UP20051204
鋼鉄の都市 ――7 真実の模索
「な、なんだここは……!?」 経験した事のない空間移動にバランスを崩したララクセルズは、その場に膝を着いてしまった。座り込んだままその場を見回す。突如変わった周りの風景。瞬間的に空間移動したのだと理解するには、少々の時間を要した。 薄暗く、誇りっぽい空気。巨大な建造物の中のようだが、あちこち崩れ落ちていて、それが施設として機能していない廃屋なのは、一目瞭然だ。 それに、纏わり付いてくる嫌な空気。 「ララクセルズ!」 「うわあ!」 突然真後ろにシイナが現れたので、ララクセルズは仰天して尻餅をついた。 「し、シイナ」 「バカ! なんでこんな危ないマネするんだ!」 いきなり怒鳴りつけられて、ララクセルズはムッとして立ち上がった。 「バカとはなんだ! 元はと言えば……」 「走れ!」 「うわっ!」 ララクセルズの腕を掴んで走り出したシイナの後方には、いつの間にか湧き出した得体の知れない化け物がいた。土色の身体はあちこちが腐っているように崩れ落ちていて、直視に耐えない。 「グールだ。気付かれた」 薄暗い通路を走り抜けて、大きな空間に出た。 奥には祭壇があり、巨大な十字架が掲げられている。そしてそれを仰ぐような形で並べられた長椅子。しかしそれはどれも朽ちて長いこと放置されているようだ。 「ここは、どこなんだ?」 息を切らすララクセルズに、シイナは怒った顔で答える。 「修道院跡だ」 「……ここ、が?」 人がいないところならどこでも良かったのだ。しかしワープポータルから移動できる場所の数には限りがあって、シイナが空間を繋いである場所で人のいない場所は、ここしかなかった。それでもシイナひとりならどうという事もない場所なのだが。 「ここは危険なんだ。それを……」 わかっている。不用意にこの場所への道を開いてしまったのはシイナだ。こうなることを予想するべきだった。けれど彼らの前から逃げ出すことしか考えていなかったシイナに、そこまで考える余裕はなかった。 「……すまない」 「……」 「ポータルをもう一度出す。それに乗って君は帰れ」 その場にポータルを作ろうとするシイナに、しかしララクセルズは首を振った。 「イヤだね」 「ララクセルズ!」 「そうやってオレも誰も追いやって、いつまでお前ひとりで何もかも抱えたままでいるつもりだよ! それで生きることも死ぬことも! 最後までひとりで何でもやれるつもりでいるのかよ!!」 「……ッ!!」 言葉が痛い。 何もかもを、ひとりで最後まで抱えきれるはずがない。けれどだからこそ、誰かがそこに介入してきた時に、その人まで抱え込む余裕なんて、どこにもない。 今回のように命の危険すらある事態に誰かを巻き込むなんて、シイナに出来ようはずもなかった。 何事かを言いかけたシイナだったが、周りを囲む気配にすばやく視線をめぐらせた。 まずい。囲まれている。 ここはのんびり話をしていられる場所ではない。数体のグールがゆっくりと迫ってきているのが見えた。逃げ道はない。他のモンスターが見当たらないのが救いか。これならララクセルズを連れていても、何とかなるかもしれない。 「あ、あれもグールか? シイナ……」 「オレから離れるな」 シイナは迷わず詠唱を開始する。 「輝きの盾をその身に。キリエエレイソン!」 身体の能力に神の加護たるブレッシング。 速度増加。 護りの光エンジェラス。 幸運の福音グローリア。 ララクセルズとシイナ自身に、次々と護りの魔法を施して行く。 「本来在るべき光の国へと発ち還れ、ホーリーライト!」 バシン!! 十字にも見える光を受けて、グールは短い咆哮と共にその場に倒れ伏した。間髪いれずに次々と放たれる聖属攻撃に、グールは次々と打ち砕かれ倒れ消える。 それは神々しいとも、壮絶とも取れる凄まじい光景だった。 ララクセルズは、呆然とそれを見つめ続ける。 その背後から地を這うようなうめき声が聞こえて、ララクセルズは仰天して身を引く。が、伸ばされるグールの手はすぐそばまで迫ってきていて、逃げようにも間に合わない。迫ってくる腐り落ちた姿に、ララクセルズはギュウ、と瞼を硬く閉じることしか出来なかった。 「うわあ!!」 「大丈夫だ。そこを動くな」 シイナが施したキリエエレイソンの魔法は、光の盾となってララクセルズの身体をグールの攻撃から護った。身体のごく至近距離で、攻撃は反射されて当たらない。 シイナのホーリーライトがグールを襲い、その身体が光となって砕け散る。 襲ってきたグールを全て倒して、辺りはまたしんと静まりかえった。 「……」 「さすがは普段から不測の事態にも備えている案内員だね。下手に逃げ回ってくれなくて助かるよ」 単に、腰が抜けて動けなかっただけなのだが。 座り込んでしまったララクセルズの正面に、シイナは膝をついて身をかがめた。 「だがそれでも限界がある。ここは本当に危険なんだ。頼むから、わがままを言わないで聞き分けてくれ。君は帰るんだ」 悲愴とも言えるシイナの懇願に、ララクセルズは先程のように怒るような素振りは見せなかったが、首を縦に振ることもなかった。 「オレがわがままなら、お前もわがままだよ」 「ララクセルズ!」 「何でお前が頑なに俺を跳ね除けようとしているのか、大体の察しはつくよ。だがオレはお前に護られるために真相を知ろうとしたんじゃない。お前がオレの命を護るために何も言わないままオレから逃げようっていうなら、オレはこのままお前から逃げて、この修道院でモンスターに襲われて死ぬからな!」 「バカな事を言うな!!」 やれるものならやってみろ、とは、言えなかった。彼は本当にやるだろうと、確信があったからだ。出逢って間もないけれど、わかる。ララクセルズはそういう男だ。 「なんでお前は、傷つけないために距離を置くことばかり考えるんだよ。今までもずっとそうやってひとりで。それがお前のやり方だって、そういうのわかるけど、だったらオレにだって、オレの主張がある」 ララクセルズは立ち上がった。 「オレたちの街で起こっていることにお前を巻き込んで、それでお前に庇われたまま、何も知らずにのうのうと生きていくなんてな、オレの誇りが許さないんだよ」 「……」 「このままお前と別れたって、オレは真相を探るからな。明らかになるまでずっとだ」 ララクセルズの言う事は正しい。彼からすればもっともな話だ。本当に真実を隠蔽したまま彼らから離れようとするなら、シドクスをも連れてあの街を離れなければいけなかった。けれど、それには時間がなさすぎた。追っ手の追跡が早すぎたこと。そして根本から言えば、シイナがララクセルズと知り合ってしまったこと。 お互いにとって、どうでもいい通りすがりの人間ではなくなってしまったこと。 彼を巻き込まないようにと全てを内に秘めたままにすることが、彼の心と人生をも傷つけてしまうことになるだろう。自分が彼の立場だったら、きっと同じ事を言うし、同じ事をする。そして同じように傷つく。 多分もう、逃げられない。 本当はそれを避けたかったのか、望んでいたのか、もうわからない。 けれどこれを、一蓮托生というのだろう。 「――わかった」 「シイナ」 「話す。全部話すから、早くここから離れよう」 諦めたように立ち上がると、シイナはその場にワープポータルを出した。 「オレが乗ったらポータルが消えてしまう。君が先に乗るんだ」 「……シイナ」 「大丈夫。逃げないよ」 トン、とララクセルズの身体をポータルへと押し出した。ものを言う暇もなく、その身体がその場から掻き消える。 それを見届けて、シイナはそのポータルに乗らずに振り返った。 「まあ、因果な性分だな、オレも……」 飛ばされた場所のあまりの賑わいに、ララクセルズはどうすることも出来ないままその場に突っ立っていることしか出来なかった。もう陽も沈みきった頃合いだというのに、その活気は静まることを知らないかのようだ。 ここがどこなのかもわからない。けれど、急にそこに人が現れても、誰も気にする様子もない。自分の後から何人もそこに現れたが、皆また勝手に歩き出したりその場で休んでいたりと、なんというか行動が自由だ。アインブロックで見かける観光客のような、戦闘のために身を固めた人間が圧倒的に多い。シイナと同じ、聖職者の法衣を着た人間も大量にいた。ここはルーンミッドガッツの国の、どこかの街なのだろう。 けれど、シイナは来ない。 「まさか」 逃げたのだろうか。 一抹の不安を覚えた瞬間、目の前に現れたシイナの姿に驚愕した。 「うわ!」 嘘をついて逃げたわけではないとはわかったが、その場にガクリと膝をついたシイナは、全身傷だらけだった。 「おい、シイナ……」 呼びかけた瞬間、周りにいた数人の聖職者から次々と回復魔法を浴びせられて、シイナは何事もなかったかのように普通に立ち上がる。傷は全部消えていた。 「ありがとう」 つと手を挙げて軽く礼を言ったあと、シイナはララクセルズに向き直った。 「回復できないほど消耗してたわけでもないんだけどね。ここはそういう場所だから」 こっそりと笑うシイナに、ララクセルズは言葉を返せない。実は彼も、ここに現れた途端に、傷も負っていないのに大量の回復魔法を浴びせられたのだ。ここに来た人間に、無差別に回復魔法をかけて回る聖職者は多いらしい。傷ついて戻ってくる冒険者にはありがたい話だろう。 「お前、何やってたんだよ」 逃げないと言ったくせに後から現れないから、正直ララクセルズは不安になっていたのだ。やっぱり逃げたのではないかと。 「ちょっとね。君をポータルに乗せた後、すぐにモンスターが大量発生してさ。そのままポータルに乗ってきちゃっても良かったんだけど、どうも目の前に現れたモンスターは倒しちゃわないと気がすまない性分で」 言いながらシイナはララクセルズの内心に気付いて、フッと軽く微笑んだ。 「なんだ? 逃げたと思った? 君をこんな知らない街に置き去りにして逃げるわけがないだろ」 「お前なあ……ていうか、ここどこだ?」 「ここは魔法都市ゲフェンだよ……っと、ヤバ」 言いかけてシイナは慌てて顔を隠そうとしたが、間に合わなかった。 「プリースト・シイナ?」 夜の色のヴェールをまとった修道女が、規則正しい歩調で近づいてくる。 「シスター・テルーザ……」 あまり顔を合わせたくない人に見つかってしまった。 「なぜあなたがここに? アインブロックに向かったのではないのですか?」 「いえ、私は法具の補充に立ち寄っただけです。室長こそどうしました?」 「私はトーマス司教の御用向きで」 室長の言葉に、シイナは嘘くさい笑顔を張り付かせた。 「そうですか。私はまたすぐにアインブロックに戻りますよ。まだ調査も始まったばかりで報告できるようなことも何も無いので」 「そうですか。くれぐれもお気をつけなさいね」 プロンテラ大聖堂聖職者の心得そのいち。人を疑うは聖職者の恥。シスター・テルーザは欠片ほどもシイナを疑わず、そのままゲフェンの街中を歩いていった。 「ふう……」 そして聖職者の心得そのに。人を騙すは人の恥。もしも嘘がバレたら、厳しい室長のどんな制裁が待っていることか。しかし真実を話すわけにもいかない。要はバレなければいいだけの話だ。 「行こう」 歩き出したシイナに、その場で突っ立っていたララクセルズは慌ててその後を追った。 「行くって、どこに?」 「ここは人が多すぎる。誰もいないとこ」 スタスタと歩くシイナの後ろを、ララクセルズは黙ってついていくしかない。初めて訪れた街で、右も左もわからないのだ。 シイナは人の多い街中を抜け、おおよそ人影の見えなくなった草原をひたすら歩いた。景色は夜の闇に溶け込んでいるが、シイナにとっては知りすぎているくらいの地理だ。ゲフェン付近の平地を歩いていけば、ほどなくミョルニール山脈を見渡せる場所に着く。そこなら滅多に人が通りかかることはない。 「この先に展望台がある。奢ってもらった礼に、ゲフェンの展望台を見せてやるよ。まあ有料ではないんだがね」 深い谷に掛けられた石の通路を渡っていけば、谷とその向こうにそびえる山脈を一望できる展望台がある。深い水を湛える谷に浮かぶように設置されている展望台に立つと、まるで浮遊しているように感じられる隠れた名所だ。 その美しさに、ララクセルズは目を奪われた。 生まれて育ったアインブロックとは、雲泥の差だった。平地には草が生え、花が咲き誇り、こうして谷に差し掛かれば美しい湖と谷川の向こうには、色鮮やかな山脈の自然が目に飛び込んでくる。闇に沈むそれらも幻想的なまでに美しかったが、これが昼間だったら、太陽の光をうけたこの場所は、どれだけの輝きを放つことだろう。 何よりも、空気がこの上なく奇麗だった。吸い込む空気を美味いなどと感じる瞬間が来ようなどと、思ってもいなかった。 「奇麗な場所だな」 「うん。ここは特にそうだと思う」 シュバルツバルドにだって美しい場所はいくらでもあるとは思う。アインブロックの向こうにあるといわれているリヒタルゼンの街などは、街のあちこちに花壇が溢れている色彩豊かな場所だと聞く。シイナもララクセルズも、そこに行ったことはないが。 シイナは展望台に設えられたベンチを手で指し示した。 「座りなよ」 言われるままに、ララクセルズはそこに腰掛けた。シイナもその隣に座る。 「さっきの人。シイナの上司?」 その質問に、シイナは苦笑する。 「上司……まあそうかな。一応聖職者をまとめている人ではあるね。オレたちにしてみれば厳しい姉か母のような人だ」 「何も報告することがないって……」 シイナが出遭った事件の事を言わなくていいのかと、そんな意味をこめたララクセルズの言葉に、シイナは静かにため息をついた。 「時期尚早。今回の件は、何が絡んでいるのかわからない。関係しているのが個人なのか、あるいは国そのものなのか」 シイナのその言葉に、ララクセルズは息を呑んだ。 国が、絡む? 「今この瞬間にプロンテラに報告するべきものなのか、そうでないのか。その判別が付かないんだよ。もしもシュバルツバルドの国自体が認知している問題なのだとしたら、オレじゃなくても誰かが陰で動いている可能性だってある」 もしもそれが国を挙げる重要事項なのだとしたら、それを知ったシイナやそれを知らされた大聖堂やプロンテラ、全てがどんな風に渦中に巻き込まれていくのか、計り知れない。ルーンミッドガッツそのものが、すでに関わっている可能性だって無くはないと、シイナは考えていた。 「オレが関わっているのはね。そういう事なんだ」 それを踏まえたうえで聞いてくれと、シイナは念を押す。 ララクセルズが頷くのを見て、シイナは重い口を開いていきさつを話し始めた。 <<<BACK NEXT >>> |