ボクらのロングバケーション

ACT.4 帰郷



 ウインターズの冬は長い。
 というよりは、夏が極端に短い。根雪がほとんど溶けないままに、また次の冬が来てしまうくらいだ。
 ジェフが暮らしていたスノーウッド寄宿舎の周りは、なだらかな丘陵地帯だった。そこを下って、あの時ジェフはタッシーのいるタス湖まで歩いて来たのだった。あの頃のジェフにしてみれば、それは一大決心だったようにも思う。
 すべてを捨てて、ネス達との冒険を選んだのだ。
 もっとも、あの時ジェフひとりでも欠けていたら世界は救われなかったのだから、ある意味、他に選択肢はなかった。しかし、行動を起こしたのは、紛れもないジェフ自身の意志だ。
 これで良かったと、ジェフは繰り返し思う。
 繰り返し繰り返し、まるで、自分に言い聞かせるように――。


 水色の空に立ち昇る、一筋の白煙。
 そこから少し離れたところで、ネスとジェフはその白煙のもとを振り返り、ため息をついた。
「ジェフの飛行機って、墜落しないでは下降できないよね……」
 二度目の急降下に雄叫びを上げた後、湖のほとりで白煙を吐き続ける飛行機を放置して、二人は寄宿舎へと向かって歩いていた。冗談抜きに丈夫というか、これくらいでなければ世界は救えないというか。
 そういえば、初めてジェフと会った時も、彼は今と同じような、スカイウォーカーとかいう丸い飛行物体で墜落してきたのだった。その時壁に大穴を開けてくれたおかげで、ネスとポーラは閉じ込められた地下室から脱出できたのだが。
「まあいいじゃないか、二人とも無事だったんだから。それよりもほら、綺麗だろう?」
 はぐらかすように、ジェフが周りを指し示す。しかし言われてあたりを見回せば、針葉樹の林立するその景色は、オネットやスリークでは見る事のできない美しさをネスに見せ付けていた。
「凄い。本当に、北の果てって感じだな……」
 以前ネス達がウインターズに訪れた時は、ここまでは来なかった。
 樹々の根元には、幾年も数えたような凍った雪が、転々と残っている。それでも懸命に顔を出す緑の草が、今が夏なのだと教えてくれる。
 ここが、ジェフの暮らしていた場所。
 ネスは、小さな感動と共に、その景色を瞳に焼き付けた。
「もうすぐ見えてくるはずだ」
 ジェフが指差す方向に視線を向けると、樹々の合間を縫って大きな門が微かに見えた。近付くにつれ、それが広大な土地に建てられた立派な建物を守る塀と一体になっている様子が見て取れるようになる。
 エンジ色のレンガで造られた塀と建物。名門の学園の寄宿舎であるという事がひと目で分かるそれに、ネスは感嘆のため息をついた。
「……凄いや」
 しばらく門の外から、大きな建物を眺める。しかしジェフは、微動だにしないまま門に手を掛けられないでいた。ただ呆然と、その空間を見つめる。
 ネスは、そんなジェフの躊躇いを、無言のまま見守っていた。
「……どなたです?」
 小さな女性の声が、側方から聞こえた。
 ぴくんと、微かに身体を震わせたジェフが視線を向けると、そこにはひとりの老女が立っていた。穏やかな表情の顔にはいくつも皺が刻まれているが、美しい姿勢で立つその人は、優しそうではあるが、威厳に満ち溢れていた。
「ローザ……教……授」
 ジェフの、戸惑ったような小さな呟き。
「あなたは……ジェフ?」
 ジェフの呟きが聞こえたかどうかはわからないが、ローザ教授と呼ばれたその女性は、まじまじとジェフを見つめると、確認するように目を細めた。
「ジェフなのね?」
「教授! ……ご無沙汰してしまいました。勝手にここを飛び出してしまって申し訳ありません。ちゃんと、ご挨拶をしたくて……」
 黒塗りの大きな門を挟んで、ローザ教授は静かにジェフを見つめる。
「ここに、戻ってきたのですか?」
 ジェフの瞳が大きく揺れた。
「ここには……もう僕の居場所など、ないでしょう」
 ローザ教授は、ゆっくりと首を振った。ジェフに向ける慈しむような視線が、ジェフの心に突き刺さる。
「ここは、己の知識技術、すべてにおける能力を高めるための学園です。ここを学び舎とするかどうかを決めるのは、あなた自身ですよ」
 そう言うと、ローザ教授は大きな門をゆっくりと開いた。
「ここを出て行かなければならなかったあなたの事は、私を含めた、学園中の人間が知っています。あの時――私たちも、あなた方のために祈りを捧げたのですから」
 ローザ教授は、そう言って初めてネスの方を見た。
「あなたが、ネスですね」
 慌てて「はじめまして」とぎこちない挨拶をするネスを、ローザ教授は優しく見つめた。
「トニーは、今でもあなた方の話ばかりするのですよ」
 ローザ教授は、二人を門の中に招き入れた。生徒達に会って行くといいと、寄宿舎を指差す。
 この学園は、高等部まで持ち上がりになっている。ジェフの昔の馴染みも、まだほとんどがここで勉学と研究に励んでいるはずだ。だからこそ、ジェフは戸惑っていたのだが。
 ゆっくりと歩き出すジェフをいち早く発見したのか、寄宿舎の中からトニーがものすごい勢いで駆け出してきた。
「ジェフ、ジェフ―――!! 本当の本当にジェフなんだね!? 会いたかったよ――――ッ!!」
 叫びながら、がっちりとジェフに抱き付く。その顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「ジェフってば、全然連絡もくれないで! 僕、凄く、すっごく寂しかったんだからーー!」
 タコのように絡んで離れないトニーを、ジェフは苦笑いでなだめた。
「これトニー。こんな処で押さえつけないで、寄宿舎に戻ってからでも、お話はできるでしょう?」
 ローザ教授の言葉にハッとなると、トニーは「そうだね」と涙に濡れた笑顔でジェフの腕を引っ張った。そして今気付いたかのような視線をネスに向けると、盛大にあっかんべーをしてみせる。
 気持ち良い位のあからさまな態度に、ネスはただ肩をすくめてその後をついて行った。


 寄宿舎の入口を入ってすぐの、生徒の溜まり場とも言える大広間は、突然のジェフの帰還に盛り上がった。
 学園一成績の優秀だったジェフが学園を飛び出してからというもの、彼らは寄ると触るとジェフの事を噂していたのだ。
 皆に囲まれるジェフを眺めて壁際に座りこむネスの傍に、ひとりの生徒が寄ってきた。隣にちょこんと腰掛ける。
「ジェフってさ、ここでは、凄い人気者だったんだよ。ちょっと近寄り難い雰囲気もあってさ、いつもひとりで研究に没頭するジェフを、僕らは遠巻きに眺めてるだけだったけど。でも何だかジェフ、変わったよね」
 嬉しそうに、彼は言う。
 ここは、由緒正しき男子校だ。ジェフに懸想しているのはトニーだけではないらしいその事実に、ネスはただ苦笑するしかなかった。
「ジェフは、戻ってきてくれたのかな?」
 彼の言葉は期待に満ちている。
 ネスは、ただジェフの方を見つめるだけだった。
「ジェフ、これ」
 生徒のひとりが、大きな図面を広げる。
「これは……」
「あの頃、ジェフが研究してた発明品の設計図。未完成のままジェフがいなくなっちゃったから、僕ら、力を合わせてこの開発の続きをやったんだ」
 ジェフが、まじまじとそれを眺める。
「完成したんだね?」
 嬉しそうに頷く友人を見て、ジェフは満足そうに微笑んだ。
「ねえ、ジェフ……」
 小さな声で、トニーが割って入った。そのまま人だかりをかき分けて、部屋の隅の方までジェフを連れて行く。
「ジェフ、戻ってきてくれるんでしょ? 僕、ずっと待ってたんだよ。ジェフは気付いてなかったかもしれないけど、僕、僕……」
 ジェフのシャツの袖をギュウッと掴むトニーの手に、ジェフは自分の手を重ねた。
「うん。本当は知ってたよ……ごめん。僕もトニーの事、大好きだよ」
 何とも言えない表情で笑顔を作るジェフに、トニーは真っ赤になってふるふると首を振った。
「謝らなくていい! ……知ってたんだね……そりゃそうだよね……」
 トニーは、久しぶりの友人の前で緩くなってしまう涙腺に苛つくように、ごしごしと顔を擦って無理矢理に笑ってみせた。


 生徒と何事か話していたネスの隣に来たジェフは、ネスと同じようにストンと床に腰掛けた。
 ふう、と、小さく息をつく。
「来られて良かったよ」
 ジェフは、がやがやと賑やかな生徒達を、慈しむように眺める。そんなジェフを、ネスは見つめた。
「ここに、帰りたいと思った?」
 ネスの言葉に、ジェフは驚いて、隣のネスを見た。
「ボクさ、ずっと思ってたんだよ。ジェフ、この学園を飛び出して後悔してないのかなって。だから……ここに来てみて、もしもジェフが戻りたいと思うならって……」
 ネスが最後までいうのを待たずに、ジェフはネスの腕を取ると、自分の腕をきつく絡めた。
「正直、ちょっと参ってたよ。一度ここに来て、ちゃんと結論を出さなきゃいけないって、いつも思ってた。でも、戻りたいと思ってしまうのか、戻りたくないと思ってしまうのか……」
 どちらの可能性を考える時も、ポジティヴになれない自分がいた。けれど、今回ネスと一緒にここまで来る過程で、それが少しずつ解きほぐされて行くのがわかった。
 そして、ここを訪れてみて、はっきりとわかった。
「やっぱり、ここには僕の居場所はないよ」
「ジェフ……」
「本当は、結論はとっくに出てた。ただ、理由が欲しかった。言ったろ? 来てよかったって。こんなに理想的な形で、締め出しを食らうなんてね」
 心底嬉しそうに、ジェフは言った。
 ここにいる皆は、それぞれが力を合わせて一生懸命に生きている。ジェフがやりかけていた研究も、その合わせた力で終わらせてしまっていた。なんて、活力に満ちた友人達だろう。
「ネスと一緒に、ここに来られて良かった」
 今なら、心から思える。自分は、間違っていなかった。けれど、もしもひとりでここを訪れていたとしたら、ジェフは未だに迷っていたかもしれない。『ネスと一緒にいるといい』というプーの言葉が、実感となってジェフの心に降り積もる。
 どんなに苦しくても、辛くても、それをプラスの方向に取り込んで乗り越えてきたネス。彼は、その力を惜しむ事なくジェフにも分け与えてくれた。いつもそうやって彼が笑っていてくれたから、闘っていても彼の傍にいるだけで安心できた。
 そして今も。
 ネスはジェフに「一度学園に戻った方がいい」とは言わなかった。自分の中に迷いがある事を見抜きながら、至って軽いノリで、ここまでついてきてくれた。
 そんなネスだから――。
 ネスの腕を硬く握り締めるジェフの前に、ローザ教授が歩み寄ってきた。
「ジェフ。ここで学ぶ事が全てではありません。本当の意味での勉強は、外に出た時から始まります。……あなたはそれに、気付いていたのですね」
「……はい」
 ローザ教授は、温かな笑顔をジェフへと向けた。
「あなたは昔から飲み込みが早かったわね。そうやって、常に皆の前を、目標となって歩いて行くのね……」
 教授が差し出した手をそっと取ると、ジェフはネスの腕を掴んだまま立ち上がった。
「行こう」
 小さな声で、しかしはっきりと言ったジェフに、トニーが駆け寄ってきた。
「ジェフ! どうしてさ……もう、会えないの? どうして? 彼の方がいいの? 僕よりも!?」
 外への扉の前に立ったジェフは、その扉を大きく開け放つと、そっと微笑んだ。
「宿題にしておくよ、トニー。湖に、僕たちが乗ってきた飛行機がある。それを、皆で力を合わせて修理してごらん。それに乗ってスリークまで訪ねてきたら、その時に答えをあげるよ」
 元気で、とひとこと言い置いて、ジェフは外に出た。
「そういう訳だからネス、テレポートを頼むよ……久しぶりに」
「いいけどさ……あんな事言っちゃって良かったの?」
「悪いけど、あの飛行機、そう簡単には直せないよ。科学の権威アンドーナツ博士と、その息子の作品だからね。大学院レベルでも難しいだろうね」
 笑顔でさらりと、凄い事を言う。
 あれを直せる頃にはトニーも気付くはずだ。どうしてジェフがネスの事を大切に思うのか。
 お互いを高め合える仲間と、それによって手に入れられる新しい世界。
 トニーも、きっと見つけるだろう。
 門の前まで来たところで、先を歩いていたジェフはネスを振り返った。その後方には、かつて学び、生活した寄宿舎の建物が見える。
 確かに、自分はここにいた。
 それは今も変わらない事実として存在し、確実に後へと引き継がれて行く。ここでやらなければならない事は、もう何もない。その事が寂しくもあったけれど、本当は、とうにそんなことは分かっていたはずだ。
 もうなんて、遠い存在――。
 ここは、キラキラと輝く、過去の場所。
 ジェフは、ネスの両手を取り、強く握った。
「いいよ」
 ジェフのその言葉を合図に、二人の身体はその場から一瞬にして掻き消え、後には何一つ残されていなかった。


 扉の前に立つトニーは、クシャリと顔を歪ませた。
「ジェフのばか! ……わかってたよ。僕の好きと、ジェフの好きは違うって……だけど」
 ぽろぽろと涙を流すトニーの頭に、友人のひとりがポンと手を置く。
「まったく正直な奴だな、お前は。泣くなよ、お前だけじゃないさ。……でもさ、前のジェフより、今のジェフの方が絶対かっこいいと、僕は思うよ」
「わかってる……」
 止まらない涙にきつく瞼を閉じたまま、トニーは、絶対にいつか、ジェフの言った飛行機を直してそれでジェフに会いに行ってやると、心の中でかたく決心していた。


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