きっと恋してる 1

   
 曇る窓の外に、白い雪がちらつきはじめた。
「あ……」
 窓辺に腰掛けてぼんやりと外を眺めていたナッツは、それを見て小さな声を上げた。
「ティム、雪だよ」
 部屋の奥でぶ厚い本を広げているティムに声をかける。ティムはひょいと顔を上げると「そうか」とだけ言った。もともと、口数の多い男でもない。何かに没頭している時などは、なおさら他の事がおざなりになる。ナッツもそれを心得ているから、それ以上の反応は求めなかった。再び窓の外に視線を向ける。
「もうすぐ、雪祭りだな……」
 ふと思い出し、小さな声で呟く。
 故郷の――白く煌く、雪祭り。
「……一度、帰るか?」
 突然の問いかけにナッツが驚いて振り返ると、ティムがすぐ後ろまで来ていた。先刻まで本を読んでいたと思ったのに。
「街を出て一年近くになるからな。そろそろ懐かしくなってきてるんじゃないのか。今からなら、雪祭りにも間に合う」
「……」
 聞かせるための呟きではなかったから、ナッツは少しだけ頬を染めた。
 ティムの言った事は、間違いではない。あまり口には出さなかったけれど、最近少しだけ故郷の街の事が気になり出していたのだ。だけど、ホームシックだなんて、ちょっと恥ずかしい。
 それに、お気軽に「帰る」とは言えない理由が、ナッツにはあった。

 表向き、ナッツとティムは『古代の科学の探求』と称して一緒に旅を続けている。青年と少女の組み合わせで旅をしているから、傍から見れば恋人同士のようにも見えるかもしれない。というか、まるっきりそういう風に見られているだろう。
 しかし、ナッツは本来『男』なのだ。
 一年近くも前の話になるが、故郷の学校を卒業する間際、ナッツはとある突発的な出来事のせいで女性の身体になってしまっていた。
 あの時、学校の近所に突然現われた得体の知れない湖を見に行った時に、『女神』とかいう古代の壊れたプログラムらしきものに女の姿に変えられてしまったのだ。その『女神』はすぐに姿を消してしまったから、ナッツは男に戻れないままで日々を過ごさなければならなくなってしまった。
 ひたすら落ち込む日々が続いたが、いつも一緒にいた学友のひとりであるティムが、ナッツを男に戻すための方法を探す事を申し出てくれた。
 この旅は、ナッツを男に戻す手がかりを探すための旅なのだ。
 それでも当初、周りの皆はナッツの事を気にかけてくれていたが、やはり周囲の視線が痛くて、逃げるように街を飛び出してきてしまった。
 だから、今のナッツは素直に「帰りたい」と言えないのだ。
「多分、皆も会いたがっているだろう」
「……う、ん……」
 微かに覗かせるナッツのジレンマに、ティムはため息をついた。
「すまん。……長い間旅をしていても、手がかりのひとつも掴めないとはな……」
 ナッツは、驚いてティムを見た。
「ちがう! ティムは悪くない。ティムはいつも一生懸命……」
 ナッツの事なのに、ティムはいつも寝る間も惜しむ勢いで探求を続けてくれている。どんなに感謝しても、足りないくらいだ。
 ナッツは、再び窓の外を見た。
「うん……やっぱり、会いたいかな。みんなに」
 素直になってそう呟くと、ティムは黙って頷いた。


 本当に久しぶりに、ナッツとティムは故郷の土を踏んだ。
「なっつかしいなあ」
 嬉しそうに、ナッツが呟く。けれど、身体はティムの後ろからこっそりと覗かせている感じだ。
「何も遠慮する事はない。みんな、ナッツの身体の事を気にするような奴等じゃないだろう?」
「うん……」
 しかし、街を出てからはナッツはほとんど仲間と連絡を取っていない。ティムの方もそういう事には不精だから、ナッツと一緒だろう。一年近くも音信不通にして、自分の状況が何も変わっていないと知ったら……。
 仲間達は、笑うのだろうか。それとも、哀しんでしまうのだろうか。
 どちらも、ちょっといやだ。

 ここは二人にとって故郷になる訳だが、旅の途中に立ち寄っただけだから、宿を取って宿泊する事にした。少しだけ滞在したら、すぐにまた旅立つつもりだ。
「これからどうする? ナッツ。外に出たくないのならそれで構わないが……」
 ティムはいつも、さりげなくナッツに気を使ってくれる。
 何時もクールだとか、人の事などどうでもいいと考えているだとか思われがちだが、ティムは小さな心遣いを他人の目にひけらかそうとしないだけなのだ。長い付き合いで、ナッツはその事を良く知っていた。女の身体になったせいなのか、一緒に旅を始めてからは、そういう事を以前よりも敏感に感じるようになっていた。
「うーん……」
 このまま宿にいても構わないが、街に戻ったらやってみたい事もあった。
「あのさ……ティムが嫌じゃなければ、これから喫茶店に行ってみない?」
「喫茶店?」
「ほら、良くティムが行ってた、お茶の美味しいあそこ」
「ああ……」
 ティムが「構わない」と言ったから、ナッツは喜び勇んでティムの手を取って喫茶店に向かった。
「おねえさん! 紅茶と、ウルトラスペシャルご〜じゃすチョコバナナジャンボパフェふたつ!」
 この店のメニューは、相変わらずグレードが高い。久しぶりのナッツの姿にひとしきり喜びの挨拶を交わしていたウエイトレスの少女が、笑顔でオーダーを受け取って奥へと消えた。
「そんなに食べるのか……」
 パフェふたつという注文に、さすがのティムも唖然としてしまう。
「ちがうよー」
 ナッツは運ばれてきたスペシャルにご〜じゃすなパフェにスプーンを突き刺すと、クリームをざっくりと掬い取りティムの口許に差し出した。
「ほい。あーん」
 にーっこりと満面の笑みを見せるナッツに、ティムはなるほどといった面持ちであー、と口を開けてみせた。そこに、チョコたっぷりのクリームが放り込まれる。
「ね、おいしい?」
「……ん」
 ティムの答えに、ナッツがまたにっこりと笑う。
「何やってんだ……おまえら……」
 二人の座るテーブルの横で、脱力のあまりがっくりと膝をついたのは、通りすがりの元学友リュークだった。ハーフキャット族ご自慢の猫耳が(本人は猫じゃないと言い張っているが)うなだれている。
「あ、リューク、久しぶりー!」
 ナッツの元気な顔に、リュークはガバリと立ち上がった。
「久しぶりー、じゃねーだろ! 帰って来たんなら顔くらい出せよ!!」
 リュークはナッツの頭をぐりぐりと掻きまわす。ナッツは嬉しそうに「ごめんごめん」と笑っているが、ティムの方は心底嫌そうに顔をそらしてしまう。
 ティムとリュークは、昔から犬猿の仲というか、どうにも馬が合わないのだ。顔を合わせれば口喧嘩ばかりしている。もっとも、傍から見れば、それを楽しんでいるようにしか見えなかったが。
 リュークは、斜に構えた格好で斜めにティムを見下ろした。
「しっかしなあ……ふぅ〜ん」
「なんだ」
 にやにやとするリュークに対し、思い切り顔をしかめるティム。
「女嫌いで通ってるお前が、女版ナッツにあわせてパフェなんざぱくついてやってるとは驚きだぜ。ずいぶん進歩したじゃねーか」
 ティムには返す言葉がない。ナッツの方も、口出しできずに苦笑するばかりだ。
 本当のところ、別にティムはナッツにあわせてパフェを食べていた訳ではない。むしろ、ナッツよりもティムの方が甘いものが好きなのだ。それはもう、強烈に。
 だがティムは、以前からそれを周囲にひた隠しにしている。知っているのはナッツくらいのものだろう。
 だから、ナッツは今日ティムを喫茶店に誘ったのだ。
 ナッツも男にしては甘いものが好きな方だったが、さすがに男二人でケーキやパフェを公衆の面前で食べるのは、抵抗がある。しかし、ナッツが女である今ならそれほど違和感なくそれらを口にできるからだ。
「ところで、どうしたんだよナッツ。急に帰ってきたりしてさ」
「うん。ちょっと寄ってみただけなんだけどさ。みんなにも会いたかったし、やっぱり雪祭り、見たいかなって」
「そっか! 雪祭りか!!」
 リュークは、ポンと景気よく手を叩いた。
「じゃあナッツ、また一緒にいこーぜ! な!」
「本当か? 行く行く!」
 無邪気に喜ぶナッツ。それを黙って見ていたティムは、リュークに向かって言った。
「みんなを誘っておけ。……それから」
「わかってるって。みんな、おまえらの仲間だぜ。何も心配する事なんかねーよ」
 ティムはみんながナッツに会った時の反応を心配していたのだが、リュークは笑顔でそれを一蹴した。本当に、こういう時は妙に息の合う二人だ。

 みんなに報告してくるからな、と元気良くその場を去るリューク。
 それを見送った二人は、再びパフェに取り掛かった。せっかくウルトラジャンボなパフェだ。全部食べてしまわなければ勿体無い。
 それにしても、とティムは思う。
 女である今を利用してナッツはこんな事をしているが、もともとナッツはこういう事が違和感なくできる人間だと思う。ナッツは嫌がるだろうから言わないが、男である時からナッツはどこか女性的なところがあった。
 ティムに甘えるような仕草もはしゃぐ顔も、何も今に始まった事ではない。顔だってどちらかといえば可愛らしい方であったし。
 女になる前は、実はナッツの方がほんの少しティムより身長が高かった。年齢はナッツの方がひとつ上だったからなのかもしれないが。だから、かろうじて男であるという事を認識できた訳だが、女になってしまった時に小さくなってしまった身長も、折れるほどに細くなった肩も、こうなってみればナッツにとても良く似合う。
 もっとも、ナッツの中に眠っている潜在意識は、実は女性なのである。それはティムだけが知っている。学生時代にティムの自作の機械の実験をした時に発覚したのだが(ちなみに、リュークは本当に猫だった)、ナッツ自身は実験中の事を憶えていないので、その事を知らない。
 だから、ナッツに女性の姿がしっくり来るのも仕方のない事なのだが、元学友のティムとしては、何だか複雑な気分にもなってしまうのだ。
「リューク、元気そうだったな」
 もしゃもしゃとパフェを口に運びながら、心底嬉しそうにナッツが言う。
「……良かったな」
 笑顔のナッツに色々な意味を込めて、ティムは言った。それを読み取ったのかどうかは知らないが、ナッツは更に嬉しそうに「うん」と頷いてみせた。

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