UP20051204

          鋼鉄の都市 ――5 ララクセルズ

 


 次の日の朝早く、シイナはまだ眠っているシドクスをそのままにホテルを出た。
 広場に差し掛かったところで、意外な人物を目にして立ち止まる。
「シイナ!」
 ヒョイと片手を上げて、その人物は歩み寄ってきた。
「ララクセルズ?」
 どうしてここに、と質す前に、ララクセルズは笑顔で口を開いた。
「今日は非番なんだよ。シイナが良ければ、いいトコに連れてってやるけど」
 昨日の今日で、なんとマメな男か。たまたまちょっと話をした旅人のために、非番の日に朝っぱらから出かけてくるとは。昨日の侘びのつもりか、はたまたこれで結構シイナのことを気にいったのか。
「いいトコ?」
 街全体を見下ろせる展望台があるんだよ、と、ララクセルズは言った。
「展望台……」
 好都合かもしれない。
 この街に鉱石が運び込まれたといっても、それがどこにあるのか皆目見当もつかなかったところだ。まずはじめにしなければならないことは、どこに何があるのかを正確に把握することだ。
「じゃあお願いするよ」
 シイナが言うと、ララクセルズはよし、と早速歩き始めた。いちいち細かいことを考えないでさっさと行動を始める性格は、シイナと似ているかもしれない。

 展望台の受付に着くと、ララクセルズはシイナを振り返った。
「リンゴつきとそうでないの、どっちがいい?」
「は?」
 素っ頓狂な声をあげるシイナに、ララクセルズはおかしそうに笑顔を見せた。
「高見の見物といえば、リンゴだろ。リンゴ付きなら見物料は20ゼニー、そうでないなら10ゼニーだ。どっちでもオレの奢りだけどな」
「じゃあリンゴつきで」
 調子いいな、とララクセルズは笑う。この地に来てから奢られてばかりのシイナだが、まあ20ゼニーならいいだろうと、お言葉に甘えることにする。

「はあ、これは確かに街中見渡せるな」
 シイナは素直に感嘆のため息をついた。煙で視界は良くないが、展望台から見渡す景色は、地上で見るそれよりも遥かにハッキリと見通すことができた。
 そして受け取ったリンゴを袖でゴシゴシと擦ると、シャリ、と一口かじりつく。
「うわ、ホントに食ったよ」
 驚くララクセルズの言葉に、シイナは顔をしかめる。
「せっかくもらったモン、食わなくてどうするんだよ」
 展望台ではリンゴだと言ったのは、ララクセルズではなかったか。
「いやそうなんだけどな、えーと、ナイフとか取り出して皮でも剥きはじめるんじゃないかって思い込んでたから」
 どうも何か、誤解があるようだ。
「君が思うほど、私はいいお育ちじゃないよ。大体モンスターの討伐中だったら、その辺に生えてるものだって適当に食べるぞ」
「……意外」
「子供の頃から大聖堂でまかないはやらされたから、そういう事も多少はできるがね。面倒だしあまり得意でもないし、素材は丸ままが一番楽だ」
 展望台の柵に手を付くシイナを、ララクセルズが見つめた。
「子供の頃って、シイナ、両親とは別々に?」
 素直な疑問だ。シイナはララクセルズの方へと向き直った。
「両親はいないなぁ。私は大聖堂の裏の墓地で生まれたからね」
「は!?」
「いや冗談。でもまあ、墓地に落ちてたらしいよ。もちろん私は憶えてないが」
 落ちてたって、そんなあっさりと。
 まずい事を訊いたかなとでも言いたげなララクセルズの微妙な表情に、シイナは苦笑した。
「神妙になるなよ。大聖堂では珍しくないさ。あそこで聖職者なんてやってるのは、そういう身寄りのないのが多いしね。もちろんそうでないのもいるけど」
「あんたの国って……」
「首都ならではさ。人が集まるだけに、そういう事も多いよ。それにプロンテラ大聖堂に置いていけば、確実に拾われるのがわかってるからね。生活苦に悩む人間は多いから、それも自然なことだ」
 家族は多いよ、とシイナは笑ってみせた。
 血の繋がった家族がいないなんてことは、まるで問題にもならない。生まれたときから大勢の家族に囲まれて、そんな家族の記憶しか、シイナにはないのだ。
「プロンテラでそれを気にする人間は誰もいないよ。私にしたって、大聖堂の人間たちは優しいやら厳しいやらで、それだけでおなか一杯胸一杯。幸せなもんさ」
 その言葉に、嘘はひとつもない。あっけらかんと笑うシイナの言葉に、ララクセルズは呆れたようにため息をついた。
「アンタみたいな聖職者ってのは、みんな上流階級かと思ってたよ」
「そんな事ないない。私なんか、大聖堂から派遣されてるってのに、ここに来るのにも全額自費で、持ち金すっからかんだよ」
 それでも今日生きていくくらいの金はすぐに稼げるのが、冒険者と名の付く人種のいいところだ。まあそれも、ある程度生きる要領を得ている人間の話だが。
「金はないが、旅はできるよ。いつも行ってる修道院跡地なんて、ゾンビの巣窟で凄いよ。今日の礼に、今度連れてってやろうか」
「遠慮するよ……」
 渋い顔を見せるララクセルズに対して、声を立てて笑うシイナ。もちろん本当に連れて行く気など、さらさらない。モンスターが大挙して押しかけてくる修道院跡地に行くなんて、彼に死ねとでも言っているようなものだ。
「修道院にはね。死んでも死に切れなかった者が、沢山集まってくる。あそこにいるモンスターは、ほとんどが不死者ばかりなんだよ。で、不死者ってのは聖なる属性に弱いから、それを持つ私たちプリーストは、そういう場所でなら単身乗り込んでモンスターを討伐することもできる」
「へえ……」
 ララクセルズから見ても、シイナのような聖職者は戦う力に恵まれていないように見えるから、それは意外な事実だったらしい。心底感心しきった顔をしている。
「他の観光客みたいに、他の誰かと一緒に出かけたりはしないのか?」
 ララクセルズがいつも見る観光客たちは、何人かの団体で行動している人間が多かったように思う。どこかにモンスターの討伐に出るという時は尚更だった。
 けれどいつも行く修道院に、単身乗り込むということは、つまりシイナはいつもひとりで行動しているのだろうかと、ララクセルズは解釈したらしい。そしてその解釈は、まあ正しい。
「たまにはそういうのもあるけどね。そういう場合は当然、純然たる攻撃職の人間をフォロー支援する方にまわる。これで案外支援者ってのは、討伐パーティには欠かせない存在だったりもするんだ。だからまあ、普通は力のない聖職者はそうやって誰かと戦うものなんだがね」
 そうやって誰かと、戦うものなんだが、ね。
 シイナは自嘲気味に肩をすくめた。
 聖職者とは、戦う者たちを支援するためにいるようなものだ。不死者が聖職に弱いから単身闘うことが出来るが、本来聖職者は、そんな事のためにいるのではない。
「修道院に執着しつづける不死者はさ。一体何を求めてあそこにいるんだろうと、そういう風に思ったりするんだよ」
 歴史の中に埋もれようとしている、滅びの古城、グラストヘイム。そこに生きて生活する者はなく、薄闇に包まれた城壁の内側には、生あるものを阻むように、無数のモンスターたちがひしめきあっている。
 その古城跡のほぼ中央に、修道院跡はある。
 廃墟となった修道院の闇の中で、彼らは何を祈るのか。どうしてそこに、集まるのか。死してなおこの世にしがみついていなければならない何かを抱えて。
 それは怨念か、この世に対する未練か、それとも他の何かか。
 そんな彼らを、シイナは倒すことで浄化してきた。これまでそれこそ、何千体という数の不死者たちを。
 浄化――いや、はたして本当にそうだろうか。
 シイナがこれまで倒してきた彼らの魂は、どこに、何に向かって旅発つのか。そこには何があるだろう。何も無いかも、しれない。
「死者を眠らせることも、生きている仲間を護ることと同じくらい、大切な事だと自分を納得させてここまで来たよ。けどそんな大義名分を抱えてさ。要は、この世に留まり続けようとする彼らを手当たり次第消滅させてるだけの話だよね。そんな自己満足な討伐に、誰かを連れて行ってはいけないような、そんな気がしてたんじゃないかと思う」
 ララクセルズは、首をかしげた。
「なにがいけないんだ? それって凄いことじゃないのか?」
「うーんまあ、自分の闘いに自分なりに誇りを持ってはいるね。けどまあ、結局キレイ事ではないな。彼らを倒すことで、彼らの存在を自分の強さへと変換して。彼らを倒せば倒すだけ、当然経験も増えて強くなっていくからさ。だから、自分の強さのためだけに乱暴に狩りまくる連中も確かにいる。そして多分、そう言う私も大差ない。――うん。君が最初に言ったような、奇麗な衣装なんかではないんだ、これは。これまで倒してきた彼らの恨みも呪いも憤りも、咆哮も流れる血も。それこそ何もかもをあまさず染み込ませてきた」
「ちょっと、ちょっと待てよ」
 ララクセルズは、言い募るシイナを遮るように身を乗り出した。
「なんでそんな風に言うんだよ。オレが、昨日あんな事言ったから……」
 シイナは慌てて首を振る。ララクセルズを困らせたかったわけじゃない。
「違うよ、違う。ごめん、愚痴みたいな言い方したな。別に後悔してるわけでも、この日常がイヤなわけでもないよ。実際むしろ楽しんでるくらいなのが、まあ君のカンには障るかもしれないけど」
「う……それは、アレだよ……」
「いや、いいんだ。単に、あらためて因果な商売だなあ、と思っただけでさ」
 こんな事をベラベラとしゃべるつもりではなかった。これまでにだって誰にも話したことなどないし、普段いちいちこんな風に理屈を考えながらモンスターを狩っている訳ではない。
 ララクセルズがまっすぐに疑問を投げかけてきたものだから、ついこれまでの自分の生き方を振り返って整理してしまったのかもしれない。
 ルーンミッドガッツではそれが当たり前の生き方だったから、誰もそれについて深く考えたりはしていない。だから、これまでこんな風に話す機会などなかったし。なるほど、そういう意味でも、外交というのは考える以上に大切なものなのかもしれないと思う。違う角度からの視点というのも、時には必要なものなのだろう。
「でもシイナは、そういう風に考えてるとしたって、その生き方を変えようとは思ってないんだろ?」
「うん。正しいとか間違ってるとか、そんな事はどうせ私たち人間には判断できないんだし、究極にそんな明確な答えがあるものなのかもわからないしね。結局人間は、人間にとって良いか悪いかで動くことしかできない。もっとも悪いとわかってても、そうにしか動けない人間もいるけどさ。だから、正しくても間違っててもさ、まあ乱暴な言い方をしてしまえば、結果はどうあれこれが私の生き方、だ。これまでの過去を悔いてるわけじゃない」
 シイナの言葉に、ララクセルズはふと視線を外した。
 遠く広がる景色をただ見つめて、その瞳は何事かを考え整理しているようにも見える。少しの間彼が黙ったままだったから、シイナも口をはさまずその場に佇む。
 ややあって、ララクセルズは口を開いた。
「オレは立場が違うから無責任な事は言えないけどさ……だからやっぱりこれも個人的な意見だけど。シイナは、間違ってはいないだろ」
 少しの間で、けれど色々考えていたのだろう。ララクセルズはゆっくりと、言葉を選んで組み合わせるようにしながら呟いた。
 それがたどたどしく見えてしまったものだから、シイナはつい微笑む。
「どうしてそう思う?」
 その口調と笑顔が自分を子供みたいに扱っているように感じたのか、ララクセルズは一瞬ふくらみかけたが、それを今表に出してしまうのも大人気ないと思ったのだろう。居住まいを正して、口を開いた。
「不死者を消滅させてって言うけどさ。それこそオレたち誰でも、必ずいつかは死ぬだろ。どんなに未練があろうが生きていたかろうが、それは絶対に避けられない事で、受け入れなきゃならないものじゃないか。死してなお何かにしがみつこうとしたって、そこには掴めるものなんて何も無い」
 その言葉に、シイナはほんの少し、目を見開く。
「本来行くべき場所に導くことを、悪いように感じる必要なんてないよ。胸を張って威張ってたっていいくらいだ」
 自分の言葉に答えを得たように、うん、と頷くララクセルズに、シイナは今度は本当に明るく笑った。
「あーやっぱりそう思う? 私もそう思ってたんだよねー」
 がくり。
「おーい……」
 笑顔のまま、シイナは柔らかく目を伏せる。
「そう思ってはいるけど……人から言ってもらえると、安心するもんだね」
 行くべき場所なんて、本当はないのかもしれない。
 ただ消滅するだけなのかもしれない、けれど。
「……」
 言葉につまったように、ララクセルズはそのままそっぽを向いてしまう。
 昨日会ったばかりの短気な案内員は、そうは見えないけど実はとても、懐の深い人間なのかもしれない。
「君はいつでも、そうなのかな」
「へ?」
 出会ったばかりの見知らぬ男の言葉を真剣に聞いて、その疑問も不安も、何もかも一緒に考えて。まったく関係のない他人の事なのに、こんなに一生懸命になって、まっすぐに答えを導き出そうとする。
 いつもこんな風なのだとしたら。
「君に救われる人は多いだろうね」
「へ?」
「いや。ひとりごと」
 鋼鉄の敷かれた通りと鉄板を打ち付けられた壁。トタンを敷き詰めた屋根とそこを這う煙。そんな中で余裕なく働き生活する人々の社会の中でも、こうしてあたたかいと思える気持ちを持つ人間は生まれるものなんだなと思う。
 いや、そういう風に労働を尊ぶ人の中にあってこそ、なのかもしれない。
 シイナはそのままクルリと振り返り、再び煙に包まれる都市を見下ろした。
「こうして見てみると、さすがに工場は多いな」
 柵から身を乗り出すシイナの隣にララクセルズは立った。
「そりゃあ、鉱石加工に製鉄にと、それぞれ用途も違うしな。一番の大工場はあそこだ。アインベフから移住してきた人間が、多く働いてる」
 ララクセルズの指差す先では、言葉通りの巨大な工場が大量の煙を吐き出している。
 ――あそこにある、なんてことは……。
 ふとシイナは謎の鉱石の行方を考えた。
 大工場であるなら、鉱石が運び込まれた可能性もなくはない。しかし一般の労働者も数多くいる施設のなかに、極秘らしい鉱石を運び込んだりするだろうか。
 シイナの視界の端に、小さな建物が映った。
「あれってなんだ?」
 工場よりも南、街の一番隅っこに隠れるように佇む建物。良くは見えないが、周りに鉄線のバリケードが張り巡らされているようにも見える。
「あー、あれな。何かの研究所らしい。けど一般人は立ち入り禁止になってるし、出入りしてるのは変な科学者とかだし、近寄る人間はいないよ。中で何をやってるとか、噂も流れてこない」
「へえ……」
 噂も流れてこない研究所。
 それはつまり、よほどの機密事項を抱えているからではないのか?
 ドンピシャとは限らないが、調べてみる価値はあるかもしれない。
「なんだ? あんなところに用事があるのか?」
 シイナがずっと研究所を見つめていたから、ララクセルズはいぶかしく思ったのかもしれない。
「ん? いやそんな事ないよ」
「そうか?」
「アインブロックやその周辺のことを地質とか産業とか、一般的なことについて調べろとは、大聖堂から言われてるけどね。別に研究所の中には興味ない」
 大聖堂からの使命についてはその通りだが、それ以上にシイナは研究所に用事がある。けれどそれをララクセルズに洩らすわけにはいかない。
 ――嘘というのは、思っている以上に胸を痛めるものだ。
「それならいいけど、あそこにはあんまり近づかない方がいいぞ。出入りしてる研究者も、たまに外で見かけても意味不明なことしか言わないような奴らだし、ここ何日か妙にコソコソした奴らも何人か出入りしてる」
 変な研究してるんじゃなきゃいいけどな、とララクセルズは呟く。
 妙にコソコソした奴ら――。
 シドクスが言っていた連中と合致するだろうか。だとしたら、部外者立ち入り禁止と言われるその研究所の中に、炭坑夫たちの抹殺を企てた連中と、その原因となった謎の鉱石が揃っていることになる。
「シイナ、聞いてるか?」
 隣から顔を覗かれて、シイナはハッとなった。
「ああ、聞いてる。そんなに心配しなくても、研究所には近づかないようにするよ」
 シイナの曖昧な笑顔に、ララクセルズは腑に落ちなさそうな顔をしながらも頷いた。シイナは内心であーあと呟く。彼の嘘が苦手な性格がはっきりと出てしまった。
「アンタ、余裕そうに見えて、どうも危なっかしそうでもあるからさ……」
 ――図星かもしれない。
 よもやこんな風にあり地獄にでも嵌まるように、ずるずると得体の知れない事件の渦中に引き込まれるなどと、プロンテラを発った時には考えもしなかった。そしてシイナがこういう状況に陥るという現象も、今に始まったことではないのだ。時を選ばずその気もないのに深みに嵌まっていくシイナの性格は、ララクセルズの言うように、危なっかしいものなのだろう。
「君が心配するような、無謀な事なんかしませんよ」
「……ふぅん……」
 要修行だなあ、などと、胸の中で呟くシイナだった。




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