Prayer ACT.1 モノローグ ―洋明


   ――9月上旬

 まったく近頃の子供というのは訳が解らない。
 僕、清水洋明が警察官になってからそれなりの時間が経つが、いつの時代もこんなものなんだろうか。
 警察官の姿を見て嫌悪感を覚えるのは仕方ないにしても、それを表の面に出して欲しくないものだ。

 あいつもそうだったっけ。
 ――藤城克哉。
 人の顔を見るなり逃げ出して、捕まえてみればいきなり『税金の無駄使い』なんて悪態をついてくる。不審なところがないなら逃げなければいいのに、僕が追いかけたから逃げたんだ、などとお約束な言い訳をしつつ、本当に怪しいところはなかったりする。
 せいぜい、ポケットに避妊具を潜ませていた事くらいか。さすがに少々驚いたが、確かに若いとはいえ、そこまで突っ込む筋合いもないし、持っているだけマシというものだ。
 彼女のひとりやふたりいてもおかしくはないが、その彼女にもこんな風に突っかかったりするのだろうか。
 それともやはり、単に僕が警察官だからか。
 そのくせ、いきがっているように見えて、妙に気の弱そうな表情が見え隠れしたりする。
 変な奴だ。
 掴んだ腕は華奢で。線ももの凄く細い。
 なのに妙に突っ張ってみせるから、よけいに弱い部分がさらけ出されてしまう訳で。
 僕はそんなあいつの様子に苛ついたり、驚いたり、とめどない感情の変化に忙しかった。
 一番驚いたのは、あいつを捕まえた時に暗がりの中で、薄明りに照らし出されたあいつの顔があまりにも幼くて――端正だった事。
 正直『可愛い』とまで思ってしまった自分がおかしかった。相手はくそ生意気な――男だというのに。

 最初に思っていたよりも素直で反応のおもしろい奴だったから、会うたびにからかいたくなってしまう。怒ったり、赤くなったり。時に照れたように目を伏せたり。身長差のせいか、よく上目遣いで僕を見る。そんな仕草も目に焼き付いた。
 僕の中に、次第に戸惑いが広がりはじめる。
 藤城を見ている時に沸き上がってくる、この得体の知れない感情は何なんだろう――。


   ――9月中旬

 当たり前のように、僕たちは巡回中の道端で会話を交わす。
 どこに住んでいるのかも知らなかったし、普段何をやっているかも訊いた事がない。
 とても近しい、ただの通りすがりのように。
 他愛のない事をただ話すだけ。
 けれど、時々かかってくるらしい携帯電話。その後繁華街に向かう藤城。何か秘密を持っているのだと解っていても、僕には藤城を問いただす事ができない。ただ、彼女かなにかと会うだけなら問題は……ないのだが。
 知りたくない訳じゃなかったが、あいつが言いたくない事を、無理に訊き出したくはない。ただ、何か面倒ごとに巻き込まれていなければいいと。それだけを思った。
 藤城は『俺の事が心配で、いつもここに来るのか?』なんてしおらしい事を訊いてくる。
 心配――。
 そうじゃない。
 それ以上に、何よりも。
 単に、藤城に会いたくて、いつも同じこの場所を巡回していたんだ。
 巡回のたびに偶然会う訳じゃない。
 藤城がいつも同じ時間、同じ場所にいるのがわかっていたから……僕は、ここに来ていた。

 気付かされた事実は、あまりにも滑稽でばかばかしくて――シャレにならない。
 藤城に見つめられると、正常を保っていられなくなる。
 どうしたらいいのかわからない。
 いつもあいつは、微かに揺れる眼差しを、けれど真っ直ぐに僕に向けてくるから。
 どうして、そんな瞳で僕を見つめる?
 最初に会った頃よりも、ずっと頼りなさそうな、まるですがるものを手探りで探そうとでもしているかのような。
 あまりにも小さな手、細い腕や肩。
 手を伸ばしたら、それらが全てこの手の中に収まってしまうような錯覚にも捕らわれる。けれど、開かれようとしている心の扉がある事は、錯覚ではないと……思いたかった。
 その奥に何が潜んでいるのか、解りかけてきた時――僕の逃げ場は完全に失われてしまった。

 初めて口接けた時。初めて抱きしめた時。
 あいつは、抱えているものの重さに耐えられなくなって泣いた。
 僕の手から、すり抜けて、決して捕らわれようとしないあいつの事を。
 僕は、本当に心の底から愛おしいと、思うようになっていた――。


   ――9月下旬

 藤城が金で男に買われていると知った時。
 驚愕や怒りや嫉妬心がごちゃ混ぜになって、自分でも何がどうしたのか、さっぱり解らなかった。
 あいつのポケットの中の避妊具。その答えがここにあった。
 いつも同じ場所に佇んでいた藤城。
 それは、客からの連絡をそこで待っていた訳で。
 ほんの少しでも、僕の事を待っていたんじゃないだろうかと期待していた自分が、あまりにも惨めでばかばかしくなった。
 あいつが、知らない男に抱かれるという事実に衝撃を受けると共に、僕の事も、そういう男たちと同じ目で見ていたのだろうかと。
 ――『どうしてもっと、軽蔑しないんだよ!!』
 泣いていたあいつの顔。
 思い出しただけで、胸が締め付けられるように、痛い。
 絶望感と共に沸き上がる、押さえようのない想い。
 もう……手遅れだ。
 藤城がどんな事をしていようと、抱えているものがどんなものでも。
 あいつは僕にとって、大きすぎる、何よりもかけがえのない存在になってしまっていた。
 藤城が必死に隠していた事実が痛くて、あいつから逃げ出したのに、考えるのはあいつの事ばかり。
 会いたくて、会いたくて――。

 初めてあいつを捕まえた時のように。
 追いかけて、追いかけて。
 違うだろう?
 お前は僕のこと、他の男たちと、同じようになんて見ていないだろう?
 やっと、この腕の中におさまった身体で思い出す。
 初めてあいつを捕まえた時と同じ。
 まるで、こうなることが運命であったかのように。
 ――おまえになら何をされてもいいと思った、と。あいつは言った。初めて……好きになった人、と。
 腕の中で震えるあいつが、可愛くて、愛おしくて。
 本当に何をしても、怒りもせず懸命に耐えるあいつを、ただ無茶苦茶に愛した。
 全身で僕を求める藤城を、僕の方こそ、激情と共に求めた。
 何度も何度もキスをして。
 悲しみとは別の涙を流すあいつの全てを自分の物にするかのように。
 自分が警官だという事も、藤城が男であるという事実も、全てがどうでも良くなってしまうくらい。
 僕は、この少年に、全てを奪われていた。

 嘘をついていたのだと、あいつは言う。
 家族と一緒に暮らしていると言ったのは嘘で、家を出て独りで暮らしているのだと。
 一日中バイトして、やっと暮らしていた時に……中年の男に声をかけられたのだ、と。
 最低だ、と、泣く藤城があまりにも痛々しくて。
 あいつのいう通り、普通に働いているだけでも、何とか暮らしてはいけるだろう。実際僕だって、あかの他人がそういう理由で援交していると聞いたら、ばかばかしいと思っていたと思う。
 藤城から出た言葉だったからこそ、思い至った事もある。
 誰だって、大変な生活の中で何か楽な方法があったとしたら、それに身を委ねてしまうのは、当然の事だ。誰も、ぎりぎりまで頑張ったまま生きていく事はできない。
 現に僕だって『息抜きもしなきゃやってられない』と藤城に愚痴った事があるじゃないか。
 ましてや、こんなに華奢な身体で。
 どれだけの時間を、独りきりで過ごしてきたのだろう。
 たとえば、ずっと涙をこらえながら?

 もう、何もかもがどうでも良かった。
 ただ、藤城の中の不安やいやな事をすべて取り除いて、辛い事なんて、何一つ無くしてやりたかった。
 藤城を抱いた時に感じた激情も、こんなに優しい気持ちも。すべて、僕にとって初めてのものだった。
 それらを与えてくれた藤城に、僕が与えてあげられるもの。
 あいつにしてやれる事の全てを。
 これから長い時間をかけて、考えて、必ず幸せにしようと。

 ――藤城。
 これが……愛しているという事。

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