖職者という人種が珍しいのかもしれない。 「……あの時は悪かったよ。最初にアンタを案内した時。オレから喧嘩をふっかけた」 俯いたその顔を、シイナは少しだけ目を見開いて見つめた。 「いや、私も乗ったからお互い様だけど。随分御機嫌ナナメだったようだね?」 「ちょうどその直前に案内した客が、おかしなヤツらでさ。来るなり強いモンスターのいる場所はどこだとか、もっと便利な道具を売っている店はないのかとか、文句ばかりつけられて。大体、観光で来ている奴らみんな、警報が出ても避難もしないでモンスター相手に暴れまわってるし――そう、街の外に出て行く連中もさ、あからさまに楽しそうに、まるでモンスター討伐が目的みたいに、意味もなくモンスターを倒しまくってるような奴らが目立ってたんでさ。アンタの国の人間ってのは、よほど好戦的な人種なのかと思うくらいで」 ルーンミッドガッツの国が、魔法や戦闘に長けている国で、そこに籍を置く冒険者の多くが各所に出かけてモンスター討伐を生業にしていることは、知識としては知っていた。しかし、これまでそれを間近で見る機会がなかったララクセルズには、彼らのその行動が理解しがたかったのだ。 シイナは肩をすくめた。 「確かに、目に余る奴らってのはいるものなんだよね。それはこっちも悪いかな。けど……まあ、ね。世界中各地を横行するモンスターってのは倒しても倒してもキリがないものでさ。多分一生かけても終わることがなくて……いかにも楽しそうに狩りをしてるように見えるんだけど、ん、まあ実際楽しんでる人間もいるんだけど――楽しむくらいの気持ちでなきゃ、やってられない時もあるんだ。申し訳ないとは思うけど、少しだけ大目に見てもらえるとありがたい、かな」 ララクセルズは、存外に素直に頷いた。 「今はわかるよ。さっきアンタ、モンスターに遭っても全然動じてなかったもんな。そういう能力に長けていて、そうやって生きているんだって事が、良くわかった。冷静に見てみれば、他の観光客だってみんなそうだった」 「もっとも、だからこそ気にいらないヤツでもいた時には、一発くらいブン殴ってやっても動じやしないから大丈夫だよ」 あははは、とシイナが笑うのに、ララクセルズは呆れた表情を向けた。 「アンタ、可愛げな顔してけっこう口悪いなぁ」 「可愛げはやめてくれ……」 さっきアインベフで老女に女性と間違われて「娘さん」などと声をかけられた事も、けっこうへこんだりしているのだ。昔から、シイナはその容姿について、女の子のようだとからかわれることが多い。本気で間違われることは滅多にないが。 「はは、それはすまない。……ああ、警戒が解かれたようだな」 そう言われて窓から外を覗くと、相変わらず煙で視界は悪いままだったが、若干見通しが良くなり、モンスターの姿はいずこかに消え失せていた。 「そうか。じゃあそろそろおいとまするよ。世話になったね」 「オレも持ち場に戻らないとな。またわからないことがあったら声をかけてくれ。今度はちゃんと案内するからさ」 ――真面目でいいヤツなんだな。うん。 ララクセルズの言葉に、ありがとう、と言い置いてシイナは外に出た。相変わらず空は最初に見たときと変わらず、朱に染まって本来の色を失ったままだったが、それでも先ほどよりは遥かに呼吸しやすい。 「ホテルに帰らないとな……」 休みたいと思っていたのを、ふいに思い出した。次から次へと何かが起きて、今日は忙しい。何もない一日よりは有意義かもしれないが、そんな呑気な事態でもないような気がするし。 まあいい。とにかくホテルだ。 石とコンクリートと鉄板で出来た道を、シイナは歩き始めた。 <<<BACK NEXT >>> |