UP20060402

          小さな恋の物語 ――1

 


 ララクセルズはいつものように、空港前の街道に立つ。
 ここに立って、空港から出てくる他の土地から来た人間にアインブロックの街の案内をするのが、彼の仕事だ。
 今日は観光客も少なくて、正直かなり暇である。
 ルーンミッドガッツの国と飛行船で直接行き来できるようになった当初は、好奇心に駆られた観光客たちが大挙して押しかけてきたものだが、月日と共にそういった観光目当ての客もほとんど見かけなくなり、今では何がしかの用事のある者がちらほらと姿を見せる程度になった。
 平和な日常が戻ってきたと、喜んでいいものやらどうやら。

「ララクセルズ、交代だぞ」
 案内員を務める職場の仲間が、空港の建物の中から姿を見せた。
 昼食の交代時間になっていたらしい。
 それじゃあよろしく、と持ち場を離れかけて、ララクセルズは足を止めた。視界の隅、街道の遥か向こうに、見知った人物のシルエットが見えたような気がしたからだ。
 視線を向けてみれば、走ってくるその人物は思った通り、彼の同居人であるシイナだった。
 時々シイナはララクセルズの休憩時間に合わせて一緒に昼食を摂りに来ることがある。アインブロックの住人としてはありえない、冒険者などという自由業だけに、比較的時間を好きなように使えるのだ。もともとシイナはアインブロックの出身ではないから、多少存在が特殊なのは仕方のない事だろう。
 今日も暇つぶしがてら、飯でも食いに来たのかなとララクセルズは思ったが、今日のシイナはどうもそれっぽい雰囲気に見えない。街道を全速力で走ってくる彼は、まるで何かから逃げているかのようにも見える。
 どうしたんだと問う間もなく、全速力の勢いのままシイナはララクセルズの袖を掴み、ぐるりとその背後に回った。
「助けろララクセルズ!!」
「は?」
 やってくるなり、何を言うのか。
 というか、助けろって、一体何からどうやって?
「シイナさーん!」
 シイナから遅れること数百メートル、長いドレスの裾を引っ掴んで駆けてくる女性を見て、ララクセルズは仰天した。

 あれは、カペルタ家のお嬢さんじゃないか。

 カペルタ家といえばアインブロックでも有数の資産家で、その家の一人娘のカーラは、アインブロックで知らない人間はいないのではないかと言われるくらいの有名人である。深窓のご令嬢である彼女は、滅多に外に出て来ない事でも有名だ。家人が厳しく見張っていて、この数ヶ月間、満足に外出もさせてもらえないらしい。
 その彼女が何故、髪振り乱しシイナを追いかけているのか。
 そういえば最近、外で彼女を見かけたという人間の話を聞いたような気もするが、実物を見たのはこれが初めてだ。いや、彼女が家から出なくなってから、という意味ではあるが。
 自分の背中にピタリと張り付いて身をかがめているシイナ、それで隠れているつもりなのだろうかと一瞬その行動のセンスを疑ったララクセルズだが、どっこいシイナを追いかけてきたカーラは、可愛らしい顔を真っ紅に染めながら、息を切らしつつもそのまま街道を走り去ってしまった。
 世間知らずのお嬢様は、すっかり前しか見えていなかったらしい。
「……何なんだ、一体」
 ララクセルズは、駆け抜ける彼女を呆然と見送ることしかできない。
 縮こまっていたシイナが、やれやれといった体で身を起こした。
「参ったな、もう……」
「一体何やったんだよ、シイナ」
 ララクセルズの疑問はもっともだが、その言葉にシイナは心底心外だという表情をしてみせる。
「人聞きの悪いこと言うなよ。オレは別に何もしてないよ……っていうか、したにはしたけど、おかしなことやって追いかけられてるわけじゃない」
「じゃあなんで」
 シイナはハア、と深いため息をついた。
「ちょっと前にさ、彼女の恋人のことで世話したというか何というか」
「恋人?」
 うん、と頷いたシイナは、心底複雑そうな、困った表情を見せてララクセルズを見た。




 もとはと言えば、彼女に関する噂を街で訊いたのがきっかけだった。
 いくら深窓の令嬢とはいえ、日がな一日家の中に閉じこもりきりでいたのでは、身体と心に良くないのではないか、というような話は、以前からところどころで囁かれていた。
 アインブロックは重労働者が中心の街だから、大雑把で気のいい連中が多い反面、労働で成り上がった人間の差別意識も強いきらいがある。
 その気のいい連中の話から察するに、カペルタ家の令嬢がまったく外に出なくなったのは、割合最近の話なのだという。空気も環境も良くない街で成り上がってしまった家のお嬢様だから、年頃になってきて、衛生上の事情やら下等な人間と交流させたくないなどという理由で急に外に出してもらえなくなったのだとしたら、それではあまりに気の毒な話だ。それならば、彼女を環境のいいどこかに住まわせた方がよほどいいのではないかというのが大半の意見である。いくら環境に問題があるとはいえ、家の中に閉じこもりきりというのは逆効果のようにも思える。
 アインブロックという街で成功を収めているのだから、他の街に移り住むなどということは、カペルタ家の選択肢の中には存在しないだろう。だからといって一人娘だけを他のどこかに住まわせるのには抵抗があるのか。真相は誰も知らない。
 せっかくこの街で一番と言っても遜色ない器量を持っている少女なのに。可愛らしいその姿は、この街での数少ない目の保養でもあったのだ。

 確かにシイナも、カペルタ家の噂だけは良く耳にするが、そのお嬢さんの姿を目にしたことはなかった。シイナがこの街で暮らすようになってどのくらい経ったか。その間一度も外に出ていないというのは確かに……問題があるような気はする。
 そんな折に、シイナは何気なく散歩に出た先で、初めて彼女の姿を目にしたのだ。
 富豪と言われるだけはある、大きなお屋敷。ここがカペルタ家かと納得すると同時に、一階の窓の内側から外を眺める彼女の姿が目に入った。
 ふと、目が合う。
 これが噂の絶えないお嬢さんか。
 噂にたがわずきれいな人だと、納得してその場を去りかけたシイナの目の前で、ぴったりと閉じられていた窓がそっと開いた。シイナは自然、足を止める。
「こんにちは。旅人さん」
 可愛らしいのは容姿だけではなかった。その声も歌うように高く、鈴を転がしたようなという形容がぴったりだ。
「こんにちは」
「ああ、旅人さんではないですね。最近この街で暮らすようになった他国の聖職者さんがいると、父の取引先の人が話しているのを訊きました。あなたですよね?」
 はんなりと笑う彼女に、シイナは曖昧に微笑み返す。閉じこもりきりの彼女にさえ知られてしまうほどに、自分も有名であるということか。確かにこの街で他国の人間が暮らすようになるという変化は、住人にとっては珍しい現象かもしれない。これは迂闊な事はできない。いや、するつもりがあるわけではないが。
「そうですよ。シイナといいます。ところで、窓なんか開けてしまって大丈夫ですか」
 噂から察するなら、悪い空気を吸うのは良くないのではなかったか。そう思って出た言葉だったが、少女はきょとんと目を開いたあとで、おかしそうに笑って見せた。
「ああ……それは大丈夫なんですよ。そうだわシイナさん。もしお時間がよろしければ、うちに上がってお話して行きませんか?」
「え?」
 その提案にはシイナも驚いてしまう。噂に聞く富豪のお嬢さんが、こんなに簡単に知らない人間を家にあげていいものなのか。
「今は父が出かけてていないんです。父は私の交友関係に厳しいですが、母は訪ねてきた人をいきなり追い返すようなことはしませんから、どうかお茶でも飲んでいって下さい。退屈していたところなんですよ」
 退屈していたところというか、一日中家にこもっていたら、いつでも退屈なような気がしなくもないが。
 せっかくの誘いを断わる理由もない。自分の暮らす街の人のことを知るのも、悪くはないだろう。シイナはお言葉に甘えてみることにした。
「ご迷惑でなければ」
 シイナの一言に、少女の表情はパッと明るくなる。
「ありがとう! どうぞ玄関にまわってください。美味しいお菓子もあるんですよ」
 本当に嬉しそうな少女は、すぐにその場から離れて姿を消した。玄関先へとまわるつもりなのだろう。それほどに話し相手が欲しかったのだろうかと、シイナも少しだけ歩を速めて、屋敷の表へと向かった。

「お邪魔します……」

 広く間取られた居間に通されて、こちらに背を向けている女性にシイナが声をかけると、その女性は思いのほか豪快に振り返った。
「ああ、いらっしゃい! アンタが最近アインブロックに住みついてるっていう冒険者かい? まあ誰であろうとこのカペルタ家より下等ってことに変わりはないがね、私は主人と違って心が広いからね。まあゆっくりしていくといいさ。ただし、娘に妙なことをしたらその場で叩き出すからね!」
「……どうも……」
 確かにすぐに追い出されるようなことはなかった。が、これは少し、性格に難ありと言えそうだ。これがこの、控えめなお嬢さんの母親なのか。
「ごめんなさい、シイナさん……母がいきなり失礼な事を」
「ああ、かまわないよ。別に気にしてない」
 これでもシイナは、旅が多い生活上、こういった手合いは見慣れている。今は一緒に暮らしているララクセルズですら、初対面の時には随分な扱いを受けたものだ。この母親もハッキリとものを言うタイプではあるらしいが、心底悪い人間とは限らない。地域特有の差別意識は色濃いようだが。
 侍女らしき女性が茶と菓子を置いて去るのを待って、少女は口を開いた。
「自己紹介がまだでしたね。私はカーラといいます。シイナさん、どうぞお好きに姿勢を崩してくださいね」
 さすがにこういう教育が行き届いているらしく、カーラの立ち居振る舞いは完璧だ。
「私が外に出られないのは、本当は空気や環境のせいなんかではないんですよ」
 世間話でもするように明るく自分の身の上話を始められて、シイナは少し驚いた。
「そうなの?」
「ええ。以前は私も自由に外を歩き回っていたんです。街の人はあまり父と交流を持ちたがらないですから、一部の方しか家には訪ねて来ないですし、街では違うお話が流れているようですけど」
 カーラは、少し俯く。
「興味本位で遊びに出かけたアインベフの村で、クルトに出会ってしまってから……」
「クルト?」
「クルトはアインベフで暮らしている男性です。とても優しい人なんですよ。私、クルトと一緒にいるだけで、とても幸せな気持ちでいられるんです。クルトもそう言ってくれてました」
 そう話すカーラの表情は本当に幸せそうで、彼女が本当にクルトという男性の事を好いているのだと、今知り合ったばかりのシイナでも容易に察することができた。
「恋人?」
 シイナが訊ねると、カーラは顔を朱に染めて両手で頬を押さえる。なんと初々しい反応だろう。
「……恋人なんて、そんな……私は彼のこと、とても好きですけど」
 照れていても言うことは言う。彼女も気風の良いこの街の住人ということか。
「けれど、両親は彼とのことに大反対で……。彼は、とても貧しいから」
 なるほど、ありがちな話ではある。
「彼と会っていたことがわかってしまって、両親には凄く怒られました。身分違いも甚だしいと……。両親は誰に対してもそうですが、特にアインベフが嫌いなんです」
 初めてアインブロックとアインベフを訪れてから、何度となく聞かされてきた話だ。
 もともとアインベフから独立したアインブロックは、アインベフから鉱石を運び込んで工場で加工する。工場が増えて、多くの収入を得る人間が増えてきたアインブロックには、富豪と呼ばれる人種も数多く存在する。働くだけの収入を得られない労働者も多いが、アインベフはそれ以上に貧しい。鉱石を掘り出す労働者が多いアインベフだが、その収入はたかが知れている。そうして高収入を期待してアインブロックに移り住む人間が増えているのだから、アインベフが貧しく寂れているのは当然のことだろう。
 アインブロックはアインベフを見下し、アインベフはアインブロックを嫌う。
 気風はいいが差別意識が激しいという風潮の原因だ。
「だからその日以降、私が隠れて彼に会ったりしないように、出歩くことを禁じられてしまったんです」
 それはまた、極端な話だ。
「……私、シイナさんがうらやましいです。あなたはあなたの意志と決断で、遠い国からこちらに移り住んだのでしょう? そんな勇気と行動力が私にあったなら……」
 実際のところ、そんなに一大決心をしてここに移り住んだわけではないが。
 確かに両親の反対を押し切って行動するというのは、育ちのいいお嬢さんにはきついことだろう。女性であるなら尚更だ。
「彼……クルトの方からは、訪ねて来てはくれないの?」
 カーラはゆるりと首を振る。
「彼にそんな無茶なことはしてほしくありません。たとえ来てくれても、両親に酷い扱いを受けて追い返されてしまうだけですし……」
 たしかにそれはそうだが、だとするとこの男女は、身分違いで引き離されたまま、諦めることしかできないのだろうか。勿論そういう話は各地にごまんと転がっていそうだし、どうにもならないことだって多々ある。他人の家の事情にあまり立ち入るのもどうかとは思うが。
「シイナさんは、こちらへはお仕事でいらっしゃったの?」
「え? ……ああ、うん、そうだね。仕事ついでに、気に入ったからこの街に住み着いてる」
 シイナの答えに、カーラはクスクスと笑った。
「同居人の方とは、仲良くできてますか?」
「そんな事まで知られてるのか……まあね、ケンカはあまりしないなあ。色々世話になってるから、助かってる」
 アインブロックの住人のもとで世話になっている事実すら知れ渡っていることに舌を巻きつつも、まあ別に隠していることでもないから普通に答えると、カーラの表情がほんの少し曇った。
「こんな風に他人を受け入れがたい地域にも、そうやって溶け込むことの出来る人はいる……本当はとてもとても、難しいことだと思うけれど。むしろ彼がアインベフではなく、他の国の人だったら、今と同じ財力でも受け入れてもらえたのかしら」
「カーラさん?」
 シイナが顔色を伺うように覗き込むと、カーラはハッとしたように明るく笑って首を振った。
「なんでもないです。アインベフへ行かれることってあるんですか?」
「あるよ。仕事でも行っていたけど、今は専らプライベートかな」
 アインブロック周辺の調査という大聖堂からの使命でこの地を訪れたシイナだったが、その調査は殆ど終えていて、派遣されていたルーンミッドガッツの人間は、その大部分が役目を終えて国に帰っているはずだ。シイナのようにこの地に居ついている人間は殆どいない。最近のシイナがアインベフに向かうのは、知り合った人間の御機嫌伺いや酒場に息抜きに行くといった用事で、である。
「もしも、もしもアインベフでクルトに会うことがありましたら、カーラからよろしくとお伝えください……元気でいますから、クルトも身体にはくれぐれも気をつけるようにと」
 伏せ目がちに、カーラはそれだけを言う。きっともっと言いたいこともあるだろうし、本当なら自分が会いに行きたいのだろうけど。そればかりはシイナもどうにもしてやることはできない。
「わかった、伝えるよ。もしも彼に会ったら」
 いつアインベフに行くとも、また彼に会うとも具体的に約束したわけではなかったが、カーラはシイナのその言葉だけで、本当に嬉しそうに微笑んだ。

 玄関付近で辺りの片付けに精を出していたカーラの母親に、シイナはお邪魔しました、と声をかけた。彼女は相変わらず勢い良く振り返ると、愛想を振りまくでもなく、本当に他人を見下すように豪快に笑った。
「ああ、お帰りかい。このカペルタ家に上がってもてなしを受けたんだ。他人に自慢してもいいからね!」
 シイナは曖昧な笑みを返す。
「……アインベフが、お嫌いだそうですね」
「カーラから聞いたのかい?」
 シイナの言葉に、母親は気を悪くするでもなく、フン、と片方の眉を吊り上げる。
「私はね、貧乏に甘んじて、そんな狭い世界から抜け出そうとしようともしないような怠け者は大嫌いなんだよ。アインベフの連中はみんなそうさ。娘に熱を上げている冴えない男だって同じ。まあ、このカペルタ家に鉱石やうちの工場の加工品材料でも献上しにでも来れば、同じ下等な人間でも、少しは格が上がるってモンだがね!」
 ガハハハハ、と彼女は笑う。
 財力がないことがイコールで怠け者に結びつくわけではないだろうに。どんなに頑張ったって報われない人間はいるし、最低限の金銭だけで慎ましやかに暮らそうとする者だっている。
 というか、つまり貢物さえあれば、この家での扱いは変わるってわけか? それがこの家での人間の価値か。単刀直入にもほどってものがあると思うのだが。
 彼女は取り付く島もない様子で、再びシイナに背中を向ける。
「……それだけの努力をする根性と行動力のある人間が多ければ、アインベフだってもっといい村になってるだろうさ……」
「……」

 気になった。

 カーラの父親がどう考えているかは知らないが、あの母親は。
 本当にお金がないという理由だけで、彼らの仲を反対しているのだろうか。いや、大筋はそうなのだろうが、彼女はクルトに、もっと違うものを求めているような気もする。理屈は極端だし、全て彼女の言うようなやりかたで上手くいくはずはないが、彼女の言う事も、まるっきり間違っているというわけではない、と思う。
 シイナは街道の真ん中で立ち尽くした。
「……」
 おせっかいだとは思う。
 そこまで自分が首を突っ込む義理はないと思う、のだけれど。
 カーラの俯いた顔と、彼女の母の背中が脳裏をよぎった。
「……ハァ」
 ため息ひとつ。
 シイナはその足で、アインベフへの汽車に乗るためのターミナルへと向かった。

 アインベフでの人探しは、造作もない。
 人口の少ない小さな村だから、数人に名前を言って回れば大抵の人間の居場所はつかめる。クルトもすぐに見つかった。今まで出会ったことはないが、シイナが良く行く酒場の比較的近所の長屋に、彼は住んでいた。
「そうですか……カーラが、僕によろしくと……」
「ええ」
 あちこち汚れて擦り切れた作業着に身と包んだクルトは、覇気のない瞳を床に向けて彷徨わせた。人は良さそうだが気の弱そうでもある彼は、確かにあの母親が好みそうな男性ではないようだ。第一印象だけで判断しろと言われるなら、もしもシイナが親だったとしても少し考えてしまう。
 人の好みはそれぞれだし、カーラが彼を好きだというのには、他に理由があるのかもしれないが。
「彼女は本当に優しい人なんです。こんな情け無い貧乏な僕のことを、そんな風に気遣ってくれる……美しくてしとやかで、優しくて……カーラ……」
 クルトは涙ぐんで目を伏せる。
 しかし、男が女を手に入れるのに、しなければならないのはそんな事ではない。
「君は、このままでいいの?」
「え?」
「カーラさんは、私には何も言わなかったけど、きっと君が来てくれるのを待っていると思うんだけど」
 クルトに無茶をして欲しくないと、優しい彼女は言った。彼女のもとを訪れたクルトが酷い目に遭うのを懸念してそう言ったのだろうが、本当は彼女だって、クルトに会いたいはずだ。
「簡単に言わないで下さい……。いえ、わかっています。僕がダメなんです。こんな村に住むこんな男では、あの家に許されるはずもないんです。カーラにだってふさわしいわけがない」
 すっかり諦めモードか。根の深いふたつの都市村の歴史を鑑みれば、無理のないことかもしれないが。身分の差に捕らわれているのは、カペルタ家だけではないのではないか。
「彼女のお母さんだけど……」
 シイナは、カーラの母親の言っていたことを、クルトにそのまま伝えてみた。
「……カペルタでは、今材料が不足しているんですか?」
 クルトは首をかしげる。
「いや、そういう話ではないと思うけど」
「材料が必要なら、少しは揃っているんですよ」
「え?」
「もちろんそんな状況を望んでいるわけではありませんが……もしもカペルタ家で、カーラの家で何かあったり困った事態になったときに使えればと……少しずつ貯めてきたので」
 クルトは言いながら、ゴソゴソと棚を漁った。
 取り出されたのは、小さな鍵だ。

 案内された保存庫で、シイナは呆然とするしかなかった。
 量が半端ではない。さほど大きくない保存庫ではあるが、そこに所狭しと積み上げられた鉱石や石炭の数々。勿論工場で扱うのはもっともっと膨大な量だが、それらは各所から集約されたものだ。個人でこれだけ集めるのに、どれだけの時間を費やすのか。
 貴重な財源であるはずのこれらを、金にも換えずにずっと置いておくなんて。
 カペルタ家の、ひいてはカーラのために。
 彼も、何の努力もしていないわけではなかったのだ。

 数時間後、シイナは大量の石炭を抱えてカペルタ家を訪れていた。

 何が悲しくて、バカでかい袋を背負ってここまで来なければならないのか甚だ謎だったが、乗りかかった船だ。おせっかいな性格が災いした。これでもまだ、クルトが集めた数のほんの一部だ。
 シイナはクルトに、これをカペルタに見せて許しを請えと、そう助言したのだ。何の努力もしていないわけではないと、カーラのためを思って続けていることがあると、それをちゃんと知らせて、認めてもらう必要がある。勿論それだけで許されるわけはないだろうが、ほんの少しでも活路を見出さなければ、その先はありえないのだ。
 しかしクルトは激しく首を横に振るだけだった。
 とてもそんな恐れ多いことを出来るわけがないと。
 彼にとってどれだけ厚い壁が存在しているのかは知らないが、求められているのは、そこを突破する勇気なのではないか。何のためにこれまで地道な努力をしてきたというのだ。
 結局シイナはクルトに頭を下げまくられ、これらを持っていくのならシイナさんが持って行ってくれと、無理やり石炭を渡されてしまった。
 それではまったく意味がない。

「バカバカしいことをしているとは思わないのかい?」

 カーラの母の第一声は、それだった。
「……バカバカしいです」
 シイナもそう答えるしかない。
 カペルタ家が今この時に資源に困っているわけではないし、こんな人の手で持ってこられる量だけを持ち帰っても、まるで無意味だ。証拠品として手で持ち帰るなら、それはシイナでは駄目なのだ。
「けれど、これが彼に出来る精一杯なのでしょう。その日食べるものにも困っているような彼が、それでも必死に資源を保存しておいたのは事実です」
 だからシイナも、自分に出来るだけのことをやった。これで許しが請えるかどうかはわからないし、自分がそれをするつもりもない。だが、事実を事実として伝えておくことはしたかった。
「確かに彼は行動力と勇気に欠けます。私の話も、結局は聞き入れてもらえなくてこの様です。ですが、だからこそ彼には打算がないんです。これらを集めて献上してご機嫌を取ろうとか、そういう事を微塵も考えていない。この家で何かあったときに役立てればと、それだけを考えて」
 全て、カーラのために。
「ハン。冴えない男だとは思っていたけど、ここまでバカだったとはね」
「……」
 腰に手を当てて仁王立ちの姿勢をとったまま、彼女はシイナを睨みつけた。
「……そのバカに、伝えな。今度はそれを、自分で持って来いとね」
「えっ……?」
「そうすれば、せいぜい家に上げてやらないこともないさ。家に上げてやるんだから、カーラとも少しは話もできるかもしれないね。だからといって、付き合うのを許すのとは別の話だがね!!」
「……」
 シイナは呆然と、彼女を見た。
「私は怠け者が嫌いだと言ったろう。ちゃんと努力をしているなら、その部分を評価するのは当たり前のことだ。誠意は見えなきゃわからないんだからね」
 相変わらず、人を見下すような視線は変わらない。けれど。
「……伝えます」
 シイナは深く、頭を下げた。
 これで許しが得られたわけではない。けれど、伝えた気持ちをちゃんと受け止めてくれる人なのだから、ここからスタートすることはできる。
 あとは、クルト次第だ。
 カーラとふたりで。
 彼が一歩を踏み出す勇気を持てたら、きっとその先に道は開けるだろう。自分に出来るのはもう彼らを見守ることだけなのだと、シイナはそう思った。




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